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若者三人が奏でる青春という「音楽」の美しさ:加藤シゲアキ『オルタネート』読了後記

つい先ほど読了。

率直に、まず、素晴らしい作品だった。400ページ近い長編小説だ。

本作の主人公は女子二人、男子一人(この男子が、関西弁で面白い。彼は、又吉直樹『火花』に登場する神谷を彷彿とさせた。)なのだが、まるで本書は私を
『耳をすませば』を観ているような感覚にさせた。

「高校生年代」の「青春」がテーマだが、それぞれの主人公の青春を、超高性能「マッチングアプリ」「オルタネート」の存在が大きく揺さぶる物語である。

オルタネートとの距離感は、主人公によって大きく異なるものであった。

心から信じて、運命の相手を探してもらう者も、恐れる者も、単なる人探しの手段として利用する者もいた。

本書は単なる青春群像劇ではない。そうであれば、私は最後まで本書をよみすすめることができたであろうか。

それは、決して単純な物語ではないのだ。

生まれも姿かたちも、性別も異なる主人公三人が、「同じ場所」で直接あるいは、間接にかかわり合いを持ち、「異なる運命」をたどるストーリーは、見事なまでに緻密である。

それぞれの青春=人生は、主旋律でもあり「伴奏」でもあったのだ。

現代ならではの、SNSを利用した「出会い」と「別れ」の形が美しくも生々しく描写されている。

オルタネートのアカウント同士で相互に「フロウ(いわゆるフォロー)」をすると「コネクト」され、メッセージのやり取りが可能となる。

おそらく、主題のひとつは「つながり」になるのだろう。それが本書を読んでの骨太な感想だ。

現実に我々の生きている世界でも、何か不思議な目に見えない力が働いているのではないかと勘繰ってしまうような、「運命の出会い」「偶然の出会い」があるだろう。

それを生み出すことを本書では、時にオルタネートがアシストし、時にオルタネート自体が行った。

つまり、全てではないが、あらゆる「つながり」は良くも悪くもオルタネートをきっかけに生み出されていた。

私たちなら、運命の内の「どこからどこまでを」オルタネートに預けるだろうか。

そんな問いは、読んでいくうちに自然と立ってくるのではないだろうか。

青春の美しさ、かけがえのなさ、若さが持つ未来と「可能性」、人間というものの「わからなさ(複雑さ)」、信じること、自分には何があるのか(アイデンティティ)、あらゆる生きる上で出会う、もしくは出会ったであろう本質の欠片が詰まっているのが『オルタネート』である。

若い男女の淡い恋心と、一挙手一投足、一言一句に、胸が締め付けられたり、ほっとしたり、様々な心の動きを自らのうちに感じた。

ここまで小説を読んでいて目が湿ったのは、はじめてかもしれない。そんな箇所もあった。特に、自らの青春を思い返しては感慨深く、登場する女子達の人間関係に翻弄される姿をみては、その健気さに何度も惚れた。

さて、何度か私は、映画や小説などが「良い作品」であることの定義を以下のようにのべてきた。

 良い作品とは、観賞後に、主人公たちのその後が気になってしかたがないような、そんな名残惜しさを抱かせる作品である。

『オルタネート』も、その例外ではなかった。

私も深羽ちゃんのパイプオルガンを聴いてみたい。尚志君と豊君のバンドを聴いてみたい。蓉ちゃんの料理を食べてみたい。

若者三人が奏でる「音楽」。とても美しかった。

           (了)

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