見出し画像

天野純希「もろびとの空」(そして回復についての長い自分話)

 羽柴秀吉による三木城攻めを題材にした時代小説。

 三木合戦は約二年に渡る。兵糧攻めを受けた別所氏は、城内に七千名以上の領民を受け入れたこともあり、飢餓地獄が城内を満たすことになる。最終的には亡くなった人までを食らわなければ生き残れない、城の攻め手に抵抗することも出来ないほどになっていく。

 私にとって非常に重要な一冊となった。
 天野純希氏の小説は、たまたま目についた「有楽斎の戦」に惚れ、「桃山ビート・トライブ」に熱狂し、戦国大名の父親達を書いた「燕雀の夢」で震えてきた。自分と年齢がそう変わらない時代小説作家に、これまでも既に惚れてはいたのだが、今作において、人生にまで影響をもたらしてくれた。

 私が本について書く時、内容のことばかりではない。自分と本との関係を書くので、作品とは直接関係のない個人的事情まで記すことがある。興味のない方はこれ以降飛ばしてくださって構わない。

 

 2022年2月5日の西村賢太氏の訃報に接して以来、私の心は、どことも知れぬ暗く深い場所まで沈み込んでいた。他人の死に敏感なところがある。殺人事件も外国の紛争についても知りたくないから、ニュース番組は見ないようにしている。大往生による老人の死以外、全ての死に自分は深く傷付けられている、と感じてきた。2006年、アベフトシと忌野清志郎が立て続けに亡くなった年に私は同じように沈んだ。遡れば、高校三年の時に引っ越しをした日、引っ越し作業員らが口にした「hideが死んだらしい」の言葉を聞いてから、ずっとそうだったのかもしれない。

 時間を置けば傷は回復し、これまでと変わらない日常を送れてしまう。しかしそれは見せかけ上だけで、実際には「回復した私」と「まだ回復していない私」は併存していて、外面上は「回復した私」で乗り切れていても、その横には常に「まだ回復していない私」が並び立っている。何かのきっかけで主従は入れ替わり、「まだ回復していない私」が表に出る。あるいはそれは、「もう二度と回復することのない私」であるのかもしれない。

 人の訃報だけでなく、別の事情でも私は沈んでいた。もう三年近く書き続けている掌編小説集がある。好きな曲に影響を受けて書く。子育てエッセイ的な内容も増えてきた。決して人の多い場所ではなく、マイペースに書ける投稿サイトを選んで書いているから、反応が多くないことには慣れていた。それでも昨年までは、熱心に読んでくださる方が毎回熱いコメントを残してくれており、それが自分の支えともなっていた。しかし年明けあたりから反応は薄くなった。仮に毎回反応をしてくれていた読者が三人だったとして、一人は作品に飽き、一人はコメントを残せない環境に変わってしまい、一人は急死してしまった、そんな想像をしてしまうほどだった。最新更新分ではとうとう反応はゼロになった。

 西村賢太氏の急死に繋がり、自分の執筆活動にも疑問が浮かんでいた。純文学系統の作品に触れた十五歳の頃より、自分もいずれ純文学系統の作品を記し、文芸誌に投稿して受賞し、華々しくそちら系の道を進んでいく、と考えていた。しかしいつまで経ってもそのような作品を書き出すことはなかった。
 ネットで安易に発表して反応を得る形に慣れてしまったせいか。
 長編として書くようなことが浮かばないからか。
 いざ賞に出そうと考えると固くなり、狭い範囲内のことしか書けなくなるからか。
 おそらくそれら全てだった。

 人の訃報に傷つき、自分の書いたものに反応もなくなり、いつまでも書き出せない小説に拘泥している。それら全て無意味なものと思えた。自分の生きてきたこれまで、生きていくこれから、全てが無駄なものと思えた。

 それでも本に手は伸びる。
 西村賢太氏の著作に触れれば、底なしに沈みそうな気がした。
 まだ読んでいない天野純希氏の作品を手に取る。
 それが「もろびとの空」だった。

 弱っている時に、人は感受性が最大限に開く。
 そこに「もろびとの空」が刺さった。串刺しにされた。貫き通された。
 序盤から既に涙ぐむところがあったが、中盤をいくらか過ぎたあたりで、涙腺は決壊した。飢えに蝕まれて狂っていく倫理観の中で、ささやかな恋が育まれる。
 最終盤、私は顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。幸い、妻が息子をお風呂に入れている間だった。娘は違う部屋にいた。一人きりで本に向かうという機会はめったにないが、その数少ない瞬間に遠慮なく涙を流せた。タイミングの良さに感謝した。
 読了後、三木合戦周辺のことを調べる。登場する各武将のエピソードを読む。
 そうしているうちに、私は沈みきっていた底からいつの間にか這い出していたことに気付いた。「二度と回復することのない私」はどこかにいなくなっていて、「いつのまにか回復していた私」が表に出ていた。

 文芸誌主催の新人賞が毎年募集されている。
 それらの募集要項を見るたびに、私は何かを書こうとした。
 だが少し書き出して詰まってしまう。
 大好きな作家の何番煎じか分からないような代物で、人に指摘されるまでもなく、駄作であることが分かってしまう。
 ならばもう、書かなければいいのでは?
 掌編小説なら書き続けてきた。
 これからも書き続ければいいのでは?
 書けないことに悩み、書かない日々を送っても、何も残らない。
 自分の好む作品形態が、必ずしも自分が書くスタイルに一致しているとは限らない。
 書けることを書ける時に書けるだけ書く。自分にとって自然なスタイルで。やりたい放題に。
 一日1200文字を目安に書き始めると、すらすら書けた。いつの間にか倍量に達している日もあった。ほとんど完成というところまで書いて、没にしたりした。一部のアイデアを利用して別物を書き上げた。

 そんな感じで先日からハイペースで掌編小説を書き続けている。
 長編小説を書かなくてもいい、と考えるとリミッターが外れたようだ。
 多数の反応をいただける作風ではないから、もうその辺は気にしないことにする。
 次に書くことを考えている時、書いている最中、その間は、最悪な未来を想像せずに済む。

 この一冊を読んでいなければ、私はもう何も書いていなかったかもしれない。もう何も読んでいなかったかもしれない。
 天野純希先生、ありがとうございました。


この記事が参加している募集

読書感想文

入院費用にあてさせていただきます。