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#3自分で決める感覚は手間暇かけて育てていきたい。

自分で決めるって当たり前なんだけど思ったより難しい。

「自然があるところに移住して、仕事も少し分野を変えてみようかな」

そんな話を母親や先輩にしてみた。

「大変なんじゃない?」
「もうちょっとまってもいいんじゃない?」

帰ってきた言葉はちょっと後ろ向きな言葉だった。

結構前からふわっと考えていたことなんだけど、現実的じゃないのかな?逃げてるだけなのかな?そんな気持ちもあってなんとなく蓋をしていたこと。

わたしは自分の気持ちに自信がなかったこと、そのそも自分の気持ちに気づくのに時間がかかるからその場面で1番良さそうなことを選んできた。

ただ、これを続けてると自分を見失うの。
私って何なんだって迷子になる。
これは前に経験しているからよく知っている。

だから今回、言葉にしてみた。

伝えてみて感じたのは否定的な言葉になんとなく悲しい気持ちになったってこと。

あとはちょっとゾクゾクした。
このゾクゾクはいままでだったら「そうだよね。やっぱりそう思うよね。」って自然に自分の気持ちを軌道修正していただろうということに気づいたから。 

人に肯定されない怖さとそれでもやっぱり私の気持ちがここにあることがわかったことが合わさって悲しいでもうれしいでもなくゾクゾクって感じがした。そして、それは私にとって心地よかった。

自分で決めるって周りの意見を無視してぶっちぎることではなくって、自分の気持ちを「ある」ことにして、そこからどうしていこうか考えていくことなのかなと今は思っている。

それでもやっぱり疲れたら人の意見に便乗するのが楽だし、新しいことをやるのは怖いから逃げたくなる。人の意見にもすぐ影響を受ける。それは長所でも短所でもある私の特徴。

野菜は一緒で太陽の光と水と栄養をたっぷり含んだ土が必要で、雑草を抜いたり間引きをしたり美味しく育つには時間も手間もかかる。
「自分で決める感覚」もきっと同じで手間暇がかかる。

私も「自分の気持ち」がぬくぬく育つ環境と栄養を手間暇かけて育てていきたいなと思った今日この頃。

今日のひとことmemo
・自分の気持ちを「ある」ことにする。
・自分で決めるの手間暇を楽しむ




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