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僕は僕に“盾”を配りたい -アメリカ留学奮闘記(前編)-

これは私が2022年の9月から2023年の8月までの1年間、アメリカのボストンに留学したときの奮闘記(前編)である。

*瀧本哲史氏の著書、「僕は君たちに武器を配りたい」の題名と構成を参考に書いていますが、本著の内容と当ブログは全く関係ありません。

1.「何故、数ある武器のうち矛ではなく、”盾”なのか。」

何故このようなタイトルで、何故このような内容を書こうと思ったのか。それは、アメリカ・ボストンにあるHult Internatioanl Business Schoolに入学し、初めての英語の授業、初めての外国人とのシェアルーム生活、多様化された価値観の違う生徒とのグループワークで、時に悩み、時に自分の無力さに落胆し、時には不安に押しつぶされそうになり、そのような経験を乗り越えた今だからこそ、今後の長い人生における自分自身を守るための術、すなわち”盾”を配りたいと思ったからだ。

一方、今までの人生を振り返ると、”矛”を持ち、失うものを恐れずに攻めてきた方だったと思う。基本的には自分は良くも悪くも衝動的に駆られて判断、行動してきた。しかしその後、悩むことが多かった。Hult への留学もその代表例だ。社会人一年目の年末、祖母の家のこたつで仕事の勉強をしながら、たまたまYouTubeでHult International BUsiness Schoolの紹介動画を観たのがHult を知った初めてのきっかけだった。その半年後、アメリカの大学院を留学したいという思いを捨てきれず、Hultへの入学試験の申込をし、アドミッションの方々のサポートもあり、翌年度の入学が決まる。

その後、会社へアメリカの留学を理由に会社を辞める旨を上司に伝えると、上司からは「お前はまだ、社会人としての戦闘力が低いからもっとこの会社で力を付けてから留学した方がいい」と口を揃えて言われた。当時はHult卒業後のキャリアプランを明確に考えていたので、上司の言う事の聞く耳を全く持たなかったが、このブログを書いている今、将来のキャリアについて決めきれていないことを考慮すると、当時の上司の言う通り、もう少し前職の会社で修業し、専門性と戦闘力を高めてから留学した方が良かったかもしれないという後悔は無くはない。

前置きが長くなったが、衝動的な行動的によって得たものは多く、行動しなかったよりは100倍マシだったと思う。そして、20代も折り返しに差し掛かり、失うものが何もない今、たとえリスクが伴うようなことでも果敢に挑戦行きたいと思っている。しかし、今後の人生で必ず降りかかるであろうプレッシャーや不安から自分自身を守るための術を、今回このHultでの経験を元に自分へ対してアドバイスをしていきたい。

2.  「一つ目の盾:できる準備は最大限しろ」

一学期(秋・冬)を振り返って最も印象に残っていることは「最初のグループワークで何もバリューを発揮できず、死ぬほど悔しい思いをしたこと」ことである。

今までの私の人生を振り返って、部活、ゼミナール、サークル、インターンシップ、会社での幹事等、組織の中ではなにかとイニチアチブをとってきたつもりだった。しかし、Hult へ入学してからのグループワークでは、自分がこれまで培ってきたリーダーシップを全く生かせず、何度も落胆した。

当時、5人のグループを2,3人の二つのグループに分けて、プロジェクトを平行して進めていたのだが、私は3人のグループに属することになった。しかし、とあるデータ分析の授業のプロジェクトのミーティングで、3時間以上もの間、フランス語でディスカッションが行われた。なぜなら、私以外の二人はフランス語が第一言語であり、私を入れて英語で話し合うよりもフランス語で話し合った方が効率的だと考えたからだろう。私はその場にいるのにも関わらず、あたかもその場にいないような扱いを受け、これほどにもない屈辱感を味わった。

しかし、いまさら「俺も英語でディスカッションに混ぜてくれ」など言えるはずもなく、ただ彼らの横でひたすらパソコンの画面を眺めていた。なぜなら、授業中のグループワークでのディスカッションで「あなたはどう思う?」といつも自分に対して親切に質問を投げかけてくれてくれたのにも関わらず、アイデアや自分の意見を共有できなかったからだ。もちろん、慣れない英語の授業や課題をこなすだけで精一杯だったという言い訳もあるが、完全に「準備不足だった」。事前にやれたことはいくらでもあった。授業の予習ももっと丁寧に行って、授業でのグループワークでもっと貢献していれば、プロジェクトのミーティング時に、もっと自分の声や意見に耳を傾けてくれたかもしれない。今振りかえると英語力や専門性がない自分にとって、グループワークでどれだけチームに貢献できるかは、授業を受ける前の「準備」で決まると言っても過言ではないと思う。

Hultでのグループワークだけでなく、ビジネスでもいくら準備したところで、予測不能なことや自分ではコントロールできないことに直面することはあるだろう。

野球のイチロー選手が「私が練習や試合前に入念にストレッチをするのは、本番でミスをしたときの言い訳を最小限にするためだ。」と言っていたように、準備や予習をすることの目的は「自分でコントロールできる部分を増やし、コントロールできない部分をできるだけ少なくするため」であると思っている。

3. 「二つめの盾:コミュニティを分散させろ」

前述したように、最初のグループワークでうまくいかず、徐々に自信を失いかけていた。それでもつぶれずになんとか一学期を乗り越えられたのはタイトルにある通り、コミュニティを分散させることができたからだ。

特に、Hult Toast masters Clubというパブリックスピーキングクラブに入部し、「人前で話すことのコンプレックス」を解消できたのは人生におけるターニングポイントになったと思う。私は中学時代に部活動やっていたときから社会人に至るまで、人前で話す機会が多かったが、人前で話すことにかなりの苦手意識があった。

特に社会人時代、三か月に一回ある人事異動のタイミングで、私は下っ端銀行員として送別スピーチをしなければならなかったのが、私にとってそれはかなりの苦痛であった。そのコンプレックスを解消するべく、巡り巡りで出会ったボイストレーナーと一カ月間、毎日仕事終わりにスピーチの練習や、人で溢れかえる週末の新宿駅の周りをコイキング(ポケモン)の着ぐるみを着て歩き回るという身体を張ったことまでしてきたので、「スピーチがうまくなりたい」という思いは人一倍はあった。

Hultに入学してから、自分で「TED(世界最大のプレゼンプラットフォーム)のような、誰もが自分自身のストーリーを語れるような場所を作りたい」という思いがあった。しかし、たまたま偶然、Hultの同級生がToast Master clubというパブリックスピーキングクラブを立ち上げていたので、すぐさま初期メンバーとして加入させて頂いた。

その後、クラブ活動内で私のスピーチを聞いてくださったHult Mentor Club の代表者の方から、彼が主催するイベントに招待して頂き、ゲストスピーカーとして「どうすれば、人前で話す恐怖を超えることができるか」という題目の元、スピーチさせて頂いたことは自分にとってはとても光栄であり、前述したように、10年以上も拗らせ続けていた人前で話す恐怖から解放されたターニングポイントになった。

4. 「三つ目の盾:考えすぎるな」

今になって振り返ると、Hultでの生活の悩みの原因のほとんどが「考えすぎ」であったと思う。価値観や文化の違い等によって、自分の思い通りにいかないことや自分でコントロールができないことに直面することは日常茶飯事なので、それらについて思い悩んでいた時間は無駄だった。

冒頭に説明したビジネスチャレンジというビジネスコンテストでは、準備期間の3日間、チームのメンバー達と度々衝突した。ビジネスコンテストのプロジェクトが始まる前、私のチームにいた絶対的存在のリーダーが病気によってドロップアウトしてしまった。初日のミーティング終わった直後、偶然会った日本人の友達に、「自分が正しいと思っているプロジェクトの方向性と他のメンバーの考えている方向性が合わなくて、先行きが不安だ」と相談したところ、「説得できないんだったら、対立している他の奴らに任せてお前は適当にやったらいいんじゃね。」というアドバイスをもらった。絶対的存在のリーダーがドロップアウトした今、どうすれば、自分がうまくイニチアチブをとって、チームの成功に導くことができるかを常に考えていた自分にとって、”降りる”、つまり他のメンバーに従うという選択肢は自分にとってパラダイムシフト(ものごとへ対する見方が変わる)だった。

結局、自分は彼のアドバイスを汲み取り、他のメンバーの意見を尊重し、チームへ対してできる最大限のタスクをこなすことを条件にミーティングには参加しないという姿勢を取った。何故なら、フォロワーとして自分が正しいを思っている考えを押し殺しながら、ミーティングに参加する精神力を持っていなかったからである。後にこれがトラブルとなったり、チームが二つに分裂したきっかけとなった通り、フォロワーとして徹するのであれば、過去の栄光やプライドを捨てると同時に、「こうすればうまくいくのに」といったような考えることを辞め、リーダーの言う事を素直に聞くというのも「強さ」の一種であったと思う。この一連の話をブラジル人のルームメイトに話した後に返ってきた「Be Strong」がすべての答えだったと思う。

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