地域の生活の質向上とランニング(前編)
ある週末の日、ハーレムを散歩していたら警察が車の通行を封鎖していたので「何かあったの?」と聞くと「フェスティバル(催事)」とのこと。
封鎖された先を見ると、ほんとだ、地域のお祭りをやっている。
メトロノース鉄道(地下鉄ではなく地上の鉄道)が走っている線路に沿って、高架下のスペースを活用し、いろいろな団体や個人がブースを出していた(冒頭写真)。
このお祭りは地域の人々が自主的に開催しており、「教育」「健康」「食」など、いくつかのカテゴリーにわかれてブースが並んでいた。DJが音楽を流しているブースもあった。
「教育」ブースでは子ども向け絵本の販売や、ニューヨークの公立学校の給食の試食などがあった。この給食、フライドライスとフライドチキンがそれぞれ一口サイズでカップに入れて渡されるのだが、非常に美味しくてビックリした。写真撮っておけばよかったなあ。
「食」ブースでは個人商店による手作りのスムージーやパン、ケーキ、ジャムなどが試食とともに販売されていた。中にはメールアドレスを書いた人だけがもらえる、という形をとっているブースもあり、しっかりしている。パンケーキを一口もらったのだが、アメリカの激甘ケーキのイメージと違い、さわやかな甘味でとても美味しかった。
「健康」ブースでは、アスファルトの上にストレッチマットを敷き、ヨガやエクササイズをやっている。本来は心を鎮めて静謐な環境で行うのであろうヨガを、エクササイズのアッパーなサウンドがガンガン鳴り響く横でやっていたのは少し面白かった。
住民たちが、地域の生活向上のための催事を自ら企画し実行していることはとても良いなと思った。一方で、このような取り組みが停滞すると、また周辺の治安が悪くなっていくというのっぴきならない事情もある。言い方はよくないが、自分たちの暮らしのためにも取り組んだほうがいい、そういう側面もあるのかもしれない。
いずれにしても、僕が感銘を受けたのは、これらのアプローチが「排除」ではなく「向上」を出発点としていることだ。
日本では、東京オリンピックの開催が決定して以来、公共空間にホームレスがいられなくなるような「排除」のしくみがどんどんと構築され、不可視化されている。今日(2019年10月12日現在)も、まさに台風19号の被害にさらされる中で、避難所がホームレスの避難を拒んだという情報が目に入った。
行政がそんな調子で主導していると、当然地域住民は悪い影響を受け、「ホームレスはいらないじゃん」という思考になってしまう。そこは逆に、困っている人たちに対する偏見をなくし、暮らしを良くするように働きかけるのが行政の仕事なんじゃないのか。
ハーレムで行われている取り組みは、健康の向上、教育の向上、食生活の向上、さまざまな側面から地域の課題にアプローチしている。ものすごく地道だし時間はかかるけど、そうやってみんなで一緒になって良くしていこうという気持ちをもち、行動で示していかないと、コミュニティの課題というのは解決に向けて進展しないんだろうと思う。
後編に続く。
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