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今わたしたちに必要なのは、自分の本質を知ること。

大きな集団の時代から、個の時代に変化する中で、自分をしっかり知っていくことがますます必要となってきています。

とは言っても、わたしたちは「自分を知る」というスキルは学んできませんでした。それを教育のせいだとか、社会のせいだとかにしても仕方がありません。

だって、ちょっと前まで自分が誰なのかよりも、みんなで大きなものを作り上げる方が上手く行っていたのだから、「みんなで上手くいく方法」しか学んでいなくて当たり前なのです。

でも、物事は移り変わっていくもの。そしてその過渡期には「自ら求めて、自ら動く」ことでしか開拓していくことはできません。

アメリカだって、最初から多国籍国家の自由な国だったわけではなく、もともといたネイティブアメリカンをやっつけたり、南北戦争があって、今の形があるわけです。

ここでちょっとわたしの先生のお話を

わたしには人生に多大な影響を与えてくれた先生が数人います。その中の一人にネイティブアメリカンのナバホ族出身の先生がいます。

彼が小学生に上がる頃に国から家族にお金が支給され、お兄さんと二人で両親の元を離れてカリフォルニアにある宿舎で育ったそうです。だから彼は両親の母国語であるスペイン語も、ナバホ語も忘れてしまいました。

そうやって、時には自分の力ではどうにもならない大きな流れというものもあります。先生のお婆ちゃんはナバホ族のメディスンマンだったそうです。先生が生まれつき繊細で毎晩悪夢を見ていたので、4歳の時にお婆ちゃんから寝る前に「悪夢を見ないお茶」の作り方を教わったそうです。

それ以来先生は一人で「悪夢を見ないお茶」を毎晩作って飲むことが習慣となりました。それがたった一つ、お婆ちゃんから受け継いだ智慧だったそうです。

十代の後半になってから、先生は自分のルーツが気になり始めました。だけどその時代の風潮の中で、「悪夢を見ないお茶」以外で自分のルーツを探ることはまだ困難な時でした。先生は精神的探求をするために別の方法を探して、ISCON(クリシュナコンシャスネス)を訪れ、インド哲学に答えを求めるようになったそうです。

先生が大学に入学した頃、人生に対しての疑問はますます強くなり、大学を辞めてとうとう18歳でヒンドゥー寺院へと出家してしまいます。それから先生はインドに渡りました。

わたしが初めて先生と出会ったときも「インドの方ですか?」と尋ねました。すると先生は「インド人ではなくて、ネイティブアメリカン、つまりインディアンです。」と答え、不思議な会話だなあと思いました。

わたしは一瞬意味がわかりませんでした。まさかネイティブインディアンだとは思わなかったからです。大きくて潤んでいるのに鋭い瞳、浅黒い艶々の肌、きれいな英語の発音に柔らかい声。その圧倒的な存在感に戸惑ったことを今でも鮮明に覚えています。

自分ではどうにもならない大きな流れというものが人生の中にはあります。

先生から学んだのはその中でも本質を常に選ぶことでした。その後先生は時代の変遷とともに、ナバホのルーツへと帰って行きました。現在先生はヒンドゥーの僧侶ではなく、ナバホの伝統のとおり髪を伸ばして三つ編みにし、伝統のとおりアメリカの土地とともに生きる実践をしています。

本質が見えていたら、なんでも薬になる

先生はお婆ちゃんがメディスンマンだっただけあって、アーユルヴェーダに対する洞察力が一般的なものの見方を凌駕していました。そのため多くの人が先生のティーチングスタイルに魅了されてきました。

わたしが先生から教わったのは、インド哲学の一派であるサンキャ哲学と、アーユルヴェーダの基礎でした。

先生は「〇〇には〇〇が効く」ということは一切教えず、「ヴェーダとは見るという意味。だから物事の奥に隠れている原因を見抜きなさい。とにかく見る目を育てなさい。薬なんかどうでもいい。むしろそれが見えるのであれば、何だって薬として使える」といいました。はじめから答えがあるものは本で読めばいい、と。

ですがそれがわたしの心を強くし、洞察力を育てるきっかけとなりました。

仏典のジヴァカスッタの中でも、同じようにブッダの医師であったジヴァカ・クマラヴァティが自身の師匠から「このタクシラの土地の中で薬にならないものを見つけて持って帰ってきなさい」と命じられ、ジヴァカは何も持って帰ってこなかったという話があります。

「伝統にもこだわらなくていい、ルーツにもこだわらなくていい。だけど、本質にこだわれ。」

これが先生がどうにもならない流れの中でも、ずっとこだわっていたことです。

今も同じように、大きな流れの変革期にあって、従来のやり方や、自分が思っているようなやり方だとうまくいかないことがたくさんあります。

そんな時こそ、「自分は一体誰なのか?」という本質的な疑問にこだわって取り掛かっていくと、自ずと答えが見えてくるのではないでしょうか。

自分を知るときに、自己分析や適性チェックなどで、自分を何かのカタに当てはめてアイデンティティを作っていくのではなく、反対に今までのカタを外していくことで見えてくる「本来の自分」の方がずっと変化に強いものです。

でもわたしたちは「本来の自分」というワードにピントきません。これが一体どういう意味なのかは、自分の内に耳を傾け、すべてのレイヤーに気づいていくことからはじまります。レイヤーを一枚一枚丁寧に外していくことで、だんだんと「本来の自分」は姿を現してきます。

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