ダメな自分も認めてほしい。

「鬱っぽくて面倒くさい君も好きだよ」
「どんな時も味方だから」
そんな風に言ってくれて、ベタベタにダメ人間になりそうな程甘やかしてくれる恋人が欲しい。
何をしても許して欲しい。
ダメなままでもいいんだよ、って私に悟らせて欲しい。
ただ隣にいてほしい。

今、私は疲れたはずなのに眠れなくてこの記事を書いている。
「私はダメだ。何をしても八方塞がりでこれ以上改善されない自分は消えてしまいたい」
「世の中嫌なことしかない。私よりもがんばってない人が幸せになる」
「何でもかんでも他人のせいにしているから私は馬鹿だ」
こんなことが頭をぐるぐるとして、足やお腹がむずむずとして眠れない。
涙が出てくる。

きっと、多少メンヘラでも許してくれる優しい人間はいるはずだ。
実際に私が鬱々としていても寄り添ってくれて、見限らないでいてくれる友だちはひとりやふたりじゃない。

それでも、「面倒くさい私」を親と元彼に否定されたことで、私は自分を信用出来なくなっている。
面倒くさい友だちが面倒くさい、というのはよく分かる。
でも、家族や彼氏に面倒くさくない部分だけを求められるのは嫌だな、と私は思う。
面倒くさい部分も私の一部で、意外と大きな割合を占めている。
それを「面倒くさい」と自分をよく知る人にに突き放されてしまったら、全てを否定されたような気になる。

昔は嫌な時は嫌な顔をして、無理して笑顔をつくったり、嫌いな人と仲良くしたりはしなかった。
いじめられたらいじめっ子には冷たく接したし、仲のいい子と気ままに過ごした。
それを母親は「感じが悪い」と叱った。

高校に入ってから毎日死にものぐるいで勉強したのに第1志望には届かず、1週間ほど泣き暮らした。
「あなたって本当に面倒くさい」と母親は言った。私の約3年間の努力がたった2日のセンター試験の結果で変わってしまったというのに。

大学時代、感じ悪くならないように、笑顔で無理して仕事を引き受け続けたサークル会長の仕事で、自分を見失った。同じサークルで副会長をしていた元彼は、私がサークル運営で悩んで落ち込んだり泣いたりしていると、呆れてため息をつくようになった。しまいには運営にほぼ関わってこなくなり、彼がやりたい楽しいことだけやるようになった。
母親は「そんなサークルと彼氏、さっさとやめればいいじゃん」と合理的なことしか言わなかった。
そんなこと分かっている。それでも未練とか、責任を感じてしまって悩んでいたのに。

今の私は「ダメな自分でもいいんだよ」と自分で自分を励ますことが出来ない。
身近な人の不用意な言葉はかなり強力である。
自分がダメかどうかすら考えず、自分に満足していた自分を矯正されて、その矯正の歪みで生まれた「面倒くささ」=矯正された後の自分をも否定された。
自分で自分を信じていた自分を否定されると、自分は間違っていると思い込むのではないか。
どうしても自分以外の評価の方が正解に近いと思うようになってしまうのではないか。

「面倒くさい鬱々とした自分を相手に見せれば嫌われる。突き放される」
「誰もメンヘラとは仲良くしたくないし、ましてや付き合いたいと思わないはずだ」
「1人になりたい。人に迷惑かけずにひっそりと暮らしたい」

そんな思いに囚われている。
誰か助けて。他人の力を借りたい。「ダメな人間のことも認めて愛してくれる人がいる」ということを実感させて。
一緒に泣いて欲しいとか、一晩中話を聞いて欲しいとかそういうことは思っていない。私が落ち込んでも、ため息や舌打ちをしなければいい。
「ダメな人間も愛されることがある」という事実を経験させて欲しい。私の思い込みをそっと壊して欲しい。

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