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無色透明の腐った心 四

 鈴木聡は高校を中退しているがそこらの偏差値を自慢しているだけの中身が空っぽな大学生よりよっぽど頭が良いだろうなと高橋良夫は思った。前に税務署で短期のアルバイトをしたときに知り合った一つ年上の先輩がこの世には地頭の良い奴と悪い奴しかいないんだと言っていたが鈴木は地頭の良い奴だろう。地頭とは脳みその出来のことをいうらしい。
「客だ」
 オリーブ色のTシャツを着た、髪を右巻きにしている若い女がモニターに映っていた。一早くそれに気づいた鈴木がそう呟いたのだ。女は、誰かに似ている、と一度は言いたくなるような顔だった。
 休憩室から出ると女は一瞬こちらを見たがすぐにカゴに目を戻した。
「いらっしゃいませ」
 風呂上りなのかシャンプーの匂いが強く漂っている。女っていいなと高橋は思って顔を上げたが、女が財布を片手に腕を組み、斜に構えていたのでこんな女はこの世から消えてくれと心から願った。
 休憩室で鈴木は相変わらず雑誌を読み漁っている。それは女性週刊誌だったり青年漫画雑誌だったり素人投稿モノのエロ本だったりケンタロウの料理本だったりだ。朝になると配達されてくる十紙の新聞にも全て目を通す。
 高橋は特に話しかけることもせず、廃棄処分用に集められた食料品の中からクリームパンとアンパンを取り出すと、ただ黙々と口に運んだ。空調のゴオオという音と冷蔵庫のブウウンという音が兄弟だったら面白いなと高橋は思った。空調の方は兄ではなく、姉かもしれない。
 鈴木と高橋は同級生で、小中と九年間クラスも一緒だった。正確には高一の時もクラスが一緒で、これで十年も一緒だななんて言っていたのだが、その後すぐに鈴木は高校を辞めてしまった。新学期が始まって間もなく、鈴木はクラス中から嫌われた。それが何故なのか高橋にはよく分からなかった。その時は、どんなことでも知っている鈴木の頭の良さ、回転の速さを恐れ、また妬んだんだと思った。知識、雑学が豊富で話していてこんなに面白い奴はいないのに、友達にならないなんてなんとももったいない。精子の進むスピードを聞いてすぐに答えられるのはこいつぐらいだ。ちなみにその答えは一分間に三ミリだ。
そう、確かに、鈴木は少し変わった奴なのかもしれない。興味があれば誰とでも話してどんな会話にも首を突っ込んだし、その相手が教師であってもそれは変わらなかった。放課後に職員室で談笑する鈴木を見かけたこともあった。
高橋も小さい頃からお前は変わり者だと言われてきたが、それはみんな笑顔でだった。だが鈴木は、それを笑いにもならない陰で言われていた。お互い変わり者同士で小さい頃から気があった高橋からしたら、鈴木がなぜ自分とは対照的なまでに嫌われるのかよく分からなかった。人は普通というカテゴリに収束しようとする、それは精神の安定を得ようとするためなのかもしれない、だが、必ず異なる刺激が欲しくなる、それが自分であり鈴木なのだと高橋は思っていた。だからこそ、鈴木という異なった奴と友達になったら得だし、損はないはずだと思った。それとも自分と鈴木、異種は二人も要らないということだったのだろうか。そうなると迫害されるのは自分だったかもしれないのか。高橋から見れば、鈴木とはもちろん異種の人間であり、クラスの連中が普通、異種、と分けていたのならば、高橋からすれば、普通、自分、鈴木、で分けられていた。
しかし、髪を茶色に染めてピアスをあけた今の鈴木を見たら、高橋にはなんだかそうは思えなくなった。
 二十歳を過ぎて、高橋は鈴木と偶然道端で出会った。家はニ百メートルと離れていないのに五年ぶりの再会にお互い顔を合わせた瞬間に吹き出した。ちょうどアルバイトを探していた高橋は鈴木がアルバイトしているコンビニで一人募集しているから来いよということで行くことにした。コンビニ、接客業は初めてだったが深夜組は不真面目で高橋の性に合った。例えば朝まで居眠りをして客に万引きさせ放題にしてしまったり、店内の電気を全て消して休業を装ったりというような不真面目さだ。もちろんその時は減給をくらった。
「眠い」
 鈴木は独り言が多い。
 深夜も二時を回ると客がほとんど来なくなる。モニターを見ても今は、雑誌を立ち読みしている埃っぽい臭いのしそうな太ったオッサンだけだ。高橋は店外に出てみたが、なんの気配もしない、砂漠の真ん中にぽつんとコンビニだけあるような、そんな静かな夜だった。深夜のコンビニは平和だ。

 高橋は朝から恋人のマナミと会って少し高橋の部屋で雑談してコーヒーを飲んでセックスしてからバスに乗って二十分の所にあるショッピングモールへと出掛けた。マナミが好きで毎週連れて行かれるのだが、ウインドウショッピングは高橋も嫌いではなかった。a.v.v.を覗くのは楽しい。
 マナミとはまだ付き合って半年だが、知り合ったのは二年前だ。高校を卒業して進学も就職もしなかった高橋は、持て余した時間で幼なじみとその知り合いたちと飲みに行くようになった。幼なじみの父親、その後輩たち、その友達たち、その中の妹、その友達、で、マナミが登場した。高橋の方に気はなかったがマナミはずっと好きだったというので、断わる理由もなく、付き合うことになった。気まぐれで二人で飲みに行ったときのことだ。
 マナミは一年中、ジーパンしか穿かない女だ。夏はTシャツしか着ない。女の子女の子した格好をした女が高橋は好きだったが、恋人であるマナミがそういう格好が好きではないのだから仕方がない。とはいうものの、ミニのプリーツなんかを穿いた娘を見かけると、どうしても目は正直で釘付けになってしまう。マナミは何かと鈍感だからそれに気づかなくて助かる。ショッピングモールにはそんな娘がいっぱいいるから俺も毎週文句を言わずに来てるのかもなと思うとなんだか情けなかった。
「ねえ、聞いてんの? これ、どう?」
 またジーンズだったので高橋は無視してやったら、マナミに蹴りを入れられた。女が膝蹴りだ。体重が同じぐらいあるから結構効く。側にいた店員がその様子を見て笑っていたがマナミはそういうのにもまったく気づかない。高橋は少しイラついた。
 最上階のポップコーン売り場でキャラメル味のビッグサイズを買って二人仲良く寄り添ってベンチに座って食べて昼過ぎに家に帰った。セックスして夕飯まで昼寝して夕飯に高橋の作った豚のしょうが焼きを食べて風呂に入ってセックスして寝た。
 朝起きてマナミを途中まで送っていって部屋で何も考えずにインターネットをいじくってオナニーしてまた寝て起きて軽く飯食って深夜のコンビニのバイトへ行く、これが高橋の今の人生だった。クソだと高橋は思った。

 鈴木が珍しく話しかけてきた。
「お前、彼女いるんだろ? いいな」
 感想を述べただけに近かったが、高橋は少し嬉しくて返事を考えたがやっぱりこれしか思いつかなかった。
「普通だよ」
 思いのほか嫌味な言い方になってしまって高橋は焦ったが、
「俺も欲しいな」
 と鈴木が普通に答えたのでほっとした。
「じゃあ作れよ」
 と笑って腕を掴んで言ったら鈴木は照れた笑いをした。
 鈴木は高橋がここへ来てから一ヶ月ほどで急に髪を明るい茶色に染めた。右耳にもピアスをあけ、朝のバイトの女の子たちにやたらと話しかけるようになった。その前からそうだったのかもしれないが、やっぱり、同じように、陰では鈴木は嫌われていた。鈴木は自分で良い所を殺しているのが分からないようなバカじゃないはずなのに事実そうしているから実はバカなのだろうかでもこいつはやっぱり本当に頭がよくて知識が豊富だから人脈はあるんだよなと高橋は思った。麻雀をやろうと言えばすぐに五人は集まった。
ニ十一年間生きてきて、鈴木は女と付き合ったことが一度もなかった。小心者で、風俗にも手を出さないから童貞だ。童貞の焦りがもろに出てるなと思うとなんだか鈴木がかわいそうになってきてアドバイスをしたくなったがそれは降参した丸腰の相手にバズーカ砲でとどめをさすような気がしてやめた。自分で気がついてくれ、鈴木。
 そうは思っても、高橋は頭の中で鈴木のモテポイントを探すのであった。
 鈴木はギャンブルが好きだ、麻雀、競馬、パチスロ、ナンバーズ、TOTO、……スポーツもやらない、バンドをやるわけでもない、身のこなしが軽いわけでもない、飛びぬけて顔が良いわけでもない、頭は良い、あ、ゲームが大好きだ、……マニアックな人にはモテるじゃないか。
 今日も昨日もおとといも先週も先月も、変わらず深夜の来客数は少なかった。客が少ないせいで、顔と買っていく物を覚えてしまう。アイスばかり買う客はアイスというあだ名になるし、エロ本を買っていく客はエロ本というそのままのなんのひねりもない幼稚なあだ名がつく。モニターに「焼きうどん」が映ると休憩室の入口付近に座っていた鈴木がレジに出た。それとほぼ同時に二人の客が店内に入ってきた。女だった。一人はピンクのキャミソールワンピース姿で背が低く、髪はセミロングで綺麗に整ったストレート、一重で切れ目だが笑っている顔はとても可愛く優しげだった。もう一人はピンクの娘より頭一つ背が高く、髪にはウェーブが掛かっていて、水色のチューブトップにラメの入ったジーパンという格好で化粧も濃かった。二人とも二十歳前後だろう。とりあえず、高橋はピンクの娘に一目惚れした。
「なに、突っ立ってんだ?」
 休憩室の入口を塞ぐように立っていた高橋に鈴木は言った。
「なあ、あの二人組、女の、可愛くない?」
「どれ」
 鈴木はレジを出ると商品をチェックするフリをして店内を一周してきた。
「まあまあだな、水色が可愛いな」
「え? 断然ピンクだろ」
「背の低いの? ロリコン?」
「アホか、十分女じゃん、胸もありそうだ」
「俺は水色だな」
「ピンクだろ」
「水色」
「ピンク」
「水色」
 そう言って鈴木は高橋を押しのけて休憩室に入りまた雑誌を広げた。
 高橋はそのままレジの前で待機することにした。店内を見張るフリをしてピンクに目をやる。女は小さい方がカワイイしなによりエロさが半端じゃない、あの小さな腰を一所懸命振り、小さな口でチンコを咥え込み、抱きつき、抱きかかえている姿を想像するだけで勃起してくる。事実、高橋は痛いぐらいに勃起していて、先端が湿っていることも十分に分かった。あの娘の小さなマンコにぶち込みたい、そんな妄想しか頭に浮かばなかった。マナミは、百七十ある高橋の身長と同じぐらいで、可愛さをあまり感じなかった。マナミの前に付き合っていた女も同じようだった。高校生の頃に一目惚れした娘に対しては手をつなぎたい、横に座りたいなどという欲求が湧いたが、今ではセックスがまずしたくなる。セックスの悦びを知ってしまったからだろうなと高橋は思った。鈴木には分かるまい。高橋は癖ですぐに女を見ると喘ぎ顔と喘ぎ声を想像してしまう。だから、早くピンクの声が聞きたかった。
 カゴを両手で持つピンクの姿はまるでお母さんと買い物をしているようでたまらなく可愛かった。水色があれこれと買う品を決めて、それにピンクが頷く形だった。控えめな所がますます気に入った。高橋はどちらかというとサディスティックな面を持っているので、ピンクに淫語を言わせて羞恥にゆがむ顔を見たくなった。手足を縛って目隠しをして、意識が飛ぶまでクンニをしたくなった。
 よいしょ、と言ってピンクはレジにカゴを乗せた。その声は幼すぎず大人びてもいなく、まさに高橋のチンコに響くモノだった。カゴには、プリン、ヨーグルト、丸ごとバナナ、サンドイッチ、缶チューハイ、ファッション雑誌、スナック菓子、まんじゅう、ガム、ライターが入っていた。ライター、タバコでも吸うのだろうか、タバコを吸う女は嫌いだ、タバコを吸う女のマンコは臭いと聞いたことがある、きっと水色のほうだ、マンコの臭そうな顔をしている。
高橋はピンクの顔が見られなかった。顔を少し上げるだけでそこは天国だというのに、ピンク天国、桃色天国だというのに、それができない自分に心底驚いた。レジを済ますまで、一度も、ピンクの顔を見られなかった。気づいたら、もうピンクの後姿しかなくて、そんな自分が情けなくて、そんな情けない自分を発見して驚いて、中途半端に暖めたハンバーグ弁当を半分残して、ゴミ箱に放った。
「もったいね」
「……どうせ、廃棄だ」
 湿ったトランクスだけが自分の味方のような気がした。

 土曜日までにピンクと水色は三回来た。もちろん服装は以前と違ったが一度そう決まると呼び方は二度と変わらない。それと正確には、二人で来たのが二回で、水色だけだったのが一回だ。水色だけだったときは鈴木にレジをやらせた。
 ピンクが来た二回も、結局顔を間近で見ることができなかった、まるで小学生の初恋だなと高橋は思った。桃色天国はいつまでおあずけなのか。
 マナミが普通のOLをしているので高橋もそれに合わせて日曜日を休みにしている。
 朝、いつもと変わりなくマナミがやってきて、とりあえずセックスをした。もうそれが習慣になっていて、当たり前になっていた。当たり前のセックス、気持ちがいいことは気持ちがいいが、高橋は何か物足りなさを感じていた。それはマナミも同じかもしれないが、少なくとも高橋は、ピンクとセックスがしたいとマナミのマンコを舐めているときも腹に射精するときも思っていた。マナミのように、毛が深くてヒダの厚いマンコではないのだろうなと思うと勃起が持続した。乳首をつねりながらクリトリスを歯で剥く、そのまま思い切り吸いついて、快楽に歪むピンクの顔が見たかった。
 いつもと変わらないショッピングモールコースでマナミと一日を過ごした。会話の内容は大概、仕事場の出来事だった。
 寝る前のセックスで高橋はクンニが出来なかった。マナミのクリトリスを舐めているとそれがまるで大きなハエの卵のように思えてきた。殻を破り舌に這い出てくる蛆虫たち。ヒドイ嫌悪に襲われた。

 日曜日にピンクが一人で来たぞ、と言う鈴木の言葉で高橋は次の日曜日にシフトを入れた。マナミは激怒してついには泣き出してしまったが、その次の日曜日は必ず会うからと言って一方的に電話を切った。
 しかし日曜日にピンクが来ることはなかった。いつもと違う日曜専門の配送のオッサンに、新入り? と聞かれたが高橋は無視してやった。
 月曜日にピンクと水色が二人で来たが、火曜日はどちらも来なかった。水曜日に水色が一人で来て、木曜日に高橋はバイトを休んでピンクで妄想の限りにオナニーをしまくった。金曜日の今日は、二人ともまだ来ていない。
 鈴木は配達されたばかりの雑誌を棚に並べている。なかなか几帳面に並べるなと思いながら高橋はそれを廃棄のジャムパンをかじりながら見ていた。
「おい」
「え?」
「手伝えよ」
ははは、と笑って高橋も手伝ったらあっという間に片付いた。客も少ないし休憩にするかと言って二人は廃棄の中から弁当を選び温めて休憩室に引っ込んだ。
 今日は鈴木のお気に入りの雑誌が少ないようで、いつもは富士山のような雑誌の山が今日は天保山のようだった。
なあ、と久しぶりに鈴木が話しかけてきた。よっぽど時間を潰すものがないのだろう。
「なあ、未来が分かったら、どうする?」
「ん? なんだ急に? 雑誌にでも載ってたのか?」
 鈴木は鼻でふん、と笑うと首を横に振った。
「未来さ、予言っていうか、予知だな、先の事が明確に鮮明に分かるとしたら、お前なら、どうする?」
「……それって、どの程度分かるんだ?」
「そうだな……、一分、一秒の狂いもなくその未来の状況が事細かに分かる。例えば、一週間後の午後九時六分三十一秒、お前が何をしてるのか、目をつぶれば見えるんだよ。飯食っていたら、何を食っていてそれがどういう匂いがしてどういう味なのか、どういう状況でそのときに何を考えて飯を食ってるのかも、事細かに分かる。手に取るように、その時間に自分が存在しているかのようにな。そういう能力を持っていたら、お前なら、どうする?」
「急に思いついたのか?」
「いいから先に答えろよ」
 高橋は足を組み変えた。
「……試験だな、試験の問題を知って、もしくは回答を知って、楽に国家資格を取る」
なるほど、と言って軽い笑みを鈴木は浮かべた。
「でもこの能力があったらそんなものいらないんじゃないか? そもそも勉強せずに取っても使いものにならないだろ、現場で馬鹿にされるだけだ」
「……たしかにそれもそうだ、じゃあ、将来、俺がどうなるのかを見てみて、成功しているようなら見えるままに忠実に再現して進む、奈落の底に堕ちているようならそうならないように反面教師にするよ」
「そうか」
「お前はどうなんだよ」
「俺だったら、もちろんギャンブルだよ。競馬、ナンバーズ、すぐに結果の出るものに全財産投げて、短期間で一生不自由ないぐらいの金を作っておく。そうすればこの予知能力が突然使えなくなっても困らないだろ?」
「やらしいな」
「そうか? みんな金じゃないか? お前みたいに金が出てこない方がマイノリティだろ」
「そうか? 自分の寿命とか先に知りたくないか? 金があっても明日死んだら意味ねえよ」
「明日死ぬんなら競馬の結果は始めから見えない、それ以前に死を回避できるんだから、この能力は」
「……でも、糖尿病とか蓄積する病は回避するの難しそうだな」
そうだな、と言って鈴木は笑った。
「エビス」に呼ばれて二人はレジに出た。客に気づかないほど二人で話すのはここにきてから初めてだった。
ありがとうございました、と言って高橋は店内を見渡したがピンクは来ていなかった。
「金な……ギャンブルって言ったけど、銀行強盗する奴もいるだろうな」
「ん?」
「いや、今、レジ触って思ったんだけど、金をひったくって逃走しても、その行方追えないぜ、だって、未来が見えれば、警察に捕まることを予知できるんだ、回避できるんだよ」
「ああ、まあな」
「だから、人を殺しまくる奴もいるかもな」
「……そういうことに悦びを見出す奴もいそうだな、金なんかより」
「女とセックスするより人を殺すことで射精するって奴も実際いるしな、そういう変態が」
 鈴木がセックスという言葉を使うと違和感があるなと高橋は思った。童貞にはセックスなんて神の言だろうに。
「でも、こんなことありえないんだから、鈴木、真剣に考えても無駄だぞ」
「はは、そりゃそうだ、ま、何にしろ、危険な能力だよ」
「なあ、なんでこんなこと、急に思いついたんだ?」
「あ、そうそう、昨日、二人で来たんだよ、ピンクと水色、お前休みだったな、残念だったな」
高橋は苦笑した。ピンク、と心の中で呟いた。
「その二人が、話していたんだよ。後ろを通りかかったときに聞こえてさ」
 高橋は鈴木の腕を掴んだ。
「ど、どんな風に話してた?」
「なに興奮してんだよ。冗談じゃなくて、本当にそういう人間がいるんだって、真剣そうな感じだったぞ。ちょっと怖いくらいだった。だから、俺も気になった」
「……ふうん、そうか」
 高橋はこの時、今までにないぐらいに脳みそをフル回転させていた。
 これで、話しかける口実が出来た。
 まず、未来が見えるとか予知がどうのっていう話してたよね? と聞く。
 あ、聞かれちゃいました? はずかしい、とピンクが可愛く答える。
 あれって、何の話だったの?
 え、もし、将来のことが分かったら、自分の彼氏とか、出会う男の人とか全部分かるじゃないですか、自分の失敗とかも、だから、すごくいい人間になれるんじゃないかって。
 そうだよね、僕も実は君の話が聞こえちゃった時に考えててさ、自分が悪い行ないをしたり迷惑をかけてしまったときに後から反省するの嫌で、先にそれを防ぐことが出来てさらには人の役に立てたらいいななんて思ったんだよね、かといって、未来が見えるという特別な能力を持っているからこそそれが出来るわけで、もちろん見返りなんかいらない、慈善事業なんていうと聞こえが悪いけど、じゃあボランティア、ボランティアで人の不幸を未然に防いで全国を回りたいね、と遠くを見つめるように大きな男の顔をする。
素敵、私もそんなの憧れちゃう、今度一緒にご飯でも食べながらお話しませんか? 未来の、二人の未来なんか話たりして、きゃ、とピンクは頬を赤く染める。
これだな、これだ、完璧だ、これでマナミとはおさらばだ、ピンクとオマンコだ。
「なあにニヤニヤしてんだよ、客来てるぞ」
 高橋が目を合わせると「梅ガム」は小首をかしげた。
 
 ピンクが来たのは三日後の月曜日だった。……水色もいやがった。
 何度見ても、見れば見るほど、ピンクは可愛さを増しているようだった。雑誌を捲るその指で自分も捲って欲しいと高橋は思った。店内をゆっくり徘徊するその姿に、それだけでもう、釘付け、ヨダレが垂れそうな勢いだ。だからなおさら、これからのことを考えると、高橋は激しく緊張した。高校生のときに一目惚れした娘に告白したときよりも緊張しているかもしれない。あの時はフラれてしまったがそうなることを分かっていたというのもあってショックも緊張もたぶん当時思っていたよりも少なかった。マナミもその前の彼女も愛の告白は向こうからだった。だから、この感じは久しぶりだ。話しかけるだけ、それがこんなにも苦しいとは、童貞でもないのに、手をつないだこともない純情ボーイでもないのに、心臓の高鳴りがコンビニのダサい制服を震えさせていて、それがすごく恥ずかしかった。
 来た。
「い、いらっしゃいませ」
 声が上ずってしまった……二人は大してそれに反応しなかったが高橋はいっきに汗を掻いた。瞬間発汗選手権の最中ならば間違いなく優勝できただろう。
「こ、この前」
 と心の準備が整う前に口からセリフが出てしまって高橋は慌ててバーコードリーダーを落としてしまったがもう野となれ山となれ状態で意を決して続けた。
「未来が、見えるとか、予知、だとか、そんな話、してなかった? して、ませんでした?」
 高橋は顔を上げることが出来ずうつむいて商品を袋に詰めながら言った。ピンクと水色は顔を見合わせた。そして、言った。
「……聞いてたの?」
 答えたのは水色だった。死ね、ブス。
「……ん、聞こえた、んだ」
 再びピンクと水色は顔を見合わせた。水色は眉間にシワを寄せていた。ピンクの顔は見られなかった。
「……言わないでよ、言わないでよマジで、それ」
「……え、言わない、って?」
「私達がそういう話をしていたことを、絶対に誰にも言わないで」
 水色が強い口調で言うので少し腹が立ったがその中になぜか罪悪感のような言い様のないもどかしい申し訳なさが含まれる奇妙な感情まで混じってきて、高橋はよく分からなかった。
「え、ああ、分かったけど……」
「分かった? ホントに? 絶対に言わないでよ、誰にも、ホントに、シャレにならないから、マジで」
「ハルナ、なんかこの人、言いそう」
「え?」
 初めて高橋はピンクの顔を正面から見た。目を見た、目を合わせた。顔にあるパーツを全て捉えた。整った眉、小さな鼻、流れるような切れ目、弾力のある唇、張りのある淡い桃色の頬、澄んだ眉間、シャープなこめかみ……わりと、普通の顔に思えてきた。
「ホントに、言わないでよ、シャレにならないから」
 と最後に念を押して二人は去って行った。
 高橋はレジの横にある割り箸をいくつか手に取って、しばらく時計を見つめていた。休憩室に戻ると高橋は鈴木の肩に手を置いて、首をゆっくりと横に振った。連絡帳に「予知能力の話はタブー」とだけ書くと、鈴木にレジを任せて、高橋は定時まで寝ることにした。

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