メモ-発達障害と映画作品

https://www.youtube.com/watch?v=dYthygPqWzE&t=77s

ポール・トーマス・アンダーソン監督作品は、しばしば「男性性」を強調してきた。
『ブギーナイツ』は露骨にペニスを象徴していたし、『マグノリア』におけるトム・クルーズ演じるキャラクターも「セックス」を標榜していた。

やがてその「男性性」は、よりマイルドに姿を変えて後続作品に登場する。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』においては負けず嫌いの孤独な石油王であったし、『ファントム・スレッド』においては職人気質で神経質、繊細な仕立て屋だった。

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』や『ファントム・スレッド』において描かれたような「プロジェクトをやり遂げる」ことに注力する男性の一代記は、どこか他者の犠牲の上に成り立っている。

という意味で、はじめに紹介した動画に登場するような、「他者を犠牲にしながら作品をつくり上げる男性像」と共通する。必ずしも、男性に限定される必要はないかもしれないが。

P.T.A.は自ら監督する作品の主人公に自らを投影させているのではないか。
一大プロジェクトを成し遂げるまとめ役の人間として、他者を土台にする悲哀、苦肉を訴えつつ、職人気質に理解を求めるような……

それは必ずしも普遍的なテーマではないが、個人の苦悩を、圧倒的なビジュアル ー完成度の高い美術・美しい映像、聴き手を惹きつける音楽ー によって、全編を通して観客の注意を引き、最後まで見たいと思わせるような作品に仕立て上げたのであれば成功だ。


...

こういった、「他者を犠牲に」「何かを無視して」やり遂げるという発想は、デイヴィッド・フィンチャー監督作品においても現れる。

それはサイコパス的な『ソーシャル・ネットワーク』の主人公であったり、発達障害的な『ドラゴン・タトゥーの女』の主人公リスベットであったり、だ。

特に『ドラゴン・タトゥーの女』の主人公リスベットは、劇中において「会話中に相手の発言を無視する」といった特徴が描かれていた。その分、といっては何であるが、彼女のハッカーとしての能力、情報収集能力にはずば抜けたものがある。


精神障害気質でありながら特異な才能を発揮する人物を描くことへの興味がデイヴィッド・フィンチャー監督にはあるらしい。

『ゴーン・ガール』やドラマ『ハウス・オブ・カード』ではサイコパスの主人公を描いていたし、『マインドハンター』では性欲と行動のモチベーションに関する考察も交えながらシリアルキラーについての研究を深めている。

最新作『Mank/マンク』を見ていない。

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