震災クロニクル3/28(35)

給油できた!

道路に並んで4台目。間違いなく給油できた。

しかし少し割高で、リッター165円くらいだろうか。兎にも角にもこれで福島に帰ることができる。後は国道4号線をただただ北上するだけだ。そんなに心の高揚はなかったが、気分が深く沈むこともない。ただ人生の終末の事を考えていた。放射能の影響がどれほどあるか分からない。報道されている内容などほんの一部分にすぎないだろう。ともすればウソかもしれない。

2.0マイクロシーベルト

平常値は0.05マイクロシーベルト

何十倍もの放射線量の中、どれほどのトラブルに見舞われるか分からない。おそらく健康には良くないであろう。それでもかまわない。

生まれ育ったところでただ眠るように目を閉じることがいかに幸せか自分は悟っていた。

広い国道に出ると、そのまま北に車を走らせ続けた。辺りは暗くなり、雪混じりの雨が次第に強くなっていった。

途中不安になり、カラオケボックスに寄り、そこでトイレを借りた。

「すいません。福島市までどのくらいですか」

ふと店員に問うた。

「えっ……」

彼は言葉に詰まった。しばらくして

「あと少し北に行けば、福島市ですが、行かない方がいいですよ」

「ああ、そうですよね。でも行かなくちゃいけないんです」

そういうと、無表情で車に向かった。誰も僕のこの愚かな行動を止めることはできない。もはや理屈ではないのだ。腹のくくり方が違った。

さらにボロ軽は北に向かう。霙はさらにひどくなり、前が見にくくなるほどだ。

しばらくすると「福島市」との看板が見える。

ようやくだ。

ようやく僕は福島に帰って来やがった。

そこからは山道に入って、浜通りに向かう。霙は何時しか雪に変わり、度々車の足を奪った。右に左にうねる山道は暗く、ただ手前を車のライトだけが照らしている。辺りは民家があるものの、電気がついていない。もう避難したのだろうか。

人の気配はしないが人がいた形跡がある。

こんな異様な光景が数十キロも続いている。ガソリンスタンドはおろか、コンビニもやっていない。ただ、暗い道路だけが雪の中静かに照らし出されている。行き交う車もない。ポツンと軽自動車が一台テクテクと危険地帯に向かっている。懐かしい郷愁とともに。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》