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情報の文明学 / 梅棹忠夫 / 1988年

最初に。この本の中には現代において真新しい話はない。今日これを読むことの意味は、歴史を学び、彼が今生きていたら何と言うかを考えたり、彼の優れた先見性を楽しむことにある。

この本は当時京都大学で文明学や生物学を専門としていた梅棹忠夫教授によって書かれたものだ。この論文(論文自体は発表は1963年)は発表当時界隈では大きな物議を醸したが、一般に広まることはなかった。更には伝統的な経済学を学ぶ者からは批判も大きかった。(価値の本質を捉えていない、など。理由の1つには当時の「情報」という言葉が持つ語感があった。「産業スパイ」とか、「諜報機関」とか、どこか胡散臭さのある言葉であったらしい。おもしろい。)

彼は「情報産業」について考察した(「情報産業」とはこの時初めて使われた彼の造語である)。「情報産業」とは何か? 音楽産業も繊維産業も料理産業も全て「感覚情報」を提供するという意味において「情報産業」である。体験はすべて「感覚情報」であり、その意味においては自動車産業さえも情報産業の一種であるとはなす。温泉街や、江戸時代の浴場、セックス産業、観光、スポーツ産業—すべて情報産業であると彼は捉えた。

しかし、「形ある商品」のみを分析対象としている当時の経済学では、限界があった。「情報」は、それを擬似的に商品(物)と置いて考察しているだけであった。「物」よりも「情報」の方が優越する時代においては、逆に「物」を擬似的に「情報」として扱うようになるかもしれないと考察した。彼は物の価格決定も、情報の価格決定として考えられる未来が来るのかもしれないと考えた。

“いわゆる近代経済学にしてもマルクス経済学にしても、中胚葉産業時代(注: 工業的経済のこと)の時代に形成され、それの説明原理として登場したのではないか。”
“原価計算のできないものがはなはだ多い。”

では情報を扱う経済理論はどうあるべきか? ここで彼は情報産業の先駆者の1人であるお坊さんを例に出し、「お布施」の価格決定の仕組みについて考察した。それは売り手と買い手の社会的・経済的な格付けによって価格が決定する仕組みのことで、これを彼は「お布施原理」と呼び、講演料や原稿料、電波料などにも応用できる考えた。(ちなみにこの「お布施理論」は、伝統的な経済学者達からの批判の大きな要因の1つとなった。)

“ホモ・エコノミクスを前提とする経済理論とは、まるでべつのものになるはずである。わたしは、こういう方向で、未来の外胚葉産業議題の経済学を構想したい。”

さらに彼は新たな「価値」の捉え方を提唱した。

すべての価値は、より一般的には
実数部分(測定可能な部分)+虚数部分 (情報の価値)= a+bi で表されるはずである。
しかし、現状では実数部分のみで価値が図られ、経済理論が形成されている。

これは、「お金2.0」や「サピエンス全史」でも通じる話があったな、と思った。何より、工業の経済が全盛を迎えたあの時代の日本の中にいて、こんなことを考えた梅棹先生の凄まじい先見性に感動する。

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