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スピノザ 〈読む人の肖像〉を読んでの感想と考えの文 1

※スピノザ(十七世紀 オランダ天才哲学者)を読んで、思ったこと 考えついたことのみを 書いていきます。

☆まずバールーフ スピノザは、歴史上で代表的な汎神論者(世の中の全てが神 論)です。

☆スピノザは(エチカ中)神の定義を 発生的定義(条件での位置付け的)でおこなっています。
・著者(国分 功一郎氏)は、存在証明というより神の描写的と。

そして、全てのものは 神のうちにあると、スピノザ。(真の汎神論)

☆スピノザは、人間は いろいろと知ることによって、自分の能力が分かるようになると いっています。

・私見では、いろいろと知るには、いろいろな 読みものと 物事の 経験値も必要、そして次の様な言葉もあります。
・いろいろと知ることによって、人間の器が大きくなる。
あと・知識は力なり(ベーコン)

・あと 私見では、人間にとって 知らないということが 一番恐ろしいこと。人を騙して 何かさせる、もしくは 誘導する(当人にとって悪くなる ことで)
は犯罪者と同じ類い といえます。
(例、詐欺的グループ、極端な新興宗教、ある種のメディア)
あと自分達に、都合のよい綺麗事ばかり押し付ける、(世の中 自己中心的なあざとい者もいるのに・メディアとかの中にも。そして人の為に なることしないと いけないと垂れ流す、自分達は 既得権の上にあぐらをかいている等)
・それにより多くの人が精神的に苦しむことになる もあります。



※(メディアなどの いうことが 全て間違いと いうつもりはないですが 。そして こういうことは、大なり小なり 世の中の いたるところでありますが)


☆スピノザ、エチカでの無限は、実無限と。(完成している、変化しない無限と)
・このことで、私の持論では 変化をしている有限と考える。
変化(移動も含む・拡大 収縮含む)をしているので、無限に見える、
(例えば トーラス体か螺旋体のなかを 廻るとかで)(ちなみに、今の宇宙 観測技術には限度がある、不完全なものもある筈です)

☆そしてスピノザ曰く、神の外部はないと、神が全てであると。(これには、大賛成です)

☆スピノザの、神の特性 4つは・唯一性・自己原因・必然な存在無限性 と。
(これを満たす ものは宇宙全体的な ものしかない)
・神が唯一の 実体であり、さまざまな個物は、その実体の変状であると、
だから万物は、神の能力を一定の方法で表現すると。(スピノザ)

・ここでの私の持論は、人は神の一部であるから、ある種の 神の能力を発揮する。
何かを生み出すこともできる筈、特許的ものは無理としても、実用新案的ものは 新しく生み出すことはできる筈。
※最初から何でも決まっている、決定論はない、その様なつまらない神〈全体〉はない。
最高なものは(善は)スピノザの言う通り、能動・活発的であり、通り一辺倒のものではない。
決まりきったものに、真の能動的・活動的は難しい。
※(これらも、神の計算のうちにはいっている筈)

☆スピノザ曰く、どんな個体でも 程度の差こそあれ、精神を宿していると。
私見では、その通りと思いますが、感情を宿していると いったほうが  私的には 腑にお落ちます。

☆そしてスピノザは、複雑は有能といっています。
・私見では、その通りと思いますし、複雑さとは、多様ともいえるとも思います。そして逆にいえば 単純 イコール 愚か者ともいえます。近年のTVとかでの、面倒くさい・うっとうしい、の多用は非常に問題であると考えます。
(TV等で言っていること、すぐに真似する人達も 結構います。・大衆、ニーチェは畜郡と)

☆エチカ(倫理学)中で
・まず、スピノザの認識には、
第一種認識( 身体〈脳も〉からの認識)
第二種認識(理性を働かしての認識)

第三種認識(神の視点からの認識・超客観力といえるもの)
があります。

・第一種認識において、スピノザ曰く 意思とは何らかの原因 影響があって はじめて現れると。
我々は、意欲や行動を理解できても、それらを引き起こす原因までは知らないと。これが自由意思の否定と。
・そして、第一種認識と第二種認識 そこからの 第三種認識を持つ ことにより、意欲や行為の原因が 分かるように なるとのことです。
(いろいろな知識と思考、経験がいると思われます)

☆スピノザは、行為は多元的に決定されていると。(複雑系です)

☆スピノザはまた、人の目的は 様々なことの結果であり、原因ではないと。目的に至る原因は多々あると。(なるほどと 納得です)

☆この著作(スピノザ)にはエチカの コナトゥス(自己保存の努力)と、欲望のことに関することも 書かれています。(スピノザ独特のもの)

☆誰・彼への復讐は、受動的でよくないと、そして復讐する相手に支配されていると。受動的は、人にとって一番大事な 活動能力 低下であると。
(スピノザ)

・私見では、これはさすがに 良い生まれ 育ちの 言葉と、言わざるをえないと考えます。マキャベリとかが聞いたら、鼻で笑うもの。
能動だろうが 受動だろうが、活動エネルギーには変わらない。
人の恨み 妬み(ルサンチマン)のエネルギーには、もの凄いものがある。
(スピノザも一目置くマキャベリも、人々から 恐れられるのは いいが、憎まれては いけないと、言っている)
そして復讐を果たして、満足・ スッキリしたという者もいる。ドーパミンもでる、ストレス ホルモンも減る。
その人の幸せは?、という観点では 復讐も あり得るのだろう。
※決して お薦めはできませんが。

・この復讐などにおいて、他人は  まぁまぁ過去のことは 戻ってこないから、前を向いて行こうよ、などとよく言う。
これは他人事だから である。
しかし 第三者は、客観的にが必要である、でないと世の中 犯罪だらけになる。(当事者の感情には 配慮いりますが)
私見では、昔の野蛮人的 決闘など、今の時代にはいらない。
そして、法の支配は必要不可欠。(法が 全てではないとしても)
※(ただし マッチポンプの連中には、我慢なりませんが。道徳的 犯罪者達)

・あと私見では、能動だろうが受動だろうが、他人に あらゆる意味で 迷惑かけなければ 別にいいというのもある。

※ 前記のこと(能動・受動)について 著者の国分氏、良い方を増やし、悪い方を減らす、 ことがいる様なことを 書かれています。
(その通りだと思いますし、客観的な素晴らしい考えと思います)

・(次へ)


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