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正義という名の境界線

常々思う事は、体を張った職業に就いている方々には頭が上がらない。
例えば格闘技は代表格と言えよう。
体を張りつつも、能力を最大限に引き出し相手に立ち向かう。
しかも単純に体を使うのではなく、相手の動きを察知しながら次なる先手を狙う技こそ、観客は格闘技の醍醐味に酔いしれる。

その他には、警備や建設現場で働く鳶職や、電気関連の仕事や設計に携わる方々など、身の回りを見るだけでも多くの方々が体を張った仕事をしている事に気付かされる。

偉くなると、体を使わず頭を使う部署に上がる方もおられるだろう。
その様な方は、実務経験が経理が主なので体よりも頭で計算しがちである。
かと言って内勤業務の方々を非難するつもりなどない。
人間の構造と同様に、頭と体で考える価値観は全く異なるのだ。
仮に頭が理性だとすると、一方の体は本能に従うと考えるべきか。
また、どれが正しいとか、間違っていると言った議論をするのではなく、先ず「人」としてどうあるべきか?を問う事が懸命であると思う。

一丁前な減らず口を叩き、もう尻わけありません…

わーお!

久しぶりに使うフレーズだわさ!

きゃっ☆

それはともかくとして、警察官も体を張った職業だ。
中でも機動隊に属する方々は有事となると現場に駆り出される。
で、今回は機動隊を描くイタリア映画を紹介したい。
邦題が『バスターズ』だが、原題が『ACAB: ALL COPS ARE BASTARDS』である。


個人的には内容を吟味した上で原題を支持する。

この作品を簡素にまとめると、機動隊は有事の際は無条件に将棋の駒の如く現場に駆り出される。


また、この作品で描かれているエグい点は、機動隊の私生活や主観的な恨みや憎悪が物語の中に鮮明になぞられている。

妻から離婚され、唯一の希望である娘の親権まで奪われた男と、両親が警察官という環境で移民に対する偏見を抱きフーリガンに属する息子の葛藤や、常に世論から目の敵にされる警察官が事件現場、または事故現場で命を落とす事態など、不条理な現状をあからさまに描かれている点も、この作品が意図的に狙うリアリティーなのだろう。


本来であれば警察官という立場で考えると、悪行を正すために正義を盾に実行する行為が正義であるはずなのだが、主観的な感情に流され職務を行使し、悪人を作り上げる事も珍しくないから恐ろしい一幕だ。

この作品ではフーリガンと機動隊の睨み合いが続いた挙句、暴走と化し互いが傷つけ合う。
正気を失ったフーリガンの一人が、機動隊員の足を鋭い刃で傷付けてしまう。

更に悪循環が負を連鎖させ、憎しみに憎しみを被せ、取り返しのつかない憎悪となり、法を無視するかの如く、正義と悪が入り混じると、やがて暴走となり無法地帯となる。


こうなると何が正義で悪なのかも区別をする事が困難となる。

この物語では機動隊の新人アドリアノの視線で、物事の不条理の在り方や、深刻な移民問題に直視する部分が観客に向けて緊迫感を煽る。


当然、正義も重要だが、果たして悪とは何なのだろう…か…


正直者が裏切り者となり、正義に徹した者が正しいのかは謎のままである。


不正を正すのも体を張った証拠であり、立派な正義である事は間違いないだろう。


単なるディフェンスであれば同志を集めれば事足りる。
しかし、真の同志を集めるには、実際のところ一筋縄には行かないのも事実である。
また、この作品と同様、同志を罰する事こそ本当に辛いものである。
できれば避けたい内容ではあるが…




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