見出し画像

批判というより意義は唱えた方がよい

  1. 何を言おうと人の勝手

  2. あの人はそう思うのだから尊重すべき

  3. 自分も違う意見を言われたら腹が立つ

というような考えで、若い人を中心に「違う意見を言わないのが良い」とされている雰囲気を感じますが、ある意味それは無責任とも言えるし、無関心とも言えるでしょうね。

個人主義の場合、自分に影響が及ばなければ何も言わないという方向性になると思います。
その辺にいる人が何かSNSで発言していても、自分に直接関係ないことだから、何か言ってもしょうがない、時間の無駄、という考え方は理解できます。

ただ、子育てなんかもそうだと思いますが、一人ひとりの無責任・無関心や放任主義が、社会全体にじわじわと影響することはあると思います。

昔は近所にうるさいおじさん、おばさんがいて、子供は他人に叱られたりしましたが、そういうことが無くなった現代や、ニュータウンでの生活では、何かそういう人との関わりが欠如した、微妙なフラストレーションが蓄積しているように感じます。

批判でなくて・・異議

公開SNSの上での発言は、一応、言った人が社会的責任を持っていると思います。知られる範囲が狭い人は比較的、無責任でいられるし、広い人は大きな責任を負っています。

だからその発言に問題があると世間的に判断された場合は、批判を受けてもしょうがないと思います。
ただ、批判する方としては、悪者にはなりたくないと思います。

微妙なニュアンスの違いですが、批判というよりは「異議」は唱えても全く差し支えはないのでは?と思います。

「貴方はこう言われますが、そこは違うのではないでしょうか?
私はこう思うのですが、どう思いますか?」

というのが「異議」です。
批判は、決めつけを伴っていて「貴方は間違っていますよ」と言うニュアンスなのですね。
異議は違います。「間違っているのでは?」「考え直しては?」「別の考えもあるのでは?」という問いかけです。

SNSのコメントでは、言葉が短く端折られる傾向があるため、どうしてもぶっきらぼうになりがちで、異議を唱えていても批判のように受け取られる可能性はあります。
したがって、言い方は十分に配慮しなければいけないでしょうね。

僕自身も、コメントで「異議めいた」ことを言う場合がありますが、やはり言葉足らずで相手に誤解されているように感じるケースがあります。
だからと言って、何も言わないというのも、社会的でない気がするし、ソーシャルネットワークなのにソーシャルじゃないのはどうだろう?という感じがしているのですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?