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つれづれ雑記帳

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他のカテゴリーには入らない、とりとめもない日記的なものを、ここに集めました。
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#思い出

無礼講と酔っ払いと春の月

「まぁ、先生。どうぞどうぞ。」 そう言って、目の前の男性は私の盃にお酒を注いだ。 ここは山の中の小さな村。 4月から私はこの村の中学校に赴任することとなり、この日は始業式と入学式だった。 午前中は、まず始業式が執り行われた。新しく赴任した教師の新任式も行われ、生徒達と初対面。そして午後は入学式。緊張した面持ちの一年生たちを笑顔で迎え入れて新年度がスタートした。いつも思うけど、春の学校は、真新しい制服と新品の教科書の香りがして、とてもフレッシュで初々しい雰囲気に満ちてい

台風で実家の屋根が吹き飛んだことを思い出した夜

史上最大級の台風10号が日本に接近中とのこと。 今夜から九州地方を通過するようですが、進路に当たる地域にお住まいの皆さんの今のお気持ちを思うと、胸が締め付けられます。どうかご無事で・・・と心から願うばかりです。 この台風、当初は、2年前の2018年9月に日本に甚大な被害を及ぼした台風21号に非常によく似ている・・・と言われていました。 実は私、2年前の台風21号のことをnoteに書いていました。この台風は私が住んでいる地域を直撃して、大きな被害をもたらしました。私の実家

あの日の朝

今日は阪神淡路大震災から25年目の日。 今でも覚えている。 あの日、あの時間、私は嫁ぎ先の家で朝ごはんを食べていた。 実は、私は、震災が起きる1ヶ月前の1994年12月に、今の夫と結婚式を挙げている。 でも、私の当時の勤務先は、今の家から40キロほど離れた山の中の僻地校で、当時はまだ道も整備されておらず、ダム湖沿いの秘境のような道を車で走らなくてはいけなかった。 特に冬、標高1000メートルの高山地域なので、春まで氷と雪に閉ざされる。私の運転技術では毎日通勤するなんて

肉食系女子のはじまり

今日、投稿した『肉食系女子』。(←これは元々は7年前の12月にFacebookに投稿したもの。今日ふと出てきたのでnoteに載せてみました。) この記事の2週間前に同じくFacebookに『肉食系女子』というタイトルで投稿した記事があったので、掘り起こしてみました。前作の前編です。 当時、私の友達の間では何故か?とっても好評だった…これらの記事。 前編もnoteでご紹介しますね。 (注)こちらも会話文がバリバリの飛騨弁(ネイティブ)です。一応、註釈を付け加えてありますが、

肉食系女子

7年前の今日、私がFacebookに投稿した昔の文章が出てきました。面白い内容だったのでnoteに掲載しますね。 まだ義父が元気だった頃の懐かしい思いでです✨ (注)文中は飛騨弁で喋ってます。意味が分からなかったら標準語に翻訳しますので、コメント欄よりお申し付けください😄 ◇◇◇◇◇ 『肉食系女子・その2』 大掃除も済んで、年賀状も書き上げ、「あ~やれやれ」と思っていたら、息子が「ばあちゃんが焼き肉を食べたがっているから、今夜は外食にしよう」と言う。 …… そうい

昭和が終わった朝

今日は2019年1月7日。 そう、30年前の今日、昭和天皇が亡くなられたのだ。 あのときの私は20歳になったばかりで、大学2年生の冬休み中だった。 ぼんやりと覚えているのは、朝、起きてテレビをつけたら、天皇陛下崩御のニュースをやっていて、「ああ、お亡くなりになられたんだ・・・」と感じたことだ。前日に帰省先の実家から名古屋に戻り、その次の朝、天皇崩御のニュースを見た。「歴史に残る大きな出来事」と「私の人生」がリンクした瞬間・・・。確か当時は年末頃から「容態が思わしくない」

今日は音博の日だった!

ふと、さっき思い出しました。 あっ…!今日はくるりの京都音楽博覧会(通称・京都音博)の日だった!…と。 私はくるりのファンになってまだ数年だけど、その間にライブは3回行き、音博も一回行きました。 私が初めて参加した京都音博は、ミスチルが参加した年のアレです。 ゲリラ豪雨と雷鳴が轟いた、あの嵐の中の音博…(汗)。 雨のなか頑張り抜いて、いよいよ最後!待ちに待ったくるりの演奏だー!と思ったら、豪雨と落雷のため中止になり、そのまま終わってしまったというあの(伝説的?)音博

20歳の私と片岡義男

ここ数日、何故か自分が20歳だった頃のことを思い出す。 20歳だった私は大学生で、名古屋に暮らしていた。 あの頃、大学近くの書店では片岡義男の文庫本が平積みされていて、そのクールで都会的な表紙に心惹かれ、何冊かを買っていつも読んでいた。 当時は、村上春樹の「ノルウェーの森」の文庫本が出たときで、私も興味本位で買って読んでいた。確か、村上春樹の「ノルウェーの森」の文庫本発売のことが、当時の新聞広告にデカデカと一面で出ていた記憶がある。「ノルウェーの森」は単行本の時から有名

わたしたちの人生の宝物

昨夜、お風呂に入っている時、ふと 「私がこの人生で体験したことの中で、とびっきり幸せだったことは何だろう?」 と思いつき、じっくり考えてみました。 すると、様々な記憶が思い出されていくなかで、はっきりと「これだ!」と感じるものが思い浮かびました。 それは、ズバリ 息子を育てたこと 息子が誕生してから社会人になるまでの、この22年間の親子の日々の積み重ねの記憶が、私のこの世での一番の宝物だ!と思ったのです。 育児体験 これが、私の今世の人生で最も大切な宝物だ…と

味噌を舐める

以前、大正生まれの義父が、 「夏の炎天下での作業のときは、味噌を舐めながらやったもんや」 と話していたことを、ふと思い出す。 今は熱中症予防に「塩を舐める」だけど、昔は「味噌」だったみたい。 アルミの弁当箱の中身は、ごはんと小さな焼めざし、そして味噌を少し。味噌をおかずにしてごはんを食べたそうな…。そして、作業の時の塩分補給に、残した味噌を舐めていたそう。 義父は幼い頃に母を亡くし、子供時代から貧乏でとても苦労をした人だ。この味噌の話は、昭和初期から戦時中の話だった