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不登校状態に子どもを持つ親を不安にさせる悪徳ビジネス

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 我が家が当事者ではあるので度々、このnoteでも話題として取り扱っていますが、今回は不登校に関するものです。不登校に関わる当事者の方や自らの周囲で悩んでいる人がいる、もしくはその可能性に悩み、苦しんでいる人、この問題に興味と関心がある方は読み進めてみてください。

 文部科学省が毎年公表している統計調査には29.9万人、約30万人の不登校状態となっている児童・生徒がいるとされています。長期欠席者数となると46万人となっており、これを自治体の人口と比較してみると金沢市や富山市などの中核都市と呼ばれる街の人口と同程度。

https://www.mext.go.jp/content/20231004-mxt_jidou01-100002753_1.pdf

 不登校の定義は年度間に30日以上登校しなかった児童生徒とありますから、それ以前な児童や生徒は数値として長期欠席者数に含まれていると考えられ、こうなってくると予備群も含めた不登校の実態はさらに多くなるといえます。

 不登校。

 正直なところ、親の負担が物理的にも精神的にも大きくなります。

 我が家では長男くんが不登校状態となり、家族として彼に対する向き合い方はもちろん、学校との信頼関係を構築すること、地域社会との関係づくり、何よりも彼の居場所づくりに奔走してきました。それまでもそういった点に力を抜いてきたわけではありませんが、彼が不登校状態となったことで「できていなかった」のだと痛感したことも含め、妻さんと共に精神的な疲弊をすると共に自己嫌悪感を募らせたことは言うまでもありません。

 そんな親でさえも心理的に追い詰められる不登校に向け、その不安や焦燥感につけ込む「不登校ビジネス」があるのだと不登校新聞の記事内で紹介されています。

自殺問題にくわしい精神科医の松本俊彦さんが行なった調査によれば、10代や20代で自殺した不登校経験者のうち、75%が早期に学校復帰していたという結果が出ているからです。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_65d1f3b2e4b0ce1bdc39ca64

 ぼくも当事者としてあらゆる「不登校」にかかわる支援のあり方を見てきましたが、その中でも「解決」だとか「早期復帰」などといった文言を見かけるたびに胸糞が悪くなりましたし、今でもそういった文言を使いながら親の不安を煽るような形で自らの売上として計上しようとする心根に反吐が出ます。

 これからもそういったシロアリみたいな人たちは撲滅していきたいし、絶滅してもらいたいと思うのですが、需要と供給によって成立してしまうのが資本主義社会における経済のあり方であるため、まず不可能でしょう。無くすことはできなくても、そういったビジネスが縮小する方向に少しでも力を働かせたくてこの記事を書いています。

不登校は"状態"であり"病気"ではない

 いわゆる不登校ビジネスを生業としている人たちは「解決」だとか「治す」といった言葉を使い、あたかも不登校となってしまっている子どもたちが病気や大問題を抱えて生活をしているかのように印象づけようとしてきます。

 そもそも不登校は状態であって、病気ではありませんし、不治の病や国の難病指定を受けるようなものでもありません。たしかに社会問題として大きく顕在化してきていますから気になる文言ですし表現の仕方は変えていって欲しいとは思いますけれど、そういった煽り文句を受けて不安になる必要はないはずです。

 もちろん、当事者として一般的に登校ができて交流級でワイワイと他の児童や生徒たちと交流をしていたり、運動会などの行事ごとでの活躍や部活動帰りのキラキラした子どもたちの姿をみると羨ましく思えたり、時としてネガティブな感情が先走れば妬ましく思えてくることだってあります。

 「どうして…」などといったことも考えますし、そこから派生して「自分や自分たちの何が悪かったのか」と自己嫌悪感を募らせては、感情的になるなど心が荒んでいくことを実感することもあり、まだ子どもが小さければ学校に行けない子どもとの生活を前提に仕事なども調整する必要がありますから心身ともに疲弊していきます。

 それでも、彼らのそれは不登校な状態に陥っているだけであり、その根幹には精神的な疾患があるのかもしれないし、発達などに障害があるのかもしれませんけど、不登校自体が病気や彼らの心身に起こっている大問題なのではないのです。

何が問題なのかを真摯に向き合う

 親が向き合うべきは、不登校となってしまっている子どもが何に悩み、苦しんでいるのかを一緒に模索することです。

 上でも書いた通り、不登校状態となっている我が子を見るのは辛いかもしれません。自身が「普通に通学し、普通に卒業をしてきた」のであれば余計にそう思うことでしょう。でも、その普通が普通なのかといえば、普通ではなかったのではないでしょうか。

 学校に行くとか行かないとかって段階の話ではなく、そもそも進学をするのかどうか、試験を受けるのかどうか、何かしらの部活に入部するのかどうかなど、それぞれに選択し判断した上で決断し行動してきたわけで、その行動に伴う過程や結果には「それなりの問題」があったはず。

 その問題に対する対処を自分自身で行うこともできれば、自分だけではどうしようもないこともあったでしょう。

 不登校の子どもたちも、それなりの問題に直面し、自分だけではどうしようもない段階にまで踏み入れてしまったからこそ、学校に行くことができないところまで陥ってしまっているだけで、本人が弱いからとか女々しいからではありません。

 彼らがどんな困りごとを抱えていて、そこにはどうしたら対峙できるのか。対峙した後には何をしていったらいいのか。AやってみてダメならBやってみて…などと向き合い続けることが大事なんじゃないかとぼくは考えています。

 親が子どもの問題に向けて真摯に向き合わなければ、いったい、誰が真摯に向き合ってくれるのでしょう。

親の覚悟は子どものためであって自らの不安解消のためには使わない

 いわゆる不登校ビジネスを駆使し、不登校状態となっている子どもたちの家庭の金銭的資産を食い物にしようとする輩は、そういった親の心理に食い込み、貪り食おうとしてきます。

 ここで親が大事にしなければならないことは、そういった不安に踊らされないこと。同じくお金を使うのであれば、自らの不安解消のためではなく、子どもたちが安心して笑い、暮らしていけるような環境や状況に投資すべきです。

 親が覚悟すべきなのは、そういった弱者救済を装った腹黒い人たちへの資金提供に関することではなく、不登校状態となってしまった子どもたちに対する姿勢や態度であるべきではないでしょうか。

 不登校状態となっている彼らも、それで良しとは思っていませんし、自身でも不安や焦燥感を抱えているものです。学校に行き、仲のいい友人もいれば苦手なクラスメイトもいる中で、笑い泣き、悩み考える時間が損なわれていることは、どこか喪失感と虚無感を味わっています。

 そんな心の状態を無視して「学校には行くべきだ」とか「学校に行けないんじゃなくて行かないんでしょ」といった罵倒狼藉な態度は一人の大人として取るべきなのでしょうか。

 それは子どものことを心配しているのではなく、自分が不安であることを子どもにぶつけているだけで、不登校といった課題・問題に向き合おうとしていないからこそ出てしまう醜い性根みたいなものでしょう。

 子どもが不登校であること。

 それを受け止め、解消に向けて行動することは決して容易なことではありません。でも、安易に金融資産を付け狙ってくる部外者に自身の生得領域を犯させることができるのなら、子どもたちの不登校となった経緯や過程、そして現状を受け入れることに覚悟を持った方がよっぽど有意ではないでしょうか。

おわりに

 ASD(自閉スペクトラム症)気質のある彼も、最近では特別支援教室に転籍を果たして以降、学校に通える回数が増えています。学校に通えるからといってフリースクールから離れることもしません。

 彼にとっては、どちらも自分の居場所であると認識しており、そこにいる人たちとの交流を楽しんでいるからです。

 これからも彼が不登校状態の解消に向け、自力でどうにかできることと、他力に頼らざるを得ないこととが出てくるでしょうが、結局、そこに向き合う覚悟を持っているかどうかを突きつけられるのは親な訳で。

 そこから逃げたとしても、何にも解決しませんからね。これからもヒラヒラと暖簾みたいに向き合って行こうと思います。

 ではでは。

 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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