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千人伝

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様々な人の評伝「千人伝」シリーズのまとめマガジン
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記事一覧

千人伝(二百六十一人目~二百六十五人目)

二百六十一人目 石弦 いしづる、とも、せきげん、とも呼ばれる、弦楽器に張る弦のようになるまで、石を削って作る楽器がある。その演者であった。いしづる、と、せきげん、という二人組であったが、混同して一人と思われることが多かった。 その特殊な製法により、一個の石弦を完成させるためには数十年の月日を要した。弦が一本切れてもその修復に数年かかってしまう。繊細な演奏力を必要とするため、石弦と石弦の二人は何も壊さないように、常に何かに触れるか触れないかの距離で過ごした。愛情の交歓もその

千人伝(二百五十六人目~二百六十人目)

二百五十六人目 トースター トースターは毎日焼いたパンを食べ続けた末に、トースターを名乗り始めた。周囲には唐揚げやらフライパンやら名乗る奴らもいた。トースターは電気代を節約するために、自らの熱で食パンを焼くことを覚えた。かなりの高熱を発することで、キツネ色に食パンを焦がすことができるようになっていた。 しかしその熱量は日常生活には不便をもたらした。手を繋ぐことができなくなったので恋人には逃げられた。書類はすぐに焼けた。キーボードのアルファベット表示が焼けて見えなくなってし

千人伝(二百五十一人目~二百五十五人目)

二百五十一人目 用事 用事はいつも用事を忘れてしまっていた。役所に行くたびに忘れてしまうのだった。病を経て、生活状況が変わり、たびたび役所へ赴かなければいけなかった。そのついでに、役所へ提出する書類の一つを出そうと考えていたのだが、別の用事を済ませすると、いつもそのことを忘れてしまうのだった。 用事は常時酷い耳鳴りに悩まされており、特に静かで閉鎖された空間において、耳鳴りは彼を圧し潰した。役所に行くたびに、ついでの用事を忘れてしまうのは、一刻も早くその場所から逃げ出したい

千人伝(二百四十六人目~二百五十人目)

二百四十六人目 ゴーストタウン ゴーストタウンはゴーストタウンに生まれた。人のいない街だった。かつての人の名残もほとんど消え失せた街だった。ゴーストタウンに迷い込んだゴーストタウンの親は、ゴーストタウンを産み落とすと同時に亡くなってしまっていた。ゴーストタウンが物心つく頃には風化してしまっていた。 ゴーストタウンを育てたのは街のゴーストたちだった。ゴーストタウンには多数のゴーストが住み着いていた。かつての住人やペットのゴーストもいれば、街そのもののゴーストもいた。ゴースト

千人伝(二百四十一人目~二百四十五人目)

二百四十一人目 ヘヴィメタル拾い 重いギターリフが繰り返されるヘヴィメタルが、長距離トラックからこぼれ落ちると結晶化する。ヘヴィメタル拾いはそれらを拾い集めて生計を立てていた。 シティポップ拾いに転向したかつての親友が、小銭しか稼げないヘヴィメタル拾いを眺めて呆れていた。ヘヴィメタルを鳴らしながら走るドライバーも年々減っていた。 売り払わなかった結晶の一つを家に持ち帰ると、「またそんな物を」と言いながらも、ヘヴィメタル拾いの妻は嬉しそうな顔をした。 二百四十二人目 オ

千人伝(二百二十一人目〜二百二十五人目)※入院中反映

二百二十一人目 脳脊髄液減少症 脳脊髄液減少症は、脳を浮かべる脊髄液が減ってしまっていたため、骨に脳が当たるなどして、激しい頭痛やめまいや吐き気などを起こし続けていた。液が漏れて減ってしまった原因は不明であった。縦の動きが辛いため、しゃがんだり立ち上がったりを繰り返すと、まともに立っていられないくらいの頭痛に襲われた。 脳脊髄液減少症はどのような頭痛薬も効かなくなった際に病院を訪ね、即入院となった。頭をなるべく持ち上げないようにして安静を命じられた。脳脊髄液減少症は本を読

千人伝(二百三十六人目〜二百四十人目)

二百三十六人目 捜索 捜索の趣味は捜索であった。行方知れずとなった人や物を捜索しては見つけていった。見つける人や物を見つけ尽くした後は、捜索対象を創作した。架空の行方不明者の詳細なプロフィールを作り上げた。ありもしない失せ物を完成させた。 捜索の創作した創作物の完成度があまりに高かったため、実在するのと変わらなくなってしまった。捜索より先にそれらを発見してしまう者まで現れた。 捜索は他の者に自分の創作した捜索対象を捜索されまいと、創作ペースをあげた。しかし創作活動が忙し

千人伝(二百三十一人目〜二百三十五人目)

二百三十一人目 外界 外界は外界を認めなかった。病院で生まれ育ち、外に出たことのなかった外界は、窓から見える外の景色を現実だとは言いたくなかった。ある日、陽の光が眩しいからと、自分の視点より下の窓を紙で塞いだ。本当は外で動く健常な人間の姿を見たくなかったためだった。  外界が外の景色に触れなくなってから、病院に入院する患者は増えた。外では戦争だとか爆撃だとかテロだとかがこれまでにない頻度で起こっているらしかった。病院の中は安全だったので、外界は外に出られない病の持ち主では

千人伝(二百二十六人目〜二百三十人目)

※入院治療中のため、サポート絶賛受け付けています。 二百二十六人目 病院怪談 病院怪談は怪談を人に聞かせることで生計を立てている怪談師であった。ふとしたことから入院するはめになり、この機会に病院での怖い話を集めようと思い立った。 しかし看護婦に聞き取りをしても「ありません」「知りません」の一点張りで、めぼしい話は集まらなかった。病院怪談は看護師たちは何かを隠しているのに違いないと考え、夜中にこっそりと病室を抜け出して病棟内を探索することにした。地面を這うように移動して、

千人伝(二百十六人目~二百二十人目)

二百十六人目 日雇い時代 ひやといじだい、は昔を思い出していた。日雇いで一日ごとに職場が変わった。楽な職場もあれば過酷なところもあった。明日はどんなところに行くことになるのだろうと、眠る前に考え始めるとなかなか寝付けなかった。ある日は資材トラブルで一日の予定が二時間で終了した。ある日は修羅場に放り込まれて長時間残業した。 古い時代のことであったので、その日の給料はその日のうちに日雇い元に取りに行った。いくらかの交通費と昼食代を残し、他はその日生きながらえるために使った。実

千人伝(二百十一人目~二百十五人目)

二百十一人目 スナップ スナップは、どこにでも映り込んだ。何気ない街並みを撮影すると、いつも片隅にスナップの姿があるのだった。ある時は柱そのものにスナップの顔があったり、米粒ほどのスナップが地面に落ちていたり、空に浮かぶ無数のうろこ雲の全てがスナップの顔であることもあった。 スナップの姿を写真の中以外で見ることはなかった。どこにでもいて、どこにもいなかった。 一時期、スナップの隣に、スナップと同じくらいの歳に見える人の顔が映り込むことがあった。時には寄り添い、抱き合い、

千人伝(二百六人目~二百十人目)

二百六人目 電撃隊 でんげきたい、は宇宙を守る電撃隊の一員であったが、電撃隊の解散後、各メンバーが素性を隠して一般の生活に戻っても、一人電撃隊を名乗り続けた。電撃隊の手からは電撃を帯びたビームが出た。しかし全ての敵と和解して平和をもたらした後では、ビームは無用の長物であった。しかし彼はいつまでも過去の栄光と活躍が忘れられず、家事にビームを有効利用しようとして何度もボヤを出して、住んでいたアパートを追い出された。 他の電撃隊のメンバーの家を電撃隊は泊まり歩こうとした。しかし

千人伝(百九十六人目~二百人目)

百九十六人目 読者 どくしゃ、は読みたい物を書こうと思った。自分が読みたいと思う理想的な書物は、どこにも見当たらなかった。好きな本はたくさんあったが、本当の理想の物語というと、見つけることが出来なかった。 読者は、自分のあらゆる好みを数え上げた。逆に苦手なタイプ、嫌いな話も数え上げた。読みたくない要素を一切書かず、読みたくなる要素だけを詰め込んだ話を書けば、理想の物語が出来上がるはずだった。読者は書き始めた。 しかしそううまく話は続かなかった。理想を詰め込んだ話はすぐに

千人伝(百九十一人目~百九十五人目)

百九十一人目 忘却 ぼうきゃく、はすぐに何でも忘れてしまった。今やらねばならないことも、絶対に忘れてはいけないことも、美しい思い出も、何もかも忘れてしまうのだった。忘却と過ごした年月は積み重ねられなかった。嫌な思い出も傷つけられた過去も忘却には刻まれなかった。 日常生活に支障を来たすものだから、彼女の周囲にはいつも忘却を世話する人がいた。あまりに覚えてもらえないので虚しくなり、去っていく者がほとんどだった。「はじめまして」と忘却は両親や兄弟にも言うのだった。「はじめまして