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自由意志は存在しない? - 超常現象を信じる人ほど自由意志を感じる? - 意識は世界に1つだけ?


自由意志は存在しない(幻想)

アメリカの神経生理学者、ベンジャミン・リベットによれば、ある選択が意識に上る前、典型的には一秒前から、脳の中にはそれを準備する活動が生まれている。

また、他の様々な研究グループのデータによれば、意識に上る数秒前、場合によっては十数秒前から、ある選択肢に向かう神経活動が見られることが分かっている。時間的なスケールは統計的な条件に依存しているものの、実際にはかなり前から選択肢が準備されている事例がある可能性が高い。

クオリアと脳(著:茂木健一郎)

以前、水曜日のダウンタウンという番組で、「定期的にカレーの匂いをターゲットに偶然を装って匂わせ、最後に3つほどの屋台を見させて何を選ぶのかを検証する」という実験が行われていたのを思い出した。

最終的にターゲット全員が、企画の意図通り、カレーを選んだ。彼らの中では、その選択が意識に上る前から、その選択肢に向かう神経活動が生じていたのだ。(カレー自体に求心力があるという見方もできるが)ウィル・スミス主演の映画「フォーカス」でも、「人の無意識に外部から情報を入れる続け、規定していって、相手の選ぶものを導く」という場面が描かれていた。情報操作や洗脳の恐ろしさ人間の脆弱さが描かれていた。

でも、この「自由意志がない」という事実を知ることで、
「無意識を整えていく」という行動をとることができるようになる。
「自分の無意識が何によって規定されているのか」を知ることで「どういう条件があってその選択や行動が起きたのか」が知れる。ifで見れるようになる。そして、能動的に脳のパラメーターを整えて行こうという姿勢が作られる。

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無意識という自然を耕す方法を考える.
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Chocco

「自由意志はない」ということを知れば「人はすぐには変わらない」ということに気づけるようになる。「偽りの期待」を自分にも他人にも持たなくなる。すると、『日々少しづつインプット・アウトプットするもの、自分が置かれている文脈を変えていこう』というような「努力の余地」が生まれる。

「自由意志がない」ということを知った瞬間から広大な世界が広がる。

つまり「脳を含む世界が因果的に決定されているということ」と「私たちが自由意志という幻想を持つこと」は「両立」する。これが、自由意志の本質として今学界で主流となっている「両立説」の説くところである。

実際には、私たちの行動は物理法則によって決まっているのに、自分で「自由」に選択できると意識の中では感じ、思い込んでいる。これが、科学的にみた、現時点での「自由意志」の正体である。

自由意志は幻想で存在しないことを受け入れるとかえって自由になれる

「脳を含む世界が因果的に決定されている」とあるが、これは「ラプラスの悪魔的に全てを予知できる」という意味ではなく、

「気分、記憶、経験など様々な物理的な要素の影響を受けた脳が物理法則に従う。その結果、その物理法則の影響を受けながら無意識が選択肢を用意し、ある選択が促される。だから脳を含む世界が因果的に決定されている」

という意味で使われている。

ちなみにラプラスの悪魔は、量子の存在によってミクロレベルで見れば未来は不確定、ランダムあるということが分かってから否定されはじめた。しかし、量子力学に隠された理論を見つけることでその動きを予測することができるという「超決定論」という立場も存在している。

では、意識の役割とは?

無意識が選択肢を用意しているならば「意識の役割」はなんなのか?という疑問が湧くと思う。それに対して著者は以下のように考えている。

意識は、無意識の準備した選択肢の「実行 or 拒否(制御)」をする役割を担っていると考えられる。無意識から湧き上がってきた選択肢に対して「拒否権」を発動するツールのようなもの。無意識的な行動の開始を意識的に拒否する能力。

クオリアと脳(著:茂木健一郎)

自由意志を感じることの重要性

【自由意志を感じることの大切さ・メカニズムについて】
自分が「自由意志を持っている」と感じられるということが、その人の「脳」が「健康」であることの一つの証拠になる。脳の感覚、運動、前頭葉の注意、実行などの回路が総合的に働いた結果として、自分が自由意志を持っているという感覚が生じる。

自由意志は、脳が自分自身をモニターする「メタ認知」の結果、さまざまなチェックリストがクリアされて最終的に「総合判断」された、いわば脳の「健康診断」の結果であると言うことができるのである。以上の事情を別の形で表現すれば、自由意志は、脳がつくり上げた壮大な「幻想」であるということになる。

脳は物質である以上、それは自然法則に従う。私たちが「自由意志」を感じるからと言って、私たちの「意識」が物質である脳に介入して、その振る舞いを自由に左右できるわけではない。今のところ介入できることを示唆するような証拠はない。

クオリアと脳(著:茂木健一郎)

超常現象を信じる人ほど自由意志を感じやすい

確かに、マトリックスやアバターなどといった超常現象や神秘が描かれている作品を見た後の自分の状態はいつもとは違う。『哲学、形而上学の「水槽の中の脳」が現実世界においても十分あり得るのではないか』というような妄想をしているときなどに「自由意志」なるものを強くを体験していた。

そしてこの現象は、自然や宇宙を前にして、ちっぽけな自分を感じることでエネルギーが沸き起こるという「Awe体験」とも関係しているのでは?とも思った。「その存在に圧倒される感覚」「自分のちっぽけさを感じてエネルギーが沸く」という部分で。

茂木健一郎の2014年の論文によれば、ある人の持つ「自由意志」の程度と、その人が「超常現象」をどれくらい信じるかということの間には統計的に有意な相関がある。すなわち、UFOや生まれ変わり(reincarnation)といった、現代科学からすれば否定される、あるいは疑わしいことを信じている人ほど、自分自身が「自由意志」を持っていると強く感じている。

このことは、自由意志という幻想がどのような生存上の利点をもたらすかということと関係している。実際、私たちの日常に照らし合わせても、事業を起こしたり、芸術などの表現で成功している人の中には、科学的な観点からみると、明らかに偏見や思い込みだと思われるような強い信念を持っている人がしばしば見られる。

何かを思い込んでしまうことで考えや行動が偏ってしまったとしても、それを補って余りある行動力があれば、結果として成功することもある。「自由意志」という幻想が、そのような人の行動を支えている。

クオリアと脳(著:茂木健一郎)

この宇宙に意識は一つしかないという説

【エピローグ】
昔、ある物理学者が、この世界の電子の質量がみな同じなのは、実はこの宇宙には電子が一個しかないからだと言ったように、実はこの宇宙には意識は一つしかないのだ。一人一人の意識が別々にあるというのは、生命を維持する上では必要な、しかし究極的には間違っている幻想だ。
【あとがき】
「世界に電子が一つしかない」という説は、偉大な物理学者のジョン・ホイーラーが語った考え方である。

クオリアと脳(著:茂木健一郎)

「電子が実は一個しかない、意識も一つしかない」という考え方は、東洋哲学や神秘主義で見られる「全てはひとつ」「宇宙を含む私たちはつながっている」というような観念と共通しているなと思った。神秘主義者と科学者は、それぞれ別の角度から「同じ観念」を見ている。

また、脳出血によって左脳機能を損なったのジルボルトテイラー博士(神経解剖学)は、その影響によって「宇宙との一体感を感じた」「自分の境界線がわからなくなった」というような体験をしている。この彼女の体験も、「個々の意識」というものは脳が作っている幻想で、本当は意識は世界に一つしかない。というようなことを示唆している。

「一人一人の意識が別々にあるというのは、生命を維持する上では必要」だから「各々に意識が与えられることになった」という解釈が引用にある。これは「意識が一つのままだと生命を維持しづらくなる」ということだが、
では、なぜ、それだと生命を維持しづらくなるのか?

「一つの意識」が全ての生物を制御するとなると、その一つの意識が誤った判断をした場合、全体が影響を受けてしまう。だから意識を各々に分散させるようになった。という見方ができる。生物全体を豊かにしていくためには多様性が必要だということだ。
『例えば、一種類の車だけを製造していたら、欠陥があると全てリコールで撤去されるが、色々な種類の車を作っておけば変えがきく

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