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世界の終わり #1-1 プレミア



 いやァぁ、嫌ッ――と、板野茉莉絵(いたのまりえ)は髪を振り乱して、玄関へ向けて駆けだした。叫びは遠ざかり、ガチャガチャガチャとドアノブを弄る暴力的な音が聞こえてくる。
 無理もない。
 放っておけないから彼女を追う。目を凝らさなければ輪郭を上手くつかめないリビングから、ひんやりとした廊下へとでて、夕日に染まった玄関へ。
 板野は腰が抜けたように座りこんで、扉のノブをつかんでいた。
 大丈夫? と問いかける。
 長く綺麗な髪がぐしゃぐしゃになるほど頭を振り、板野はううぅと泣きそうな声をもらす。いますぐこの屋敷からでて行きたいのだろう。そりゃそうだ。ぼくだってそう。不気味でカビ臭い屋敷から一秒でも早く逃げだしたい。
「落ち着いて」腰をおろして、目の高さをあわせる。「しばらくここにいるといいよ」
 彼女は首を振ったが、『大丈夫――わたし、リビングに戻る。ひとり離脱するなんて、そんなの狡いから――』といった意思表示でないことはわかっている。
 一切を放棄したい。だけどひとりで外にでたくはない。リビングに戻るのも嫌だ。玄関に残されるのも。口にださずとも心の声は聞こえてくる。
 できれば力になってあげたいけれども、屋敷の探索を中断するわけにはいかないので、一緒に外にでるという選択はなしだ。
 縋るような目で見つめられても無理。
「リビングに戻らなくても構わないから。ここにいて。ここでじっとしていて」安心させようと思って優しく語りかけたけど、声の調子なんてどうでもよかったのか、彼女は嫌だ嫌だと駄々をこねて腕をつかんできた。痛い。怖れの度合いがわかるほど強くつかまれた。だけど文句をいって振りほどくわけにはいかない。再度、なだめるように大丈夫だよと取り繕いの台詞を連呼して、乱れてしまった髪を整えるように、彼女の頭へ手を添えた。長い髪。かたちのいい額の生えぎわが好みだったので、つい触れてしまった。
 あわてて引っこめる——と、
「おい、白石」
 名前を呼ばれたので、振り返った。
 リビングへと通じる扉から、荒木が顔を覗かせていた。
「しっかり縛られているようだから、心配なさそうだ」と荒木。
 つきあいが短いので荒木のことはあまりよく知らないが、ぼくよりも年上で、二〇代の半ばくらい。肩幅が広くて、かなりの長身。体育会系の典型のような外見の男だけど、ぼくと同じ職に就いているからには、文科系寄りのマニア枠に属しているのだろう。
「こっちへきて確認しな。見ればわかる」
 荒木は素っ気なくいって顔をそむけた。
 取り乱した板野のことを迷惑がっているように見て取れる。気持ちはわからなくもないが、板野は女性だし、年齢もまだ一〇代なのだから責めるべきではない。
 ぼくは「動かずここで待っていて」と板野にいい、リビングへ向けて足を動かした。
 うぅうと後方から声が聞こえてくる。
 板野には悪いけど、介抱するよりも先に確かめなければならないことがある。
 リビングで目にした奇妙なもの。〝あれ〟はなんだったのか、〝あれ〟はどのような状態にあるのか。
 この目でしっかり見ることが最優先事項だ。

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