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製本の歴史vol.1: 始まりの記録技術~メソポタミアの粘土板とエジプトのパピルス~


栄久堂の歴史は約100年と長いですが、製本自体の歴史はなんと紀元前3000年の古代メソポタミア文明にまで遡ります。本記事では、人類と長く関わってきた製本の歴史について紹介していきます。


粘土板に刻まれた歴史


栄久堂の歴史は約100年ですが、製本自体の歴史はなんと紀元前3000年の古代メソポタミア文明にまで遡ります。本記事では、そんな人類と長く関わってきた製本の歴史について紹介していきます。

メソポタミア文明とは、チグリス川とユーフラテス川の挟まれた地域で栄えた文明のことで、地理的には現在のイラクにあたります。

この時期は「前王朝時代」とも呼ばれ、数々の都市国家が独立して存在していた時代であり、農業が盛んでした。特に、ウル、ウルク、ラガシュなどの都市が繁栄し、文化や建築、芸術が栄えました。

当時、人々は湿った粘土板にくさび形文字を刻んで記録を残し、その後、これらの板を日干しや焼き固めて保存しました。

さて、人々はなぜ粘土板に文字を記録を残したのでしょうか?それには以下のような理由があるといわれています。

行政と経済の管理: メソポタミアの都市国家では、農業、貿易、税の徴収などの管理が必要でした。貿易や税の徴収など、複雑な都市国家の運営には記録保持が不可欠でした。

資源の利用: メソポタミアは「文明の揺籃」とも呼ばれる豊かな河川のデルタ地帯に位置しており、粘土が豊富にありました。この自然資源を利用して、湿った粘土板に文字を刻むことが、経済的にも実用的な選択肢でした。

耐久性: 乾燥した後の粘土板は非常に耐久性があり、何千年にもわたって保存することができます。この耐久性は、商取引、法律、歴史記録などの重要な文書を長期間保存するのに理想的でした。

これらの理由により、メソポタミアの人々は粘土板にくさび形文字を刻むことを始め、古代の情報伝達と記録保存の画期的な手段を確立しました。

しかし、くさび形文字の謎を解くことは簡単ではありませんでした。この難解な文字の解読は19世紀まで待たねばならず、その功績を成し遂げたのはヘンリー・クレセンウィック・ローリンソンでした。彼はビスタン碑文を手がかりにくさび形文字を解読し、古代オリエント研究におけるパイオニアとしてその名を残しました。

パピルスに記されたエジプトの遺産


同じ頃、紀元前のエジプトでは、パピルスが巻物の形で登場し、情報伝達の新しい章を切り開きました。

この時代は、エジプト史において「初期王朝時代」にあたり、後のエジプトの王朝制度の基礎が築かれた時期です。紀元前3100年頃、メネス王によって南部と北部が統一され、ファラオ(王)による中央集権的な統治が始まりました。

ナイル川沿いに自生するパピルス植物の茎を慎重に割いて薄くスライスし、これを水平および垂直に重ねて一枚のシートを作り出します。乾燥後、これらのシートは自然な接着剤である植物の樹液を用いて貼り合わせられ、最終的には一つの長い巻物に仕上げられました。

このシンプルでありつつも画期的なプロセスは、エジプト文明の心臓部、ナイル川の恵みから生まれました。この地理的、環境的条件と、彼らの社会的、行政的、宗教的ニーズの組み合わせが、パピルスの使用を促進しました。

より具体的には、彼らがパピルスを使用し始めたのは下記が理由だと考えられています。

ナイル川の肥沃な土地: エジプトはナイル川の周囲の肥沃な土地に依存しており、農業が非常に発達していました。ナイル川沿岸に自生するパピルス植物は豊富で容易に入手可能であり、これがパピルス製造の原材料となりました。

情報管理の必需品: エジプトの成長に伴い、行政文書から宗教文書まで、あらゆる情報を管理し記録する必要が生じました。パピルスはその軽さと大量生産の容易さで、このニーズを見事に満たしました。

保存性の高さ: 乾燥したエジプトの気候は、パピルス文書の保存に最適でした。これにより、情報を数千年もの間、後世に伝えることができたのです。

宗教文書と文学: エジプトの宗教は非常に発達しており、死後の生命に関する信念が強かったため、宗教的テキストや死者の書(死者のための呪文や宗教的指南書)などの宗教文書を記録する必要がありました。パピルスはこれらのテキストを書き留め、保存するのに理想的な媒体でした。

「死者の書」は、文字通り死者のための書物であり、死後の世界で遭遇するさまざまな試練を乗り越え、最終的に幸福な来世を得るための呪文、祈り、呪術的な指示が記されていました。「死者の書」は一般的なテンプレートに基づいていましたが、埋葬される人に応じてカスタマイズされることがよくありました。つまり、亡くなった人の社会的地位や個人的信念に合わせて、特定の呪文が追加されたり省略されたりしていたのです。

余談にはなりますが、ある「死者の書」には、「心臓が裁判の場で証言するのを防ぐ」ための呪文が含まれていました。古代エジプト人は、死後、人の心臓がマアト(真実と正義の女神)の羽と天秤で量られると考えていました。心臓が軽ければ、その人は正しい生き方をしたと見なされ、幸福な来世が約束されます。この呪文は、心臓が裁判で不利な証言をしないようにするために使われたのです。

想像してみてください、あなたの心臓があなたの行いを天秤にかけ、永遠の安らぎを左右する...ちょっとドキドキしますよね?

今日の話はここまでです!次回の更新をお楽しみに。

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