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前衛ラノベ『ちーちゃんの青春混沌日和・登校編』

「時間と空間は昨日すでに死んだ。
 われわれは永遠にして普遍なる速力を創造した。
 故に、もはやわれわれは絶対の中に生きている。」
(フィリッポ・T・マリネッティ著『イタリア未来派宣言』より
 訳:鈴木重吉 )

     ☆     ☆     ☆

  朝起きたら自分の部屋に、自分の仏壇があって、
トイレに入ったら、自分の骨壷があって、
テレビをつけたら蝦空千鶴とかいう、
中二病をこじらせたような、怪しい変な女が出しゃばってて、
隣の部屋では、歯抜けのジジイとババアがチョメチョメしてい、
女子お決まりの妄想とか色々とすったもんだしてたら、
朝食を食べ損ねて、実にムカつく思いで家を出て、
何故か無駄に長いボロアパの階段で下まで降りたら、
いつものジャンボメロンパンのような巨乳の大家が、
ガチのガチでうさ耳のバニーガール姿だったので、
あたしは気が狂うほど厭な気分だった。
(ついでに、
うさぴょん大家が納豆を指でかき混ぜてるという件も許せなかった)
(腹いせに、うさぴょん大家の巨乳を揉みしだくことが出来なかった自分も許せなかった)
 ……ってか、なんか……話をめーっちゃ適当に端折って、
ところどころ順序が逆のような気もするけど、まあいいじゃん。
何があったのか詳しく気になる人は、前回の話を読むといい。

 そんなわけで――。
 夢和夢幻荘を出て、懸命に走っていたあたしは、
ふと立ち止まり、なんとなく閑静な住宅街を左右に見ると、
もうとっくに起きている〈早起きな家〉と、
まだ熟睡中の〈寝ぼすけな家〉がバランスよく混在していた。
 この街を見ていると、
動物や人々が住む〈家〉というのもまた、
例外なく生きているということを痛感するほどよくわかる。
 ただ、他の街と、今あたしの住む街の違うところ――。
それは、今あたしの住んでいる、この街は、
決して大人になるということはない――ということだ。
 いや、自ら成長をやめ、大人にはならず、
永久に子供であり続け、子供であることに誇りを持ち、
そしてイタズラ好きな子供としての在り方で、
この街は、この街で〈あり続ける〉ことが、
最大の特徴なのだと思う。
 あたしは中学卒業と同時に、
両親の元を離れ、この街にやってきた。
 そんなあたしを、
この街は、〈大人〉としてではなく、
イタズラ好きな〈子供〉として、
あたしのことを歓迎してくれた。
 だからこそ、中学時代までしか知り得ない、
あたしの常識とやらは、
この街で通用することは決してなく、
この街の常識は、それまでのあたしにとっての非常識で、
非常識こそが常識であり、
今ではもうそれが日常となってい、
気づけば〈常識〉とか
〈非常識〉なんていう概念はないのではないか、
という新たな観念の種が、心の土壌に蒔かれ、
それがすくすくと健やかに芽生え育っていくのがわかった。
 いや、わかったというか、
わかった気になってるだけなのかもしれないが。
 もはや何が日常で、何が非日常なのか、
それすらも今のあたしにはわからない。
 だってこの街にいると、正解も不正解も見えてこないのだ。
 あるのは、今自分が見えている世界が全てであり、
見えない部分すら本当はないということ。
もしかしたら、朝の仏壇と骨壷は、
こんなイタズラ好きな街が仕組んだ、
新たなイタズラなのではないだろうか――
そんなことを考えてしまった。
 あたしは空を見上げると、
〈今日という光〉を背負った煙色の空は、
薄く目を開けて、
あたしとあたしたちの住む街をじっと見下ろしていた。
 今あたしの住む街を、
今日という〈一日の世界〉を生きる生命全ての
〈喜怒哀楽〉を融和させた“風の波”が、
うねりながら、ゆっくりと押し寄せていた。
 ある方角の遠くからは、救急車が過呼吸で、
かつ、青白い悲痛な叫び声をあげながら、
あたしたちの住む街に向かって訴えかけるように、
〈この街の朝〉を震わせていた。
 だが、そんな叫び声は、
時の経過とともに、
今日という〈一日の世界〉が、
次々と生み続ける“音の波”に紛れて、
ゆらゆらと揺られながら、緩やかに浄化していった。
 また、別の方角の遠くからは、
風を真っ直ぐと滑らかに切り裂く車の音と、
風を絶え間なく打ち砕くバイクの音らが、
互いに激突し、音の砂を空に巻き上げたかと思うと、
さざ波のような波紋に姿を変え、みるみると拡がり――。
 さざ波のように拡がる音の波紋は、
あたしたちの住む街へと到着する頃には、
砂浜を赤子のように這いずる、
頗る愛くるしい小さな波となって流れてきた。
 この街に来て、
生活をしてからわかったことだが、
この街には、春夏秋冬という四季は、
往来することもなければ、交代することもなく、
“春夏秋冬そのもの”が『一つ』として、
共存しているのだった。
だから歩けば、時として桜が舞い踊り、
歩けば時として紫陽花が朝露の化粧をし、
歩けば時として向日葵が瞳いっぱいの青空に微笑み、
また、歩けば時として金木犀の香りとともに、
紅葉が風景を染め上げ、
歩けば時として花のプリムラが、
静かで凛とした佇まいで、
あたしとこの街を見守っていた。
よって、季節はあたしたちの行動や考え方次第で、
多種多様に変動するのだった。
 考えてみるに、
今現在のあたしの気分において、
季節は【春/夏/秋/冬】で、
陽気としては、【暖か/暑/涼し/寒】くて、
空には、【桜/海鳥/紅葉/雪虫】が飛んでいた。
 今日の一日の予感としては、
なんだか、
【楽しいこと/変なこと/色々とアレなこと/残念なこと】が、
いっぱい起こりうる、とても長い一日になりそうだった。
 あたしは学校という〈目的地〉に向かって、
また走ろうとすると、正面からは、
巨大で強烈な〈風たち〉が、
タカやワシやハヤブサやコンドルのような姿となって、
あたしに向かって疾風の如く、
突っ込んできた――かと思うと、
そうではなく――。
 〈風たち〉は、あたしを横切り、
50メートル後ろの方で、それらは散開し、
この街を素早く巡回し、
それから別の街――別の世界へと飛翔していった。
 あたしは、〈前に〉という気持ちに切り替えて、
再び走った。
 走っていると、
タッタッタッタッタッタッという足音の塵が、
空に向かって舞い上がる。
 が、そんな音の塵も、
この街の今日という〈一日の世界〉の風と音に浄化された。
 この街の吐息から生まれた風波は、
逞しくうねりながら、あたしを慈しむように抱擁し、
 決して離そうとはしなかった。
 それでも、あたしは学校に向かわなければならない。
 前へ前へと、
 あたしは〈目的地〉に向かって走っていると、
 風波は飛沫を上げて風となり、
キラキラと光の粒子を身にまといながら、
 あたしの体中全てを聖水の如く滑らかに、浸透していった。
 あたしは今たしかに走っているのに、
走っているという実感はまるでなく、
 海底で泳いでいる――そんな錯覚に陥った。
 走りながらあたしは、
この街の〈本質〉について考えてみた。
 この街で暮らしていると、
 もしかして、この街は、
 あたしたち人類にとっての大海原ではないかしら?
 と、思うときがある。
 あたしたちこそが、実は魚で、
それぞれ一日の目的と目的地に向かって泳ぎ続ける。
 家々や、その他の建物や、
学校は、本来のあたしたちの住処だ。
 そして、空こそが実は砂浜で、
いつも、あたしたちが泳ぎ続ける〈この街〉
という大海原を支えている。
 この街の中で泳ぎ続けるあたしたちが、
 空を支えているのではなく、
空がこの街を支え、
あたしたちは支えられているのだと思う。
 改めて空を見上げると、
眠そうだった煙色の空は、
いよいよ蕾から咲き誇る華の如く、
空の瞼を全開にし――、
 神々しく、燦々と光り輝く丸い瞳と、
慎み深い青白さと佇まいが特徴の丸い瞳が、
あたしたち“人類”と、
他の“生命”と“世界”を見守ってくれていた。
 その二つの丸い瞳――両目は、
〈この街〉と〈世界中〉を明るく照らし、
 世界中の気象と気候と引力を、
平常通りに築き上げていった。

     ☆     ☆     ☆

 住宅街を走り抜けると、あたしはやがて、
(ダダイズム/ダダイスム)にちなんで出来た、
いつもの〈日本ダダ大通り〉に出た。
 この日の〈日本ダダ大通り〉には、
 人も車も疎らで、
全力疾走をしてもいいくらい、
頗る走りやすかった。
 だが、そんなあたしの‘走りやすさ’は、
すぐに‘走りにくさ’へと移行し、
ついには、
歩くことも困難な状況にまで陥った。
 というのも、不規則に疎らだったはずの人が、
徐々に増えはじめ、やがて、
不規則は規則的へと移り変わり、
人々は長蛇の列を構築していた。
 もはや、車は一台たりとも通ってはおらず、
人々の列は、あたしが前に進めば進むほど、
横に広がってい、
ついには車道にまで人間がはみだしていた。
 あたしも車道に出て、更に前へ前へと進むが、
単なる長蛇の列は、もはや長き大蛇の列となっていて、
蛇の頭が一体どこなのかわからなかった。
 あたしは一旦立ち止まり、
大蛇の頭と尻尾はどこなのか探し、
そして、このような人間の大蛇が、
どうして誕生してしまったのか、考えてしまった。
 過去と繋がる現代社会に生きる人間という生き物は、
時に蛇をつくる。人は蛇になろうとするのではなく、
蛇の一部に良くも悪くもなってしまうのだ。
 自分が蛇本体の一部と同化することで、
〈自分として〉、〈蛇として〉、
本来の“獲物”を、
食べることが出来る“かもしれない”からだ。
 しかし、
このように巨大な蛇をあたしは今まで一度も見たことがなかった。
 この大蛇は一体何の“獲物”を求め、
何を得ようとしているのだろうか。
 〈食べる事〉と〈得られる事〉は違う。
 食べる事は、
あくまでも人間の本質的な欲求の一部分に過ぎない。
 が、〈得られる事〉には、
“何か”がなくてはならない。
 この大蛇は老若男女の人々で構成されているが、
食べる事で“何か”を得ようとしている一匹の巨大な蛇そのものだった。
 ――それにしても、これはイベントか何かかしら?
 ――これだけ巨大な列を作るってことは、
アイドルかなんかのコンサート……って事は
……なさそうね。
 というか――。
 そもそも、
老若男女が混在しているアイドルの待機列なんてあるのだろうか。
 気づけば、あたしは、
そんな大蛇の胃袋に飲み込まれていたが、
大蛇の一部として消化されることはなかった。
 あたしが立ち往生していると、突如、
「あれ? もしかしてキミもなのかい?」
 という若い男性の声が、
すぐ近くから聞こえた。
 また、その問いかけは、
“あたし”に対して発せられた言葉だと、
なぜか瞬時に察した。
 声の主はどこか、キョロキョロと辺りを見回すが、
それらしい人物がいない。
「キミもなんだよね?」
と、再び同じ若い男性の声が、
すぐ近くではっきりと聞こえた。
 ふと横を向くと、
そこには警備員の制服姿の若い男性が立っていた。
 どこにでもいそうな普通の若い男性といった感じだった。
「ひょっとしてキミも……“そう”なんだよね?」
「いえ……あたしは違いますけど」
 なぜか、あたしは即答してしまった。
 何に対しての“そう”なのかがわからなかった。
 そして――。
 何に対しての質問なのかがイマイチわからなかったのに否定した、
 あたしの行動原理も、イマイチわからなかった。
「え!? あれぇ~? キミもじゃなかったんだ!?」
「えっと……あの……」
「あ、僕は一体誰かってことかい? 
僕はアレだよ。名乗るほどの者じゃないけど、
 貧乏で割とパッとしなくて
 女の子にモテない警備員のお兄さんだよ」
 と、その男性は、
まだあたしが何も質問すらもしていないのに、
突如、極めて不気味に怪しくもキザなポーズで、
格好よく爽やかに名乗った。
「…………」
 なるほど。
 たしかに名乗るほどの者ではなかった。
 しかも“警備員のお兄さん”は、
 そもそも名前ではないなぁと思った。
 というか――。
 “貧乏で割とパッとしなくて女の子にモテない警備員”
と豪語するところの〈一体どこ〉に、
格好つける要素があったのだろか――
という率直な疑問さえも湧いてしまった。
「……。その……ひょっとして、今日の“アレ”ですか?」
 よく、わからなかったので、試しに鎌を掛けてみた。
「そうそうそう! そのアレだよ。
ほらアレ。
『無職キモオタ童貞と腐女子な喪女の二次元統一革命裁判』
の傍聴席の整理券だよ!」
「あ~!! なるほどハイハイ! 
それのことでしたか!」
 と、あたしは意外そうに驚いて言ったが、
ぶっちゃけ何も知らない話であった。
「そうそうそうそうそう!
 それそれ! それのことだよ! 
 凄いなぁ! いやはや、さすがだよ!」
「…………」
 何が凄くて、
 何がさすがなのかが、わからない。
「で、その整理券の番号が発表されるのももうすぐだから、
キミも傍聴席の待機列に
並ぼうとしてるんじゃないかと思ったんだ」
「いやぁ、だってあたしまだ高校生ですし……」
「大丈夫大丈夫! よくある話だから」
 何が大丈夫なのかがわからない。
 そして、よくある話とは、
 一体いつある話なのだろうか。
「だってここには、ほら! 
0歳から110歳の人たちが、
非常に長い時を経て並んでるんだからさっ」
 警備員さんは、
 なぜかドヤ顔で言うが、あることが気になった。
「……え、非常に長い時を経てって……」
 一体いつから並んでいるというのだろうか。
 すると――。
 目の前で並んでいる、
大福のような図体をしたおばたんが、
あたしと目が合うと、
「ヒッヒッヒ! 
 あたいは、3年前から家にも帰らず、
ずーっとこうして並んでるのよ!ヒッヒッヒ!」
 などと、まだ何も質問すらしていないのに、
勝手に答えてくれた。
 っていうか――。
 なんか、使い古したボロ雑巾を搾ったような声だった。
「は、はぁ……」
 としか、あたしは言いようがなかった。
「他にもまだまだいっぱいるよ。
最近並び始めた人で、半年前だからね!」
「ってことは、
 一番長く並んでる人って……」
「あ~~! そうだねぇ、
20年以上前じゃないかな。
この裁判の傍聴席のためだけに何もせず、
20年間ずーーっと並び続けてるんだからね!
大したもんだよ!」
「えっ……でも、傍聴席って何席あるんですか?」
 すると、警備員さんは、
瞳を朝陽に反射する水のように煌かせ(きもい)、
「実に良いことを質問してくれたねぇ! 
けど、席数はそんなに多くはないんだ。
 ほんのちょっと珍しい裁判ではあるけど、
傍聴席は全部で100万席用意してあるんだ」
「え……100万席って……
 ここには何人並んでるんですか?」
「それもまた良い質問だねぇ~!
うんうん! ここには、カウントしたところ、
 約2000万人の人が並んでるんだよ! 
もちろん、抽選だから、
当たるかもしれなければ外れるかもしれない。
ね、凄いでしょ!? 
この裁判の傍聴席のためだけに、
保育園や幼稚園や小学校や中学校や高校や大学や、
あるいは職場にも行かず、
自分の時間という時間を割いて並んでるんだよ!」
 あたしは驚いてしまった。
それは2000万人という数字が、ではない。
「……え? ということは、
抽選に外れてしまった人たちは……
……全員どうなるんですか?」
「あははははは! キミ!
それはさすがに愚問だよ。
もちろんそれは粛々と、潔くお引取り願うしかないな」
「せっかく長い時を過ごして、
並んだというのに、ですか?」
「あははははは! 
時間は問題じゃないんだな。
20年以上も前から並んでようが、
15年以上前からであろうが、
 5年以上前からであろうが、
それこそたった今並び始めたところだろうが、
抽選に外れたら、諦めて帰ってもらう、
それが“人間社会のルール”ってものだよ! 
普段我々が〈無意識〉に、
呼吸をしたり食事したりするのと変わらない、
“人間社会のルール”さ。
まぁそれが良いことなのか悪いことなのか、
もしくは、正しいのか間違いなのかは別としてね!
あははははは!」
 ということは、せっかく長い時を過ごしても、
大蛇の一部になれても、
目的の〈獲物〉を食す、
ということすら出来ないということなのか。
 〈獲物〉を食せないことで、
潔く納得して、帰れるものだろうか。
 そしてなにより――。
「その裁判の傍聴って……
……聴く価値と意味はあるんですか?」
 これはあたしの率直な質問だった。
 だが、警備員さんは、困惑した笑みを浮かべ、
「価値ってキミ……今ここは
〈日本ダダ大通り〉だよ? 
意味を考えるということがそもそも無意味だし、
価値があるかどうかは人それぞれだな。
どんなに結束するかのように大勢並んでようが、
 人間というものは結局のところ“本質的”には、
“孤独”なんだからさ。
 とはいっても、一見、無意味と思えることが意味があったりするし、この世は全てにおいて意味がある、ともいえる。
我々人間は普段それを考えないだけでね」
「普段考えないだけ」
 と、あたしはオウムのように繰り返した。
「そうそう。
 キミもそうだけど、
人はどうして学校に行くのか、
何のためにいくか。勉強するため?
 勉強なら別に学校じゃなくても出来るよ?
独学の方が覚えやすいって人もいるんだし。
というか、
人間はそもそも大人になっても死ぬまで勉強だよ?」
「死ぬまで勉強……そうかもしれませんね」
「そうそうそう!
だからキミがこれから、
向かおうとしている学校で先生や友達と会うことにも、
授業を受けることにも、意味があるんだ。
人生で無意味というのはそもそも、無いんだ」
「…………」
 どう反応して良いかわからないでいると、
警備員さんは、優しく微笑み、
「さて! ということで、
キミは学校へと向かうことを〈選ぶ〉ようだから、
すんなりと行きやすい道を案内してあげるよ。
ついてきて」
 警備員さんは、そう言い、
人で構築された大蛇の列を横切って行く。
 あたしも彼の後ろをついていくが、
なんだか――。
 人の間というよりも、
〈時〉の合間をすり抜けていくような感じがした。
 ようやく大蛇の列をすり抜け終えると、
人の気配はまったくしなくなり、
 目の前には、
雑居ビルとの間にある路地裏があった。
 そして、その細い道の先には、
光が溢れていた。
「この路地裏をあの光の方へ、
ずーっとまっすぐ進めば、
〈シュールレアリスム通り〉に出るから、
そこを右に曲がれば、
すぐ〈オートマティスム商店街〉の入口だよ」
 あたしは路地裏の先を見た。
 細い道の先には、
溢れんばかりの光が昆虫のように蠢いていた。
「あ、あの……ありがとうございます」
 と、振り向いたら、
もう警備員さんはどこにもいなかった。
 それどころか、周囲を見ると、
人の気配はどこにもなかった。
 聞こえてくるのは、
今日を生きる街の風の呼吸音だけだった。
 さっきまでの人の数が夢のように思われた。
 あたしは路地裏の先へ――
昆虫のように蠢く光の方へと歩いていった。

 路地裏を抜け、光が収まると、
そこは、あたしのよく知ってる、
見慣れた〈シュールレアリスム通り〉だった。
 〈シュールレアリスム通り〉は、
さっきの〈日本ダダ大通り〉と比べると、
横幅はそんなに大きくはないが、
長さ的には極めて長い通りである。
 すぐに右に曲がって、
〈オートマティスム商店街〉の入口に入ろうとしたところで、
「あのー……すみませーん……」
 急に横から女性に声を掛けられた。
 はっと横を向くと、そこには、
【カジュアル/特徴がないよう/派手】な服を、
着こなした若い大人の女性が立ってい、
なんだか声も見た目も、全体的に、
【今の季節に合った/季節感のない/季節外れな】感じがした。
 若くは見えるが、専業主婦なのか、
それとも別の仕事をしているのか検討もつかなかった。
 さっきの〈日本ダダ大通り〉で出会った警備員の男性も、
列に並ぶ人々もそうだが、
ひょっとしたら、この女性も、
( C )ではないのかもしれない。
( C )ではない――というのは、
あくまでもあたしの直感である。
 だが、別段おかしなことではなく、
よくある話だ。
「あ、はい」
「あのー……すみません、場所をお尋ねしたいのですが、
よろしいでしょうか?」
「この街は、ずば抜けて詳しいわけではないのですが、
わかる範囲でしたら……はい」
「あのー……
……実は〈ハンバーガー大食い連邦議会〉に行きたいんですが、
どこなのかわからなくて」
「あー! 
それですか、それでしたら――」
 あたしは商店街とは反対の、
後方を指し示しながら、
「この〈シュールレアリスム通り〉を、
真っ直ぐ歩きますと、
〈20世紀未来派交差点〉にぶつかりますので、
そこを右に曲がると、
手前に、
〈22世紀アヴァンギャルドアート研究センタービル〉がありますので、
そのとなりに〈ハンバーガー大食い連邦議会〉の、
矢印付きの看板が見えるはずです。
矢印の方をまっすぐ進むと、
〈ハンバーガー大食い連邦議会〉の本拠地ですよ」
「ありがとうございますぅ~! 
親切な方で凄く嬉しいですぅ~!」
「いえいえ、どういたしまして」
 女性は言われた通り、
真っ直ぐと歩き進んだ。
 あたしは彼女の“姿”と“声の記憶”が、
儚い霧のように消えていくのを確認してから、
 再度、向き直り、
〈オートマティスム商店街〉の入口へと進んだ。

     ☆     ☆     ☆

〈オートマティスム商店街〉は、
時に〈自動筆記商店街〉とも呼ばれてい、
文字通り毎日が自動筆記な商店街である。
 ただし、一度見た店であろうが、
どんな建物であろうが、
二度目には同じ〈モノ〉は見れないようになっている。
毎年、まったく同じ四季の光景を、
あたしたち人間は見ることが出来ないのと同じように。
 〈オートマティスム商店街〉に入り、
あたしはなんとなく空を見上げた。
 空には丁度、一羽の鶴が、
くちばしに、地味な柄のブラジャーをくわえて、
 どっかで確実に聞き覚えのある、
「はっはっはっはっはっ!
はーっはっはっはっはっはっ!!」
 という、極めて不愉快な馬鹿笑いで、
大空を無粋にも震わせながら飛翔していた。
その後ろを、最近よく売れているカップラーメンが、
フタに仔猫を乗せて、
鶴を追いかけていた。
更に、その仔猫を乗せたカップラーメンの後ろを、
ピッカピカに輝く最新型のトイレの便器が追いかけていた。
便器の中からは、
犬のマルチーズがひょっこりと顔を出し、
あたしと目が合うと、尻尾をフリフリとさせながら、
「ワ、ワワワ……ワン♫(∪^ω^∪)」
 と、元気よく吠えた。
 地味なブラジャーをくわえて、
キショい馬鹿笑いをする一羽の鶴――。
それを追いかける仔猫を乗せたカップラーメン――。
それを追いかけるマルチーズを乗せたトイレの便器――。
 あたしはそれらを見て、
「あっ……」
 それだけ言った。
 他に言いようがなかった。
 というか、それよりも――。
 ――急がないと! 本当に遅刻しちゃう! 
 今は遅刻を回避する、
ということだけが、あたしの脳内競争において、
 圧勝の一位だった。
 したがって――。
 あの大空を飛翔する鶴が、
一体いつどこでどこから、
あの地味なブラジャーを拝借したのか、
 あるいはゲットしたのか、
というツッコミは、割とどうでもよかった。
 そんなわけで――。
 あたしは商店街の方へと向き直り、
歩みを早めた。
 〈オートマティスム商店街〉のスピーカーからは、
なぜかフランス音楽のミュゼットが流れていた。
だが、そんなミュゼットと商店街の雰囲気は、
ベストマッチしていた。
 ――ここまで来れば、学校まであと少し。
  店では様々なことをやっていた。
 早歩きをしながら、
あたしは商店街を左右に見た。
 左を見れば、〈ピラニア工務店〉があり、
そこの店主の“ピラニア八兵衛”が、鉢巻プードルに、
口の臭いパパラッチの目殺法を伝授してい、
 右を見れば、
〈水着アナウンサー育成店〉があり、
そこのヤドカリ隊長が、
客でもない女に、
“どんぐり”だけしか売ってない、
『大型どんぐりスーパーマーケット』の行き方を、
金利ゼロで教えていた。
 また左を見れば、〈格闘家をぶちのめし屋〉があり、
そこで本物のプロ格闘技家が、
例の噂のカンガルー番長にタコ殴りにされてい、
また右を見れば、〈傘立てマーケット〉があり、
そこの誇り高きロリコン支配人が半ズボン伯爵に、
神秘的なブス女の口説き方を解説していた。
 更にまた左を見れば、変態ダジャレ屋敷があり、
そこから厚底ブーツを履いたカメレオンマンが飛び出し、
すぐ後から出てきた片手に、
ペディグリーチャムを持ったバツロクの、
寝取られオヤジに追い掛け回されてい、
 更にまた右を見れば、バンダム級インチキ食堂から、
食べかけの焼き魚が二足歩行で飛び出し、
店の看板猫にゃんのことを、
『あれれ~!?
まさに君こそが第八宇宙速度から生還した例の、
選ばれし占星術師ビアリブーデ様なんだね!?
そうなんだよね!?』
などと、意味のわからないことを、
ぶっ壊れたレコードのように何度も繰り返し喚きながら、
追い掛け回していた。
 しかも、どさくさに紛れて、
その食堂の瓶に入った大根おろしと、
七味唐辛子と山椒が店を飛び出し、
「ぶっ飛ばしたいほどトレビアン!
 ぶっ飛ばしたいほどトレビアン!」
 などと、トンチンカンなことを喚きながら、
彼らはオホーツク海に向かって、
ロケットのように逃亡していった。
 だが、店から出てきたガラムマサラだけは、
あたしのスカートにピトッとしがみついて、
「おおぉ~こいつはたまんねぇぜ!
メスくせぇ匂いがするぜぇ……
スーハースーハースーハー……
……メスの匂いがプンプンしやがるぜ!」
 などと言いながら、
スーハースーハーくんかくんか、
と吸って吐いてを繰り返してきたので、
無粋なセクハラはいかんと思い、
あたしは空かさず、奴を手で払い、
更に続けて迷わず膝蹴りをくらわせたら、
ガラムマサラは、
「へぶしっ!!」と叫んで吹っ飛び、
空でキュピーンと光って消えていった。
 すると、あたしの目の前に、
大皿に乗ったエスカルゴが現れ、
ゆっくりと浮揚しながら、
「ちみはガラパゴスにいる、
コモドドラゴンの特大ウンコを見たことがあるかね?」
 と尋ねてきたので、
「……。……いや……ないです」
 そう素直にこたえると、
「大儀であった!! にっぽんの夜明けぜよぉ~~!!」
 と叫んで、大皿に乗ったエスカルゴも、
遠い空に向かって飛んで、
キュピーンと消えた。
 あたしは歩くことを再開した。
 というわけで――。
 その他にも、〈やじり合いピザ屋〉、
〈格安トイレマーケット〉、
〈手ぬぐい喫茶〉、
〈カボチャ質屋〉、〈イカサマ古本屋〉、
1回1000円の〈鼻ほじり専門店〉、
1回1500円の〈鼻かみ専門店〉、
〈切れないじゃがいも道場〉、
『は、はいてない!!』が専門の、
〈はいてない写真店〉、
“猫用のビート板しか売ってない”〈コンビニエンスストア〉、
新装オープンしたばかりの〈何も売ってなければ何もない店〉、
“イソギンチャクとヒトデとマンボウ”しか売ってない〈魚屋〉、
などなど、まだまだあげたらキリがないくらいの店があり、
それらの店を通り、
ようやく、あたしは、
〈オートマティスム商店街〉を抜け終えた。

     ☆     ☆     ☆

学校の校舎素材1

2リットルのペットボトル830本分の距離を走ると、
ようやく、今のあたしの目的地である、
緑に包まれた学校――幻立夢真宵女子連合学園高校
(げんりつゆめまよいじょしれんごうがくえんこうこう)
の巨大で広大な敷地、
テニスコートやら屋外プールやら、
体育館やら広大なグラウンドやら、
第二校舎やら第三校舎やら、
そして本校舎があった。
 その本校舎の屋上には、
校旗と日本国旗(日章旗)が神々しく輝きながら、
風にたなびいていた。
学校の正門前には、
なんと栗色のショートカットで、
クールな顔立ちが特徴の“学園風紀主任”で、
女体育教師の威虎先生がジャージ姿で、
竹刀を片手にあたしのことを睨んでいた。
そして、遠くから大声で、
「こらぁ! 在校生ちづる!
また君ではないか! 早く急ぎたまえ!」
「すみませーん!」
 あたしは謝りながら、
威虎先生のところ――もとい正門まで猛ダッシュする。
「おはようございます先生……はぁはぁ……」
「在校生ちづる!
君は今日で遅刻10連覇じゃないかね!」
「え、でも、まだチャイムは……」
「もうあと数秒で始業のチャイムがなるがね」
 先生がそう言って、
竹刀で本校舎を指した途端に――。
『にゃ~ん♪にゃ~ん♪♪にゃ~ん♪♫にゃ~~(↑)ん♫♫
おはようなのニャ~ン♪
これは始業のチャイムニャン。
よって、
廊下にまだいるメスニャンは、
早く教室に入りやがれニャン。
あ、それと、
まだ校舎にすら入ってないメスニャン(在校生のこと)は、
遅刻したことを少しは反省しれニャン♪
というわけで今日も一日けっぱろうニャン♫』
と、チャイムが鳴り響いたのだった。
「在校生ちづる、どうして君は遅刻が多いのかね!
遅刻する理由は一体何なのかね!?」
 威虎先生が問い詰めるので、
あたしはショボンとしながら、
「だって今日の朝……起きてみたら――」
「言い訳は大和の乙女がするものではないがね!」
 と、頗る鋭い剣幕で、遮ってきた。
 ――いや、でも、あの……先生……
たった今あたしに理由を聞きませんでしたかね……。
「さぁさぁ君はなんだかんだで、
究極的特待生でこの学校に来た、
選ばれし一人なんだから、
シャキっとして校舎に入りたまえ!」
「は、はい……」
 あたしは軽くため息をつき、
本校舎に入ろうとすると、ズズズ……あれ?
本校舎に入ろうとすると、ズズズズズ……あれあれ??
 なんと校舎に入れない――のではなく、
あたしが近づくと本校舎が後退りをしていた。
 焦ったあたしは後ろを振り向くと、
威虎先生が、
「ん? なんだね? 早く校舎に入りたまえ」
「いや……あの……
その……校舎が後退りしているようなんですが、それは……」
「ん? 後退りしてるか?」
「あのー……えーっと……はい……」
「うむ……。
まぁ学校の校舎だって生きもんだから、
たまにはそういうこともあるだろう」
「あるだろうって……
じゃああたしは一体どうすればいいんですか!?」
「どうするも、こうするも、
そういう時は『あたしは飛んだ馬鹿です、ごめんなさい』という、
これ以上にない究極的な謝罪で近づけば、
大概なんとかなるんじゃないかね。
たぶんだがね」
 ――たぶんって、そんなアホな。
 だが、迷っていても仕方がない。
あたしはゆっくりと校舎に近づくが、
近づけば近づくほど校舎は後退りし、
意を決して、
あたしは猛ダッシュで校舎の入口に近づいた。
 そしたらなんと――。
『ううううぅぅぅぅにいぃぃぃぃやぁぁぁぁ』
という唸り声と共に、
本校舎がゴゴゴゴゴと豪快な音を立てながら、
みるみると変形し、それはやがて――。
 とても巨大な猫の姿になった。
それが単なる可愛らしい野良猫みたいな姿ならまだいい。
 だが、学校の文字通り、
鉄筋コンクリートの本校舎が、
形を変えて猫の姿になったのである。
見上げるほど――
巨大ロボぐらいある超巨大な猫型校舎だった。
 猫型校舎はブルブルと首を左右に振って、
あたしと目が合うと、
『バカニャアアアア~~~~~~~~!!!!』
 鼓膜の牙城が根こそぎ吹っ飛ばされるのではないか、
と思うほどけたたましい声で叫んだ。
「え? あ、あの……え?」
 あたしはただ呆然と立ち尽くすだけだった。
『バカニャ~~バカニャ~~
バカニャアアアア~~~~!!』
「ほら見ろ、
学校の校舎を怒らせてしまったではないかね」
 と、威虎先生が何故か呆れていた。
だが、呆れる理由がわからないし、
校舎が猫になる理由もわからなかった。
だが、猫型校舎はご立腹のようで、
『バカニャ~バカニャ~!!
ちーちゃんはバカニャ~~!!』
「え…………?」
 ――今、あたしのあだ名でバカって言った?
 聞き間違いかと思いたかったが、
『ちーちゃんは、
 ちーちゃんは、バッカニャ~~~~!!』
 猫型校舎はそう叫ぶと、
ぴょんと高く跳躍し、
人が密集する繁華街の方へと向かっていった。
あたしが呆然としていると、
「ほら! 何をしているかね! 
早く追いかけたまえ!」
 と、威虎先生が猫型校舎が向かった方を指さした。
 あたしは急いで向かおうとするが、
「ただ、追いかけたって所詮人間の足では追いつかないがね。
せっかくXGのスマホと、
指定された特注の学校専用革靴で登校しているんだから
有効活用したまえ!!」
「は、はい!」
 あたしは目をつむり、
靴に意識を集中させ、

「“ウルトラダッシュモード”!」

 すると革靴は、
光の速さで超音速対応型運動靴に、
トランスフォーム(変形)された。
 それから、スマホを取り出し、
訴えかけるように、

「“ハイパーソニック”!」

『“ハイパーソニック”起動します。
何倍速にしますか? マスター千鶴』
 と、XGのスマホが問いかけたので、
あたしは、
「とりあえず60倍速! 
久々なんだけどバッテリーとかは大丈夫?」
『ラジャー。全然余裕です。
ではマスター、
0.5秒間、画面に触れてチャージが、
マックスになったら離してください。
これよりハイパープラズマ波を直接、
マスター千鶴の全体内に注入します。
そして、マスター千鶴の速度を、
通常の60倍に変換加速させます。
その間、マスターは早く動き続けてください。
尚、一度でも立ち止まったらパワーが全て解除されます。
また、体感時間も60倍に引き伸ばされるので、
自分以外のモノが
極めてゆっくり動いているように見えても、
くれぐれも転んだり、
障害物とかにはぶつからないよう気をつけてください』
 オッケーとあたしは言って、
親指でスマホの画面を強く押すと、
キュイイイイィィィィ――――ン!!
とマックスになったのと同時に、
親指を離すと、
ドゴォォォォ――――ン!!
という落雷のような音ともに、
風の動きが時が止まったかのように、
極めてゆっくりとなり、
偶然近くを横切ったハエの羽が、
極めてゆっくりに動くのが見えて、
あたしは猛スピードで走り出した。
世界の音と生命の動きは、
全て時が止まったように減速し、
風景の何もかもが時を止めたかのように、
ゆっくりに見えた。
 あたしは道路を走る車を次々と追い越し、
オートバイを追い越し、
誰よりも早く動く。
 通りを歩く人は全員、ほぼ静止状態で、
それは自転車も同様で、スポーツカーも、
 更には、
オートバイどころか警察の白バイさえも
全てが静止しているのではないか、
とおもうほどゆっくりだった。
 減速する時の中を動いているのは、
あたし一人なのではないかと錯覚するほどだった。
 これこそが、
新時代の日本が誇る――
最先端テクノロジーの力である。
 その昔、かつては次世代移動通信として、
世間を驚かせた5Gや6Gを超え、
それどころか7Gや8Gさえも遥かに超え、
日本が独自に開発した、
新世紀型移動通信システム――
XGのスマートフォンのアビリティの一つ、
『ハイパーソニック』の力である。
 一方で、猫型校舎は、高速道路に飛び移ったり、
一般道路に降りたりを繰り返し、
なにやらイキがってる兄ちゃんが
乗りまわす高級車などを、
片っ端から踏んづけたり、
煽り運転の車を猫パンチなどで吹っ飛ばし、
それらの車はどれも全て、
近くの小汚い軽トラックやら、
聞いたことがない宝石店やら、
無人のゴミ屋敷に激突し、大破した。
 あたしは、
スマートフォンがあたしの脳に、
直接送るGPSの位置情報の映像を頼りに、
猫型校舎をおいかけ、やがて、
逃げる猫型校舎の後ろ姿を発見した。
 ――あんなところで何をやってるのかしら?
 後ろ姿だから何をやっているのかわからなかった。
 仕方がないので、
あたしは民家の屋根に飛び移ったり、
電柱だの電信柱だのに飛び移ったりをし、
その電線を音速で、
くのいち(女忍者)の如く器用に走りながら、
猫型校舎の前方へと回り込む。
 そして、正面に回り込んでわかったが、
なぜか猫型校舎は、人が大勢密集する繁華街にいた。
 繁華街とは言っても、
〈この街〉では唯一と言っていいほど、
〈“社会に全く無関心な”繁華街〉であり、
猫型校舎は、
そのド真ん中にちょこんと座っていた。
 猫型校舎はまさに猫のように、
体を舐めたり、
首を掻いたりをしていた。
 また逃げられるかもしれなかったが、
あたしはちゃんと入口から、
学校の中に入らなくてはいけないので、
仕方がなく、電信柱から高くジャンプし、
猫型校舎の目の前に着地した。
が、着地した衝撃で、
ドドォォ――ンと、
あたしの周囲の地面が、
10センチほど粉砕するように陥没した。
 更に、立ち止まった瞬間、
ハイパーソニックのパワーは全て解除された。
 世界の時は、
あたしにとっての通常の速度に戻った。
 猫型校舎は、再びあたしを睨みつけ、
『ちーちゃんはバカニャ~~!!』
 そんな大声で叫ばれるのは、
凄く厭なのと、
学校の校舎にバカと言われることには、
非常に腹がたった。
 繁華街を歩く人々は、
誰もあたしたちにまったく興味を示さず、
見て見ぬふりをした。
「あたしはバカなんかじゃない!」
『ちーちゃんはバカニャ~~~~!!』
「あたしはバカなんかじゃ――」
『ちーちゃんはバカニャ~~~~!!』
「あたしは――」
『ちーちゃんはバカニャ~~!!
ちーちゃんはバカニャ~~!!』

 ドゥンテン♫ドゥンテン♫ドゥンテン♫ドゥンテン♫
 ……と、猫型校舎から、なぜかリズムが聞こえ、
『ちーちゃんはバカニャ~~!ヽ(`Д´)ノ』
『ちーちゃんはバカニャン♫ ((o(。>ω<。)o))』
『ちーちゃんはバカニャ!? Σ(・ω・;|||』
『ちーちゃんはバカニャ……!Σ(゚д゚lll)』
『ちーちゃんはバカニャ~~?? (´?ω?`)』
『ちーちゃんはバカニャアアン♡ (〃▽〃)』
『ちーちゃんはバカニャハハハ☆(*´ω`*)』
『ちーちゃんはバカニャ~~ン( ;∀;)』
『ちーちゃんはバカニャ~♫ヽ(・∀・)ノ』

『ちーちゃんはバ/ちーちゃんはバババカ/ちーちゃんはババ/ちーちゃんは/ちちちちーちゃんはバカ/ちーちゃんはbrrちーちゃんはバババ/ちーちゃbrrちーちゃちゃちゃちゃ/ちーちゃんは/ちーちゃんはバ/ちーちーちーちーちーちゃちゃちゃちゃちゃ/バババババ/ちーババババババババ/ニャア/ちーニャアฅ^•ω•^ฅニャアฅ^•ω•^ฅニャアฅ^•ω•^ฅ/バカバカバカバカバカ/ちーちゃ/ちーちゃんは/ちーちゃんは/ちーちゃん/ちー/ちーちゃんはbrrrrちーちゃんはニャー/ちーbrrrrちーちゃんはバババババババカbrrrちーちゃんは/ちちちちちーちちちちちーちーちちちちーちゃんはバカニ/ちーちゃんは/
ちーちゃんは/ニャアฅ^•ω•^ฅニャアฅ^•ω•^ฅニャアฅ^•ω•^ฅ

ニャアฅ^•ω•^ฅニャアฅ^•ω•^ฅ/ちーちゃんは/ちーちゃんはババババババ/ちー/ニニニニニニャ/ちーちゃ/ニャア/ババババババババカ/ちーちゃん/ニャア/ちーちゃんはバカ/ちーちゃんbrrrr/ちーちゃんはバカ/ちーちゃんは……ちーちゃんは……』

 ドゥンテン♫ドゥンテン……♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦

というリズムが止まると、
猫型校舎はスイッチが切れたかのように、
がくん、と項垂れるような体制になる。
 恐る恐る、あたしが近づこうとすると、
猫型校舎は体からもくもくと赤い煙を出しながら、
『ギュイイイイイイギュイギュイギュイィィ――
brrrビュビュイビュイビュイビュイィィ――――!
ビウビウビウビウウウゥゥゥゥ――――
グゥイグゥイググゥーグゥイーグゥゥイィィーン!!
ビュオオォォォォ――――ン……ブツッ』

 と異音を出しながら、急にそれが途絶える。
 不安になったあたしが、
とりあえず校舎に入ろうと近づくと、
猫型校舎は急に顔を上げ、立ち上がり、
更に目をカーっと真っ赤に光らせ、そして、
『ちーちゃんは……ちーちゃんは……
ちーちゃんは……ちーちゃんは、

とんがりニャアアアァァァァ~~~~!!!!』

 その叫び声は、
強烈な怒りがみなぎってい、
発せられた声の塊は、分散され、
声の爆風的な突風として、獣の姿に変えて、
周囲を一瞬で吹っ飛ばした。
 近隣の雑居ビルやら、
飲食店やら、ゲーセンやら、
マンションやらアパートなどの
窓ガラスを全部まとめて、バ――――ッン!!!
 と、粉みじんに吹っ飛ばしたのだった。
 また突風は、
野次馬としてあたしたちを見ていた、
一人のオッサンのカツラをズキュンと吹き飛ばし、
それは自転車で配達中の、
お兄ちゃんの顔にベシャッとかかり、
お兄ちゃんは、
「うわあ! くせっ! キショい!!」
と叫びながら、自転車ごとバランスを崩し、
宙をぐるぐると回転しながら、
仕事をサボって仲間と喋ってばかりの、
運送会社のトラックに突っ込んだ。
 更に、デリバリーでお兄ちゃんが、
配達するはずの中身――スパゲティナポリタンが、
宙に舞ったかと思うと、
それは道端で路上喫煙&タバコのポイ捨てをした、
一人のオッサンの薄らハゲ頭にべちゃっとかかる。
 更に突風は、
スーパーマーケットの敷地外で、
違法駐輪をしているババアどもの、
ママチャリをまとめて持ち上げ、
それらは、たまたま、その敷地外の近くで、
助手席にビッチギャルを乗せた、
DQN男の高級愛車の、
ありとあらゆる車体にまとめて叩きつけられた。
 ババアどものママチャリは、
全てのタイヤがパンクし、
ぐにゃぐにゃに折れ曲がり、
DQN男の愛車も、
駆逐された豚小屋の残骸みたいな有様となった。
 更にまた突風は、たまたま近くを走る、
警察官の、お巡りさんを自転車ごと持ち上げ、
真横に吹っ飛ばしてしまう。
 そして、吹っ飛ばされるお巡りさんは、
これもまた、近くにあったパチンコ店の、
入口の自動ガラスドアに、勢いよく叩き込まれ、
「ドギャア――――ス!!」
と叫びながら、彼は、
店内の半分以上のパチンコ台を、
片っ端から、
ババババババンバンバンバンバリバリバリバリッ!
と次々に体をぶつけては破壊し、
更に、店員や利用客までも巻き添えにし、
どんどん吹っ飛び、
最終的には、
店内のドリンクバーに、
勢いよく頭を突っ込んで破壊し、
ようやく、そこで失神した。
 パチンコ店内は、辺り一面が、
ゴミだらけでジュースだらけで、
おまけにパチンコ玉が散乱している上に、
店内の電気回路全てが複雑に故障したため、
営業の再開が出来る見込みは完全になくなった。
 しかも、皮肉なことに、
一枚のポスターが風に紛れて、
ひゅるひゅるひゅると散乱したパチンコ店内に入り込み、
そこには手書きで、
《今こそ撲滅、違法賭博!
 今こそ救おう、ギャンブル依存症!》
 と書かれていた。
 あたしは周囲を見渡し、
猫型校舎をキリっと睨みつけ、
「あたしは……あたしはとんがりなんかじゃない! 
あたしは……あたしは……あたしは……」
 大きく息を吸い、
空気だけでなく怒りと、
悔しさまでも一緒に溜め込み、
そして、

「あたしは“逆三角形”なんだからぁ~~!!」

 ぶちまけるように叫ぶと、
あたしの声も爆風的な突風となり、
更に周囲の車や環境を吹き飛ばし、
それは歩道をボコボコに凹ませたり、
木や電柱がぐにゃぐにゃに曲がったりした。
 曲がって倒れた木や電柱の何本かが、
ベンツだのリムジンだのに、
クリティカルヒットしたのが見えた。
 あたしの叫び声に、猫型校舎は、
『○×△□くぁwせdrftgyふじこlp 』と、
解読出来ない言葉を口にしたかと思うと、
崩壊するビルの如く、ゆっくりと倒れこみ、
小麦粉のような砂埃が周囲に舞い散った。
 咄嗟に目をつむりながら、
腕で顔を覆ったあたしだったが、
ゆっくりと目を開けてみると、
 つい今まで猫型だった校舎は――
あたしが知っている、
いつも見慣れた学校の本校舎に戻っていた。
ただ、いつもと違う光景としては、
今、本校舎が鎮座している場所が、
人通りの多い、
繁華街のど真ん中ということだった。
 それでも、あたしは唇を噛み締めて、
意気揚揚、ゆっくりと本校舎の中へと近づいてみる。
 今度はなんともなく、
すんなりと入ることが出来たのだった。
「はぁ……疲れた……。
……マジでこういうのは、
これっきりにしてよね……」
 あたしは歩きながら、
溜息混じりにそう呟いた。

     ☆     ☆     ☆

昇降口の加工編集素材

校内は見慣れたいつもの校内で、
昇降口から生徒や先生の声などは聞こえなかった。
 昇降口に人影はなく、
なんとなく耳に意識を集中させてみた。
 だが、聞こえてくるのは、
授業中の校内を、
穏やかな四季のように移ろう無邪気な〈静けさ〉の足音と、
その息遣いだけだった。
 〈静けさ〉は、どこまでも果てしなく自由で、
楽園の花畑を飛び交う妖精のように楽しげで、
鼻歌のリズムや、
透明な羽の涼やかな音色さえ、
聞こえてきそうな気がした。
 あたしは靴箱で、
上履きに履き替え、
自分の教室に向かうため、
階段を昇ろうとすると、
「千鶴さん!」
 後ろから、
これもまたよく聞き慣れた声が聞こえた。
 あたしは一度、軽くため息を吐き、
後ろを振り返った。
 やはり、そこにいたのは、
案の定、この連合学園の生徒も教師も、
決して知らない人などいない存在――
教頭先生――通称、
ザマス教頭が腰に手を当てて立っていた。
「遅いザマス!
今日もまた遅刻ザマス!」
 ザマス教頭は声を荒らげた。
 ザマス教頭は、
まさしく昔ながらの教頭先生という風貌で、
これまた地味なスカートスーツ姿に、
髪をオールバックにさせ、
後ろ髪を団子にしてまとめていた。
 還暦を迎えてそうな気もするが、
実際年齢は不明だ。
 また、キリっとした細い目つきと、
動く度に光るメガネとの相性が抜群に良かった。
 そのザマス教頭は、
人差し指でメガネのフレームを抑えながら、
レンズは光らせていた。
「あ、おはようございます、教頭先生」
「『あ、おはようございます』じゃないザマス。
もう今何時だと思ってるザマスか?」
「ええぇぇ……これって不可抗力じゃないですか。
……っていうか、
この学校の校舎が猫の姿になって逃げるんですよ?
どうしろと」
「それははっきりと申し上げて、千鶴さんのせいザマス」
「え!あたしのせいなんですか!?」
 それは極めて心外である。
「当たり前ザマス。
 他に誰がいるザマスか?」
「猫の姿になった、この学校の校舎とか」
「ふぅ……。
……千鶴さん……学校も“生き物”ザマス。
いいザマスか?
学校の“校舎そのもの”は、
いわば動物でいうところの『骨』にあたるザマス。
学校とは、『小さき社会』の“体そのもの”ザマス。
あなた方生徒は、今、
その体の内部にいるザマス。
高校は義務教育ではないザマスが、
まぁ大概、学校は常に生徒を欲しているザマス。
というのも、
“生徒が学校にとっての栄養”となるザマス。
それは社会であれ、肉体であれ、
自分たちが普段使ってる歯であれ、
栄養がなければイレギュラーが発生し、
やがて死滅もしくは崩壊するザマス。ですが――」
 そこで、
ザマス教頭はあたしの心の奥深くを見つめるように、
目を光らせ、
「あなた方生徒は、学校で栄養を摂るザマス。
それが、すなわち教養ザマス。
そして栄養の摂り方としては、
教師だけの力に頼るのではなく、
生徒つまり、
あなた方の意識の在り方次第ザマス。
栄養を摂ったら、
最終的にそれらを社会で昇華していくことこそが、
あなた方生徒の役割ザマス」
「おっしゃってることはわかりますけど、
でも、学校の校舎が逃げるのがあたしのせいって酷くないですか?」
「酷くないザマス。
まず一つに、
千鶴さんは、この学校の〈究極的特待生〉
に選ばれた生徒の一人
であることを忘れているザマス。
よって千鶴さんは〈究極的特待生〉
としての自覚と誇りを持つザマス。
もう一つに……
……まぁこれはどこの学校でもそうザマスが、
学校は嫌々行くものではなく、
まして、学校に行く〈目的そのもの〉を、
全く考えないことは、
学校の校舎に逃げられる要因の一つになるザマス。」
「うぅぅ~……」
 何故かぐうの音も出なかった。
 というか逆に――。
 なるほど――と、あたしは思った。
 ザマス教頭の言葉の小石は、投げる度に、
あたしの心の泉に次々と大きな波紋をつくった。
 誰もが、
言葉の小石で大きな波紋をつくることなど出来ない。
 それはザマス教頭だからこそ――。
何年も長く教職に就き、更に、
教頭にまでなったからこそ、
そして多くの生徒たちを見てきたからこそ、
どんなに極小の石でも、
相手の心の泉に巨大な波紋をつくることが、
出来るのかもしれない――と思った。
 心の泉に出来た巨大な波紋は、
あたしに必ず一つの〈きっかけ〉
という大きな光を生み出してくれるのだった。
その光の粒子の一つが、〈感謝〉なのだけど。
「ほらほら、早く教室に向かうザマス」
「はーい……」
 そう言って、
あたしは階段を上がろうとするのだが。
 ガコンガコンガコンガコンガコン…………。
「…………」
 上がれない。
 というか、目の前の階段が――。
 下りエスカレーターのように音を立てて、
次から次へと下がっていた。
 試しに一段上がってみると、
すぐに下がって元に戻されてしまう。
「……千鶴さん……
……この期に及んで何をしてるザマスか?」
「いや見ての通りですよ。
階段を上がることが出来ないんですって!」
「何を戯けたことを抜かしてるザマスか。
階段というものは、
両足を匠に使って上がっていけばいいだけの話ザマス」
 そんなことは言われなくもわかっている話である。
 問題はそったらことではない。
「階段が下りエスカレーターみたいに下がってくるんですよ!?
どうしろと」
「何でもかんでも教師に答えを訊いてはいけないザマス。
学校は《答えを聞く場所ではない》
ということと、《答えはそもそもない》
ということを、それを学びなさいザマス」
 さすがに、これはイラっと来たあたしは、
大人気ないとわかっていながらも、階段を飛ぶように上がっていった。
「まぁ! 大和の乙女たるもの! なんザマスか、その上がり方は!」
 と、言われたが、スルーした。
 っていうか、
《答えはそもそもない》んですよねぇ?
 そんなわけで、
あたしは一つの踊り場にたどり着き、
方向転換する前に、
下にいるザマス教頭を見て、
「あの教頭先生……一つ質問したいことがあります」
「……何ザマスか?」
「あたしって、
やっぱ〈馬鹿〉なんでしょうか?」
 すると、ザマス教頭は、
遠い地平線を見るような表情になり、
あたしとザマス教頭の間には、
一筋の北風のような〈沈黙〉が、
通り過ぎていった。
 すぐにザマス教頭は、
あたしの目から意識の裏側までを、
しっかりと見据え、
「正直申し上げて……千鶴さんは、
半分〈馬鹿〉で、半分〈天才〉ザマス。
千鶴さんは、
他の人にはない実に稀有な才能があり、
誰にも決して真似することが出来ない、
それどころか、常人には到底理解出来ない、
あまりにも独特で奇想天外で、
極めて超人的な創造力を有しているザマス。
ただ……」
「ただ?」
「ただ、千鶴さんは、まだ、
わたくしの話の本質を、
さほど理解していないように思えるザマス」
「はい……そのとおり、
それほど理解出来てません。
理不尽なことばっかり続いていますし、
〈答えはそもそもない〉というのにも、
納得出来てないので……」
 すると、ザマス教頭は初めて微笑み、
「それで良いザマス。
それが“思春期”ってものザマス。
この世にある〈答え〉という概念は、
自ら見つけるか、創るしかないザマス。
よってそれは“思春期”の後に、
初めてわかってくるものザマス。
“思春期”とは椿の華のようなものザマスから」
「椿の華のような……もの……?」
「そうザマス♫ 」
 なぜだろう。
ザマス教頭から暖かな光が見えた気がした。
 もしかして、この光こそが、
ザマス教頭の《本質》の一部ってものなのかしら?
 それにしても――。
 あたしは肝心なことを訊いてなかった。
「あの……最後に訊いておきたいんですが」
「何ザマスか?」
「さっき外の……その……
繁華街で滅茶苦茶になっちゃった歩道とか、
建物とか車とか、あれどうなっちゃうんです?
今さっきの破壊騒動は……、
一体誰が弁償するんでしょうか?」
 少なくとも、あたしが弁償となれば、
一生かけても払いきれない額になることは間違いない。
それは死ぬほど厭な話だが。
 すると、ザマス教頭は、
呆れ顔で首を横に振り、
「何を今更……。誰が弁償?
……はぁ。……そったらことは決まってるザマス。
 日本社会で、
必死に生きてる人々の、
血と汗と涙で出来た国民の税金で弁償するに、
決まってるザマス!!」

「な…………」
 ――なんだってぇぇぇぇぇぇぇぇ――――!!
 空いた口が塞がらず、
あたしの頭上を沢山の小猫がニャアニャアと周回していると、
「……というのは、冗談ザマス。
少し時間が経てば元に戻るザマス」
「…………」
 冗談とはとても思えない、
厭な冗談を言う我が学園のザマス教頭だった。
 というか――。
 もしかしたら、
あたしが今日、朝起きてから、
今に至るこの瞬間まで、この世界は、
【全てが本当/半分が真実で半分が虚実/全てが偽り】
なのかもしれない、と思った。
「で、では……失礼します」
 あたしは教頭先生に、
頭を下げて、踊り場から方向転換した。

校舎の階段(加工編集)

次の階段は、どうしてか、
更に早くなった下りエスカレーターのようで、
一段飛ばしでは転ぶかもしれない。
 上に上がりたくても上がれない。
 それだけではなかった。
 階段の踊り場が、
あたしの立っている床が、
海のようにうねりはじめ、
やがてあたしの体が床にズブズブと沈んでいき、
このままじっとしていれば、また下の階か、
外に追い出されるフラグが立ちそうだった。
 沈みは止まらず、もっともっと沈んで、
底なし沼のように体が沈んでいく厭な気配がしたので、
 ――仕方がない。
 あたしは急いでスマホをさっと取り出し、

「“ハイパーソニック70倍速”!」

 あたしは親指で画面に触れ、
離したと同時に階段を猛スピードで駆け上がる。
 更に方向転換をし、
次の階段を上がり、また方向転換をし、
次の階段を上がる――を続けていったのだが。
 また方向転換をしようとして
、思わぬ光景に、つい足を止めてしまった。
 もちろん、
ハイパーソニックは解除されてしまった。
「……な、なにこれ!?」
 それは、ある階の踊り場で、
方向転換をしたら、階段のステップが壁、
天井と、時計回りにねじれていた。
 螺旋階段とは違って、
完全にねじれているため、
普通では上がれない状況だった。
 更に時計回りのねじれ階段は、
先の先まで続いており、
それだけではなく、
階段のステップが、
下りエスカレーターでもありえないくらい、
やたら早く下がってくるのだった。
「これなんて無理ゲー……」
 と、あたしはつい口に出してしまった。
 だが、ここでじっとしていても、
何も始まらない。
 もうなんだか、この状況が、
やたらウザイのと、洒落臭いのとが混じり合い、
 あたしは再度スマホを取り出し、
しゃがみこんだ。
 片手で階段に触れ、
片手でスマホを持ちながら画面に触れた。

「“ハイパーソニック・
  ディストーション”!」

 と、あたしは叫びながら、
スマホの画面から親指を離した。
 すると、もう片方の手で触れていた、
ねじれ階段が眩い光を放ちながら、
あたしのよく知ってる、
見慣れた通常の階段に形状が変わったので、
あたしはすぐに階段を駆け上がった。
 ハイパーソニック・ディストーションは、
どんなに歪んだ場所であろうと空間であろうとも、
目的地のためなら、
一定時間、真っ直ぐにさせたり、
もしくは、真っ直ぐ疾走することが可能な優れた能力だ。
ただデメリットとしては、
バッテリーとマシンパワーを極端に使用するため、
故障を防ぐため、連続使用は避けなくてはならない。
 こうしてあたしは目的の階に辿りついのたので、
教室まであと少し、と一度深呼吸をし、
それから廊下を真っ直ぐ早歩きで進んだ。

学校の廊下1

 あたしの在籍するクラスはJ組だ。
まだまだ距離がある。
 廊下を早歩きしているうちに、
半分扉の開いたA組の教室が見えた。
 特別、これといった意味はないが、
なんとなくA組の教室の中を覗いて見ると――。
 おそらく女教師なのだろうが、
男物のボクサーパンツを、
頭からズッポリとかぶった変な女が、
怪しい呪文を小声でブツブツと唱えていた。
 しかも、
A組の女生徒たちは一人残らず全員、
これ以上にないくらい真剣な表情で、
カップ焼きそばを食べていた。
あたしはそれらを一瞥し、
次のB組の半分開いた教室を見た。
 B組の教室では、
女生徒たちが全員、ニワトリの着ぐるみを着て、
もしゃもしゃとタマゴサンドを食べていた。
で、教師なのかわからないが、
教卓の上には、
一羽のニワトリが鳴きながら、
同じところをグルグルと周回していた。
あたしはそれを見て見ぬ振りをして次に行く。
 C組の教室も扉が半分開いていたので、
ちょいと中を覗くと、
女教師も生徒もみんな、
目を猛獣の如く真っ赤にカーっと光らせていた。
 ――何の授業かしら?
 そう思って、
あたしは授業内容をちょいと傾聴してみると、
 どうやら、C組では、
ジャイアント・クレイジーブタゴリラの、
ケツの穴から登場する臭いオナラが、
どれだけ多くの匂いフェチな淑女たちを、
悶絶させることが出来るのかという、
〈爆臭神概論〉の授業の、
真っ最中だということがわかった。
 次のD組は、扉が閉まっており、
いけないとわかっていながらも、
あたしはノックもしないで、
扉をガ――――ッと開けてみた。
 D組の教室ではなんと――。
 女生徒たちが、何故か全員、
ありとあらゆる獣耳な上に幼女の姿で、
教室内を無重力でプカプカと楽しそうに浮かんでいた。
で、先生はなぜか保母さんの格好をしており、
楽しそうに片手でシャボン玉を飛ばし、
片手でラジカセを持って、
『アルプスの少女ハイジ』の、
テーマソングを流していた。
あたしは口をポカーンと開けて見ていたが、
やがて何事もなかったかのように扉をそっと閉じた。
 それから残りの、
E組もF組もG組もH組も扉が閉まっていたので、
あたしはスルーしてどんどん進み、
ようやく、あたしの割と懐かしくもない教室だわ~と思って、
何も考えず、
扉をガ――――ッと開けると、
教室内には――。
 机も椅子も何もない広い空間に、
白猫と黒猫の二匹が、
サンマを賭けて麻雀をしていた。
 二匹はあたしと目が合うと、
「「にゃ? にゃあ~~~~!ฅ^•ω•^ฅ」」
 と、鳴いた。
「あれ? ここって、J組じゃなかったでしたっけ?」
「「にゃあ~~~~!!ฅ^•ω•^ฅ」」
「あ! そういうことだったんですね」
 あたしはそう言って、
廊下から札を見ると、I組だとわかり、
「すみません、失礼いたしました!」
「「にゃ~~!ฅ^•ω•^ฅ」」
 というわけで、
あたしは扉を閉めたが、
猫語は何もわからなかった。
 I組の隣がJ組だった。
やはり扉は閉じられてい、
教室の中も見えない。
「さてと」
 と、あたしは扉に手をかけた時――。

 >人間というものは
結局のところ“本質的”には、“孤独”なんだからさ。

 という、警備員のお兄さんの、
この言葉が突然、
シャボン玉のように浮かんできた。
 登校中、
〈日本ダダ大通り〉で出会った警備員のお兄さんは、
全てあたしに、
人間の本質だけを話してくれたのかもしれない。
それはザマス教頭も似たことを言っていた。
 あたしは、その〈本質〉を、
普段から深く考えていなかった。

 >普段我々が〈無意識〉に呼吸をしたり食事したりするのと変わらない、
“人間社会のルール”さ。まぁそれが良いことなのか悪いことなのか、もしくは、正しいのか間違いなのかは別としてね!

>この世にある〈答え〉という概念は、
自ら見つけるか、創るしかないザマス。

 言われてみれば今になって、
なるほど、と思う。
 あたしたちの〈非日常〉と、
“表裏一体”な〈日常〉は、
毎日変化していないようで実は変化していて、
でも、それはあたしたちが、
人間だからこそ変化している日常――、
つまりは一日なのである。
時に過去を振り返ったり、
今をどうしようか考えたり、
未来をどうしていくか考えたりする。
時には、毎日の生活に飽き飽きする人だっているだろう。
 変わらない毎日、
変わらない日常に飽き飽きしてるんだよね~なんて、
よく友達や家族とかに愚痴ったりしてるのが現状だ。
 でもそれは全く逆で、
実はあたしたち人間は、
変わり続ける日常の世界で暮らしているのだ。
 毎日変わらない日常が存在するのではなく、
自分自身の常識と思い込んでいる変わらない毎日、
変わらない日常などと、
勝手に思い込んでしまっているのだ。
要は思い込みと思い違いである。
 一日は変化する。
だから明日というものはやってくるし、
それは一日となって過去の世界へと旅立っていく。
そしてその一日というものは、
自分だけしか過ごせないし、
人生だって自分だけしか歩むことは出来ない――、
だからこその孤独でもある。
 もちろん、日々の変化という概念も、
人は孤独であるという概念も、
事実、
人間自身が生み出したものではあるけれど、
だからといって別に〈孤独〉というものは、
そもそも悲しいものとして、
もしくは哀しいものとして取り扱われるものではない。
 〈孤独〉を見て、
〈孤独〉=〈悲しい/哀しい〉と、
無意識に反応する人がいるのは、
自分自身の心の姿そのものを見ているからなのだ。
 孤独とは、
いわば自分の意識の奥底にある鏡のような存在である。
 もちろん、
人間は孤独だということを、
学校ではなかなか教えてくれない

 結局、自分自身で確かめるしかないことなのだ。
 『警備員のお兄さん』と、
『ザマス教頭』の言葉を“要約”すると、
“正解も不正解も不明な世界”。
 正論なのかもしれないけど、
あたしはどうもそこが納得出来なくて、
そこがいわゆる、心の根っこを揺さぶる、
〈思春期〉って華の力のせい、
なのかもしれない。

 >“思春期”とは椿の華のようなものザマスから

 ザマス教頭も洒落たことを言う人だなぁと思った。
あたしたちは生まれてから、
すくすくと成長し、
気づかないうちに、
〈思春期〉という蕾から華を咲かせていて、
それは自分の体と同化し、
家族のような存在となっている。
〈思春期〉には〈思春期〉にしかわからないこともある。
 そしてその〈思春期〉だからこそ出来る、
もしくは考えられる今を、
充実させていくことが青春、
なんじゃないだろうか。
いずれ〈思春期〉の華は、
気づかないうちに、”椿の華の如く”華が丸ごと落ちて、
あたしの目の前から静かに姿を消す日は絶対来るだろう。
その時、自分は大人になっているのではなく、
本当の大人になっていくための道を歩み続けるのである。
  それが一体、
どこまで続くのかわからない道のりだ。
  とりあえず、あたしは今を楽しもう。
厭なこともムカつくことも、
そりゃあいっぱいあるけどさ。
まず、あたしは遅刻した最大の理由を、
考えなければならない。
 あたしはJ組の教室の扉をゆっくりと開けた。


 前衛ライトノベル・短編小説
『ちーちゃんの青春混沌日和・登校編』closed.


ブルトンのオブジェ1

シュルレアリスム詩人アンドレ・ブルトン作
『Page-Objet (1934年)』より

皆様からの暖かな支援で、創作環境を今より充実させ、 より良い作品を皆様のもとに提供することを誓いま鶴 ( *・ ω・)*_ _))