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モヤモヤしている時間の先に

最近、漠然と気分の悪さというか

悪いというほどのレベルでもないけど重い…みたいな感覚がずっとあって

なんか重い、晴れない、つまらない、ぱっとしない。…気持ちがいいとか、綺麗とか、楽しいとか忘れそう

みたいな感じの気分が続いてた。

だからといってそれをどうにかする為の何かを探したり

やったりもなかった〝つもり〟。


そこまで悪くないって鈍痛のようで耐えられてしまうからそうゆう意味で立ち悪い。

それで何にも考えてないようで実は頭がパンパンだから

ぼーっとする時間を設けるものの何か考え続けていて

ますます終わりのないモヤモヤが募っていった。

なんとなく目にしてる情報も良さそうみたいな感覚で

沢山無意識に取り込んで、それに溺れてたりしてると思う。

でも見ながらウンザリしててどれも最後まで見れない。

やっぱり重たい所から無意識には抜けたいと思ってたから漁っていたんだろうと。

人は何も求めてないつもりでいても、そうやって無自覚に求め続けてるものなのかも。

さっき〝つもり〟と書いたのはそうゆう意味で

自覚のない目的地をあてどなく探して彷徨ってる感じというか。

目的地を設定する大切さを聞くけど

それはやっぱりそうなんだろうな。

そうした自覚が自分になくても

無意識に設定しちゃってるんだ、というのが今回の気分の悪さの感想で。

今の自分も環境や出来事や人という自分の外ではなく

自分の設定。

でもその気分の悪さでいるっていうなんのメリットもないようなことを

自分の設定していたのはなぜ?

みたいに思った時

どんな気分が悪くてもネガティヴでも

最低限、自分を大切にはしようみたいな意識があった。

って言葉にすると

ますます私の前提は気分の悪さがスタンダードみたいに思えてくる。

私は外で誰かが気分が悪いだけで私もそうなるところがある。

同調と同情が入り混じった上に

そうすることが相手を想うことで良いことになってたりする。

さらに自分にせいでこの人、気分が悪いんじゃないかと思ったりしてる。

そう思うことが良いことにやっぱりなっている。

ここまで書いてみると

私は良い人になりたいのだろうと思う。

そうゆう設定を持っている。

そして自分を大切にすると私がいう時それは

ネガティヴな時間や気分でいることを無下にしないというか

それを感じてもそんな自分を責めないということを意識してる。

でもこれをやる時、ミイラ取りがミイラになってるかも

と思った。

気分の悪さも大切にするって言って

気分悪くい続けるみたいな事をずっとやってるよなと。


同じ次元にいると救えないって話を以前から彼女のチャネリングで散々聞いて

それは例えば、

川で溺れて気が動転したり苦しかったりしてる人と同じように

気が動転したり苦しんでる所からは助けられないってことと同じで。

レスキューの人がそんな精神でいたらレスキューも出来ないみたいな。

それは何もスピリチュアルな話ではないし

次元って表現使うと途端にそんな感じするけど。

自分が分かる表現の人と出会えると、理解が早いというか。

だから好きという基準はとても役に立つと思う。


それで具体的にモヤモヤをどうするか?って話しをやっとすると

先に自分がどんな気分でいたいのか?を自分に聞いてあげるという事。

今回はhappyちゃん?もうhappyちゃんではないみたいだけど

下の動画が今の私には良かった。


でも実はこれも散々夢ノート使ってやってきてるんだけど

私の場合、それやってても気分が良くなってないのか⁈って部分と

しっかり認識が変わってきた部分もあって

現実に反映されないのは

見えないものへの信頼度がどのくらいか?という所が大きく絡んでると思う。


見えないものというのは

感謝とか、嬉しいとか、楽しいとか、感動するとか、優しい気持ちとか、リラックスした気分とか

そうゆう喜びの方の感覚。

こちらの感覚って体で感じる部分が軽過ぎて

それがしっかり在ると自覚しづらい。

その辺に話しはこのブログで詳しく書かれてた↓


良い気分でいる事をしっかり味わえてるか?

そしてそれを自分に許してるか?

結局、私の設定は

そうゆう事を感じるに値しないという低い自己肯定感にある気がしてくる。

今までたくさん触れてきてる誰かの良いものも

自分がそれについて心からの喜びやワクワクや感動がないと

現実に反映されない。

見えない方の感覚が立ち上がって

現実が作られる。

本当にそれを実感する。

気分が良くなった途端になかった連絡が来たりするから。


私の場合、好きな物やると苦しくなってやめてしまうというパターンがあって

それは自分が好きなことする時に

どうせ上手くいかないと思ってたり、失敗するとか、不安を念頭にちゃんと置いてから

それらをやってきてること。

そもそも自分が自分に喜びを感じる事を許可してないってこと。

そうゆう設定にする事で罰を与えるというか

その程度の存在だと無自覚に自分の存在を認識してる事。

そうやって全てを設定してきてることにある。

私はこの程度と小さい枠に押し込めてしまうように。


どんなに現実でアプローチしても変わらない理由は

現実は過去の思いの結果であって

未来を変えたいなら今どんな気持ちで「それ」をするか?という見えない想いの方が大切なこと。

そしてその事をどれだけ信じてるか?

「それ」という部分は人によって違うし、

生活の中でする当たり前のことだったりする。

信頼をどこに置くかが大切だし

そもそも自分が自分に与える事を許可してないければ

どんなにやっても苦しくなるだけ。

でもそうしながらも自分に向き合う事をやめなければ

変化するものなんじゃないのか?

現実に変化がなかったとしても

関わった過去が全部宝物になる

見方が180度変わる瞬間がある。

続けることで自分の喜びや楽しさやワクワクを感じる訓練になる夢ノートとか

怖い思いして飛び込んだこととか、痛い経験とか恥ずかしい思いとか

今までずっと低い所にいた私を

そうやって経験することでずいぶん引き揚げてくれた。

見える事も見えない事も大事にする

そのバランスが現実を動かしていく。

現実に対する執着を手放すほどに

現実が変わるって上の動画でも言ってたし。


だから、想いを込めて。


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