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祖父母の暮らしから現代社会に存在する生きづらさの正体を考える


ちょっと前に、以下の記事を投稿しました。

(思ったまま書きなぐった形になってしまいましたが、スキをつけていただきありがとうございます🙇)

そして今回、前回の記事で新たに気づいたことや書き足りなかったことを書こうと思います。

ちょっと壮大なタイトルをつけてしまいましたが、自分なりに感じた今の社会の問題をまとめます。

タイトルは壮大ですが、気楽に読んで頂ければと思います。



さて、

まずは、今回記事を書くきっかけになったNHKの記事を紹介します。

どんな内容かというと、

・40代の中絶件数は20歳未満を上回っており、加えて他の世代に比べて減少率が少ない

・そしてその多くが夫との間の妊娠で、すでに子どもがいる夫婦も少なくない

というものです。

私はあるnoterさんが引用していてこの記事を知ったのですが、私自身は独身で”夫婦間での予期せぬ妊娠”という経験はないのに、

この記事にものすごくひっかかるものがありました。


それはなぜかというと、最近母の実家で祖父母の遺品整理をしているときに、母の口から昔祖母が中絶をしたのではないかという話を聞いたからです。

母は祖母から直接話を聞いたわけではありませんが、祖母は母が子どものとき、元気だったのに突然入院したことがあったそうなのです。

そして、退院してきた祖母に、祖父は償いの意味を込めてかアイロンをプレゼントしていたそうです。

実際祖母が中絶をしたのかどうかは定かではありませんが、母にとってその記憶が強烈だったようで、

他の兄弟(伯父)に聞いても覚えていない、とこぼしていました。

そんな話を聞いていたら、父方の祖母なども同じようなことを言っていたことがわかり、

昔は、望まない妊娠をした既婚女性が中絶をすることはよくあることだったのだとわかりました。

しかし、祖母が中絶したのは昭和30年代でしたが、今回ご紹介したNHKの記事には今なお40代で望まない妊娠が存在していることを知り、

時代が変わっても、人々の意識があまり変化していないのではと感じました。



1957年に、『満員電車』という映画が公開されました。

この『満員電車』は、

戦後日本のサラリーマン事情を痛烈に風刺した、市川崑監督による社会派コメディ。新社会人となったひとりの若者が、記憶喪失や失業と闘いながら生きていく様を描く。

満員電車 [DVD]より引用

とありますが、『満員電車』の中で描かれた弱肉強食のような空気感は、高度経済成長期特有のものではなく、今なお続いているように感じます。

ちなみに、1958年に公開された『巨人と玩具』でも、消費社会を痛烈に批判したような描写があり、

当時ほど極端ではなくても、今の時代においても、見えない格差や差別からくる生きづらさが色濃く残っているように感じます。


今の時代、みんながみんな疲れていて、みんながみんな傷ついていて、みんながみんな消耗していて、

そのしわ寄せが、社会的弱者へと及んでいるのではないか。


みんな疲れていて、みんな余裕がない。
だから、癒しを求めている。

今の社会全体の雰囲気として、性別問わず誰もが“癒し”や“母性”を求めているのではないか。

そして、その受け皿の一部となっているのが、女性なのではないか。

その現象の一つとして、主に40代における夫婦間での望まない妊娠があるのではないか。

男性は外の社会で戦ってきて、家庭にいる女性に癒しを求める。この構造の延長線上に40代の望まない妊娠があり、

主に女性の生きづらさに拍車をかけている。

そんな構造が、もう何十年も前から変わっていないのではないか。



妊娠によってもたらされるさまざまな困難を請け負うのは、女性です。

特に40代となると、親の介護の問題ものしかかります。経済的な問題に加え、自身の体力の問題もあります。

令和3年版の高齢社会白書では、家族の介護や看護を理由に離職した人は、女性の割合が全体の75%となっています。

また、介護を頼みたい人の割合が、男性で配偶者が56.9%なのに対し、女性は介護サービスの人が39.5%と、両者に開きがあります。

要介護者と同居している家族の性別の割合も、女性が65%となっています。

以前の記事も書きましたが、まだまだ社会は女性を家事育児や介護の担い手としてとらえています。

共働き世帯が専業主婦世帯よりも割合が多くなっているにも関わらず、配偶者控除という形で専業主婦が大多数だったころの制度が存続したままです。

また、前回の記事で取り上げたように、日本は中絶方法の選択肢が少なく、しかも中絶の際には配偶者の同意が原則必要とされる数少ない国です。



ここで重要なのは、女性の生きづらさを考えるときに、男女の二項対立で語るべきではないということです。

男性対女性でこの問題をとらえても、解決はしません。

男性と女性、どちらが悪いとか良いとかではなく、それぞれにはそれぞれにしかない良さがある。

お互い足りないところを認め合い、尊重し合い、補い合いながら生きていく。

お互いを思いやりながら、それぞれの良さを発揮できる社会を構築していく、という姿勢が大事な気がします。

男性は女性を守りたいし、女性は男性を支えたい。そして、その逆もまたしかりです。

問題なのは、それを許さない社会構造になっているということなのではないか。

なぜ女性が家事育児や介護を担わされているのか。それは、男性が働きすぎだからです。

なぜ男性が働きすぎなのか。そこには、“男たるものかくあるべし”という、昔ながらの慣習が現代まで脈々と受け継がれているからだと感じます。

男性だから我慢するのは当たり前。男性だから正社員でバリバリ働くのも当たり前。私生活を犠牲にして身を粉にして働くことが当たり前。

女性が女性としての権利が保障されずさまざまな機会を奪われている一方で、男性もまた、かくあるべしという見えない差別に苦しめられているのではないかと感じます。



私の祖父は、昭和16年に召集されて満州に渡った後、終戦後は技術者から市の重役までのぼりつめた人でした。

ちょうど昭和30年代~40年代の日本の復興期に、市の責任者としてまちづくりに携わっていました。

当時の時代背景を考えると、相当のストレスや苦労があったことと想像します。

そして祖母もまた満州に渡り、帰国後、まだものが十分にない貧しい時代に、子どもを3人育てあげました。

それからもう半世紀以上経って豊かな時代になったというのに、未だに当時と同じような疲弊感が残っている。

みんな疲れきっていて、余裕がない。

もっと言ってしまえば、昔の時代は、これから日本という国が復興していく兆しがあり、希望が見えた分だけまだマシでした。


なぜ日本はいまだに、“男性が外で戦って女性が家庭を守る”という価値観を引きずっているのか。

なぜ、男性は外で頑張ってるんだから、女性は女性でそれに報いるよう頑張るべきというような空気感が、依然として存在しているのか。

なぜ昔の時代を引きずった法律や制度が未だに残っているのか。


この半世紀の間に、物質的に成長することに重きが置かれ、一人ひとりの暮らしを丁寧に守っていくことが置き去りにされている風潮を感じます。

一人ひとりの暮らしを丁寧に守るためには、やはり私たち一人ひとりの中にある男性性と女性性のバランスが鍵となるように思います。

男性性に偏りすぎると、一人よがりで自分勝手な振る舞いへとつながります。

女性性に偏りすぎると、自分の気持ちを伝えることができずに相手の要求に流されてしまいます。

風の時代に移ったとは言われていますが、今でもまだ地(土)の時代の価値観は引き継がれたままです。

男性はどうしても外で消耗してきます。そして、そのバランスを保とうと女性に癒しを求めます。

そして男性を受け止める女性側もまた、NOと言えず自分の気持ちを押し殺して相手を受け入れてしまいます。

ここで、男女のすれ違いが起こってしまいます。

大事なのは、癒しを外側にばかり求めるのではなく、まずは自分の内側で癒しが起きるようにすること。

男性性に偏りすぎている場合は、自分の中の女性性を認め育むこと。

女性性に偏りすぎている場合は、自分の中の男性性を信じて頼ること。

男性性と女性性のバランスが整うと、現実世界でのパートナーシップもそれを反映して、うまくいくと言われています。


男女平等を考えるときに重要なのは、“男性だから難しい”、“女性だから不利”、と切り捨てて考えるのではなく、

性別関係なく、それぞれのなかにある男性性と女性性をいかに癒し育んでいくことなのではないかと感じます。

それが、未だに存在する見えない生きづらさを少しずつ解消するヒントになるのではないか。

ひいては、生きづらさを生み出す社会構造を変えていくきっかけになるのではないかと思っています。




おわりに

今回はセンシティブな内容で表現が難しく、書くことをためらっていましたが、以下の動画に出会って記事に書くことにしました。

バシャールはいつも勇気づけてくれるので、感謝です🙏

また、最近よく岩崎宏美さんの『聖母たちのララバイ』を聴いています。

のびやかで力強い歌声に魅了されるとともに、単に昭和世代の企業戦士に向けた鎮魂歌ではなく、

一人ひとりの中にある女性性から男性性に向けた愛の歌と考えると、性別関係なく癒されるような気がします😊




ここまでお読みいただきありがとうございました🍀


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