掌編小説『花言葉が多すぎる』

        あらすじ

 木佐貫杏里を殺害した鳥羽花子は、相手がダイイングメッセージを残していることに気が付き、苦笑した。読めなくしてやろうとしたその血文字は、“はなことば”と読めた。少し考えこれが私の名前そのものなんだと気付いた鳥羽は冷静に、メッセージが読めなくなるようにするつもりだった。
 ところが思わぬきっかけにより、メッセージを破壊するのが非常に難しい事態に陥った。果たしてどうすれば鳥羽花子は窮地を切り抜けられるのか。

         本文

 休暇を利して一人旅。そのついでに立ち寄った。
 天候は晴れに違いないが、風が強くなってきた。木々が徐々に大きく揺れ始めている。
 山奥の大きな一軒家。古びた洋館だが、外装は丁寧に塗り直され、ミニサイズの城のような雰囲気がある。
 その家の広い庭と大きな池を見渡せる二階の書斎。
 そこに死体がある。名前を木佐貫杏里きさぬきあんりという。ショートヘアで活発そうな外見をしているが、運動音痴の部類だった。
 俯せに倒れており、その利き手の指は文字を書き遺していた。
“はなことば”と読めた。他に読みようがない。
(知らなかったわ。私の名前って“はなことば”になるんだ。気付かせてくれてありがとう)
 死体を見下ろしていた鳥羽花子とばはなこは「ふっ」と鼻で笑った。
(木佐貫さん、米国暮らしが長かったからって、死に際に書く犯人の名前まで姓と名を逆にするなんて、律儀ですこと。身体に染みついていたのね。それにしても)
 頭に被ったビニールキャップの縁を、鳥羽は指先で直した。髪の毛を現場に落とさないようにするため、ずれは許されない。
(そんな直接的に過ぎるメッセージで犯人を指し示そうとして何になるの? 私が気付かないともで思ったのかしら。馬鹿にしているわね。そんなもの、読めなくするだけよ)
 風がいよいよ強まる。網戸を通して入ってくるので多少は勢いを削がれていそうなものだが、最早そんなこと関係ないレベルになってきた。
(現場は変にいじらない方がいいと思っていたけれども、さすがに窓は閉めようか)
 そんな考えがよぎったが、鳥羽はとりあえず、ダイイングメッセージを読めなくすることを優先した。
 血文字を拭うつもりで、ティッシュペーパーの箱を隣の部屋から持って来た。拭くのに邪魔になる遺体の右腕を少しだけ動かそうとしたそのとき、鳥羽は気付いた。
 右手のすぐ下にボールペンが転がっていた。芯の部分を短く切った物だったため今の今まで発見できなかった。
(何でこんな変な)
 心の中で呟く鳥羽はさらなる発見をする。木佐貫の右肘の下に小さな紙切れがあった。そこにはボールペンの文字で“はなことば”と書かれている。
(いつの間に!? 血文字に私の注意を惹きつけておいて、本命のメッセージを気付かせないようにするつもりだった? 危なかった、正直なめていたわ。マジックの道具作りを仕事にするようになったと聞いたけれども、そのおかげで目端が利くようになったのかしら?)
 何はともあれ気が付いてよかったとその紙切れに手を伸ばした刹那、一陣の風が吹き抜け、鳥羽の手の指の間からするりと逃げる。枯れ葉のような紙片はくるくると舞って、一度高く上ったかと思うと壁に当たり、そのまますとんと真下に落ちた。
 鳥羽にとって不運なことに、落ちたところの真横に通気目的らしき金属製の小さな格子窓があり、木佐貫のダイイングメッセージが書かれた紙は、その中へと吸い込まれていった。
「えっ」
 思わず声が出た。急いで通気口まで駆け寄り、頬を床にくっつけんばかりの態勢になって覗き込む。
(あった。でも……届かない。指が入らない)
 掃除をしていないらしく、通気口の内部は埃っぽかったが、さっき飛び込んだ紙片らしき物は目で確認できた。もう一つ向こうにある壁に張り付く形で全体は見えない。
(あのままにしていたら、警察が見付けるかもしれない。この格子は、がっちりはめ込んであって外せない。細い何か……箸か針金か)
 だが目の前の格子の間隔はそれらよりも細い気がする。針ぐらいの細さでないと通らないだろう。ただ、今度は普通の針程度の長さでは、紙片まで届きそうにない。
(読めなくすればいいのだから、あの紙に墨汁でもぶっかける? いや、それだとかえって発見されやすくなるし、墨汁を掛けたぐらいではボールペンの字はあとからでも読み取れるはず。そうすると……燃やす? この細い隙間を通してうまく火を着けられる?)
 自信がなかった。下手をすると、家を燃やしてしまいそうだ。鳥羽にとってそれは本意ではない。遺体の発見が早まるだろうし、この家を木佐貫から奪い取り、自分の物にしたいのだ。
 まったく、面倒なことになった。一刻も早く殺人現場を離れたいのに。髪は落ちないようにしているし、手にはラテックス製の手袋をはめているから、彼女がここにいた痕跡を消す作業は大幅に省けるのだが、それでも一時間が限度だろう。一人旅とは言え旅程との関連もある。
(あれが見付かったときに備えて、何らかの対策をしなくては)
 鳥羽は考えた。そして一つの閃きを得ると、慌て気味に外へと飛び出し、近くの野山に足を踏み入れた。

             *           *

「亡くなったのは木佐貫杏里、三十六歳。六年前に離婚を経験してそのときに得た慰謝料で、ここを買ったとか」
 部下の報告に吉野よしの刑事は眉根を寄せた。
「元旦那は社長か何かか? いくら山奥ったってここを買って、改装するのは結構費用が掛かりそうだ」
「ネット関係の会社をやっているとしか。必要であればあとで調べます」
「うむ。それでいい。被害者について他に分かってることは?」
「被害者の職業はちょっと珍しくて、離婚後しばらくは趣味と実益を兼ねたアクセサリー作りをやっていたのが、社長夫人時代に知り合ったマジシャンからの注文を受けたのがきっかけで、奇術道具作りに転身しています。それなりに稼いでいたみたいです」
「奇術道具作りねえ。あ、ボールペンの芯の先っぽだけがそばに転がっていたが、あれもひょっとすると奇術道具か」
「のようです。親指の爪にテープで貼り付けて、密かに文字を書き込むために使えるとか。ほら予言マジックにあるでしょ。答を客に言わせてから素早く紙に書き込んで、さも前もって予言してましたよって装うんです」
「なるほど。見かけによらんな。花を集めるのも道具作りに関係あるのか?」
 吉野は遺体の状況を思い起こしながら聞いた。木佐貫の遺体の手元には、血文字による“はなことば”というメッセージと、花が十五輪ほどあった。血文字の方は、木佐貫自身の血で書かれており、指先に残る痕跡との矛盾もなく、被害者が書いたと見て間違いない。
 花の方は小さな物ばかりで、家屋敷の周辺にある野っ原にいくらでも生えているレンゲがほとんどだった。総じて荒っぽく引きちぎっており、適当に引っこ抜いてかき集めた感じがあった。
「いえ、奇術に生の花を使うことはあっても、あくまで添え物。奇術道具として販売するには日持ちの関係で無理があるかと」
「だよなあ。ということは被害者が花を摘んで、家の中に持ち込む行為そのものが不自然と言えるかな」
「まあ、飾るにしてもここに散らばっていた花は見栄えがせず、小さすぎるように感じます。活ける容器も見当たらなかったし」
「つまり、花を置いたのは被害者ではない。恐らく犯人の仕業である可能性が高いと言えるな」
「言えますね。第三者が入り込んで遺体を見て、『うわ人が死んでいる。かわいそうだから花を摘んできてあげよう』なんてことにはならないと思います」
「シュールな想像図だな」
 吉野は苦笑を堪え、念のためにと尋ねた。
「レンゲの花言葉は分かったか」
「『心が和らぐ』だそうです」
「うーん、特に意味があるようには思えない。少なくとも、犯人を差し示す花言葉というイメージではないな」
 心が和らぐのであれば、犯人に殺されて本望というニュアンスが感じられてしまう。さすがに声に出して言うのは遠慮した。
「他にも混じっていた草花について調べましたが、スミレは白色だと『純潔』『あどけない恋』が花言葉だそうです。菜の花は『快活』、ワスレナグサは『私を忘れないで』『真実の愛』だとか」
「ちょいと意味深なのもあるが、いかんせん数種類の花をまとめて置いてあり、その中に一輪か二輪あっただけでは説得力を欠く。これはもう当初の見立て通りでいいんじゃないか」
「同意します。犯人は鳥羽花子で決まりかと」

 遺体を見付けたのは、中堅マジシャンの男性だった。注文した商売道具に関する相談で、日曜の昼間に訪ねる予定だったのが、突然の豪雨の煽りを食らって大幅に遅れた。折を見て遅れる旨を伝えようと電話を掛けたりメッセージを送ったりしたのだが先方からは反応がなく、不安が募ったが渋滞はどうしようもない。到着したのは夜暗くなってから。
 彼は二階の書斎のドアを開けたとき、知人が死んでいるという事実と同じくらいに驚いたという。
 書斎の床には“とば はなこ に殺された”という大きな文字が発光していたのだ。
 後に調べた結果分かったのは、犯人を告発した特殊なインクは木佐貫杏里の開発した物らしく、暗がりでないと読めないのは当たり前だが、特殊な液体を垂らすことで一瞬にして色が変わる特性を持ち合わせているという。
 被害者にとって自慢の新開発品だったらしく、いつでも披露できるよう小瓶に詰めて服のポケットに常備していたらしい。それがまさか襲われて瀕死の目に遭った瞬間、役に立つなんて。

             *           *

 どうしてこうも簡単に犯人と断定され、捕まったのか、鳥羽には理解できなかった。
(花を遺体に添えるというのはよい考えだと思ったんだけど。風に飛ばされた紙切れが警察に見付からなかった場合も想定し、血文字の方を敢えて残したのに。あ、まさか、適当に摘んできた花の中に、私が怪しいと示すような花言葉があったのかしら? だとしたらこんな不運はないわね)

 終わり

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