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【映画感想文】ザ・キラー

えー、はい、マイケル・ファスベンダー(ファズベンダーじゃなくてファスベンダーなんですね。ずっと間違えてました。申し訳ない。)が無口で冷酷な殺し屋を演じるデヴィッド・フィンチャー監督の最新作『ザ・キラー』の感想です。

いや、もう、これは、何て言いますか、「好き」って以外言いようがないんですが。ま、デヴィッド・フィンチャーが撮ってるってことが壮大な振りになってるような映画でですね。これ、コメディなんですよ。たぶん。マイケル・ファスベンダーは己の哲学を持った殺し屋で、表面的には無口なんですけど、その哲学をモノローグとしてずっと語るんです。つまり、物語上では無口なんですけど、映画を観ている僕らには彼の殺しにおける美学とかこだわりなんかがのべつまくなし聞こえてくるわけなんです。で、映画はその彼がひとりのターゲットが現れるのを待ってるというところから始まって、だいぶゆったりと時間を掛けてターゲットが現れるまでをやるんです(その間例の殺しの哲学を聞き続けることになるわけなんですが。)。で、いよいよ現れたってなったら外すんです。狙撃に失敗するんですよ。だからそこで、クールでノワール(つまりフィンチャー的)な展開を期待してた僕らは「え?!」ってなるんです。このあとはその殺しに失敗した殺し屋がどう後始末していくかっていう殺し屋裏あるあるみたいになっていくんですけど、その後始末の間も相変わらず殺しのモノローグが続いていくんです。

そうういうズレのコメディだと思うんですよ。画面上で起こっている状況と、そんな中でもあくまでクールでストイックなモノローグが続いていくっていう内と外のズレ。それが状況が悪化していくごとに大きくなっていくんですけど、それでもあくまで冷静に振る舞う殺し屋が、まぁ、かわいいんです。そのズレに垣間見える殺し屋っていう本来全く共感なんか出来ないはずの人種の日常。それをずっと見るって映画なんです(だから、これ、阪元裕吾監督の『最強殺し屋伝説国岡』と同じコンセプトだと思うんですね。その中で突如として現れる人の死との対比も。)。ずっと見れるんですよ。フェスベンダーかわいいから(つまり、フィンチャーが撮ってファスベンダーが演じる、しかも、これ、脚本が『セブン』のアンドリュー・ケビン・ウォーカーなんです。それで『セブン』以来のフィンチャー監督とのタッグで殺し屋が主人公ってなったら、そりゃ、シリアスなサスペンスモノだって思うじゃないですか。そういうのが全部振りになってるんです。)。で、もうひとつ絶妙なズレを醸し出してるのが音楽だと思うんですよね。

フィンチャー作品の音楽はずっとトレント・レズナーとアティカス・ロスがやっていて今回もそうなんですけど、劇中で殺し屋が聴いている音楽としてザ・スミスの曲が使われるんですね。けして合ってないんですよ。殺し屋が殺しの時に聴く音楽として。スミスの曲って詩的で、文学的で、シニカルで、ユーモアもあってていう、繊細でありながら反抗的というか、そういう思春期的なある瞬間を切り取ったような儚さがあるじゃないですか(その儚さが死と直結してるように感じるのもスミスの特徴だと思うんですけど。)。なんですけど、こういうのをひっくるめて(僕はここの一点においてスミスというバンドがとても好きなんですが、)ポップスなんです。凄く大衆的で社会的で生活の中に存在しているんですね(社会への不満と人生への諦めがほとんど全てと言いますか。)。つまり、現実とは掛け離れた存在でなければならない殺し屋が聴く音楽が社会に対するシニカルさを孕んだ中二的要素のあるポップスっていう(そのズレ。しかも、これが全編に流れるんです。)。スミスが好きっていうシニカルさやエモさを抑え込む為のあのモノローグなんだとしたら、最初から殺しの時にわざわざスミスを聴かなくてもって思うんですけど、それが人間じゃないですか(ていうか、この人ほんとにスミスが好きで、何かのモードになる為に聴いてるとかじゃなくて生活そのものがスミスの音楽と共にあるって感じでずっと聴いてるんです。なんかそう考えるとちょっと義務的なものも感じて来ましたね。例えば、殺し屋になる前にハマってた音楽がスミスで、それを聴き続けることで殺しの世界に完全に行ってしまうのを阻止しているとか。だとすると、あのモノローグもあっち側に行き切ってしまうのを抑制する役割があるのかもですね。とか、いろいろ妄想してしまいます。あ、あと、どこ行ってもマクドナルド食べてアマゾンで買い物してるような感じも、なるべく日常であろうとする行為なんでしょうか。)。殺し屋っていう職業を選んだ人の中にもある無垢さっていうか(あくまで人間性とかではなく狂気と並列にあるような無垢さというかダメさというか。)。それを俯瞰で見るとドライなコメディになってるっていうのが、『セブン』や『ファイトクラブ』なんかに比べると割と小品な今作をいかにもフィンチャーだなって映画にしてると思うんですよね(ミニマルでプライベートな雰囲気もあるんですよね。フィンチャー自身の独白のような。そういう意味でも非情にかわいらしい作品だなと思います。)。

はい、ということで、これ、NETFLIX制作で既に配信されてるんですが、個人的には断然劇場で観た方がいい派です。フィンチャー監督の計算されつくされたスタイリッシュな映像とそれがズレていく時のギャップはでかい画面であればあるだけインパクト大ですし、終盤にあるちょっと今までに見たことない殺し屋同士の格闘シーンとかかなり必見ですよ(ただ、配信に来てからもう2回観たんですけど、何度も観ることで殺し屋への愛おしさが増すので、そういう意味では配信向けでもあるのかもしれません。)。


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