愛してるよ。

「自分を愛せるようになりたい」と言う人がいる。

彼らは「愛がわからないんだ」「他人も満足に愛せない」「人として何かが欠落しているんだ」と言う。

私自身はこの思いを抱いたことがないが、私が見た限り、このセリフを言う人は皆驚くほど愛に溢れている。

多分、彼らはいきなりマックスの愛を注げる人種なんじゃないかと思う。
相手を警戒していようと、憎んでいようと、警戒や憎しみと同時に無償の愛を注げる人。

「愛せない」のではなく「愛を育てられない」人。
目の前にいる相手にいきなり究極の愛を注げるから、それ以上増えたり変化したりすることはない。ただ、相手の愛が育っていくのを待っているだけ。

それって、とてもしんどいことだろうな。

愛に関する問題に関して、自分ができることは何もない。これ以上愛することもできないし、愛を断ち切ることもできない。

その上、自分が他人にマックスの愛情を注いでいることに気づけない。

だって、自分で愛を実感できるのは「違う感情」が「愛」になった瞬間だけだから。
潜在的な愛なんて他人からはっきり断言されないかぎり自覚できない。

元から相手が「目の前に存在する」だけでその相手を愛せる人に「愛に自分で気づく」タイミングなんてないのだ。

彼らは他者からの「それが愛だよ」「愛してくれてありがとう」という言葉で自分の中の愛に気づく。

しかし、唯一彼らにその言葉を言えない人がいる。

彼ら自身だ。

相手からの指摘で愛に気づくのに、愛がわからないと信じている自分が指摘できるわけがない。「あなたは今自分を愛しているよ」なんて。

そして、冒頭のセリフにたどり着く。
「自分を愛せるようになりたい」

もしこう思う人がこれを読んでくれたなら私はその人たちのために言おう。きっと生きにくさに苦しんで、途方もない孤独に溺れそうになったことがあるあなたにこう言おう。

「あなたは最初から、自分にありったけの愛を注いでいるよ。」


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