世界に全開な人の感受性

ずっと、他人に興味がないんだと思ってた。

誰が何をしていようと私をどう思っていようと私が知らない限りどうでもいいタイプだし。

もちろん、「あなたって嫌な人ね」と言われたら落ち込むけれども。

何か感想を求められたら、そこから言葉を紡ぐし、分析して、と言われたらいくらでも対象の特徴が見えてくる。
でも自発的に「こういう人なんだ」と思うことはあまりない。
言われない感情は存在しないものと同義だと思っていたし、「他人の目」なんて気にならないタイプなんだと思ってた。

最近、違うな、と気づいた。
私、無意識のうちに「意識」「受信機能」「感受性」、そういったものをシャットダウンしてる。

全てから何かを感じてしまわないように。
世界に溢れかえっているメッセージに踊らされて心が疲れきってしまわないように。

なぜなら私はそうでもしないと生きるだけで疲れきってしまうほど、心が揺さぶられやすいから。

もっと違う言い方で表すなら、「感受性が豊かすぎる」のだ。

自慢じゃない。
これは該当者しかわからないんだろうけど結構苦しい。
以下に示すのは全部小学校低学年くらいまでは当たり前だったことだ。

アンパンマンのカビルンルンが出発するシーンがとにかく怖くて泣き叫んだ。
みんなは普通に見てるのに私だけが泣いていることすら怖かった。
朝家を出て、忘れ物に気づいて嫌すぎて泣いた。
タオルを私がかけようと思っていたのに母親にかけられたことに予定が狂った悲しみで激怒した。
小学校にも1人で行けなくて父に学校まで付き添ってもらっていた(あの頃は本当にありがとう)。
ドラマのCMの救いようのない感じが怖くて、そのCMに出くわすんじゃないかという不安でテレビ自体が怖くなり、テレビは数年間見れなかった。
自分の中の感情の名前がわからないことが怖くて、わからない気分になると自分がパニックになりそうだった。
思っていた通りに物事が進まないと、一旦感情を発散させるまでなにもできなかった。

いつのまにかそうした不安定さはなくなり、テレビも観れるようになったし、学校にも1人で行けるようになった。

同時に、私を取り巻く世界が私に語りかけることが減った。
否、私が受け取る量を減らしたのだ。

世界に対して全開で生まれてきてしまった私は、この世界でうまく生きていくために「シャットアウト」という術を得たのだ。

ああ、タフな感受性が欲しい。
世界で起きている変化に鈍くなるのではなく、様々な変化を感じながらもそれで疲れ切ってしまうことのないような強い感受性が欲しい。
色彩豊かな世界を楽しみながら、世界からの感情の摂取で精神をすり減らさなくて済むようなタフな感受性が欲しい。

相手の心を思いやり、世界を見つめるセンスは失わずに、自分を疲れさせずに生きていけたらいいのにな。

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