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口笛SFミステリー小説①『犯人はスイミー?』第1部:証拠篇

(あらすじ)
幼少期に交わり親友となった2人の女性、レオナとアリーナの数奇な人生を辿ります。レオナの死は事故か殺人か?それを息子のカオルと夫ギイチ、そして何と口笛で会話できるカラスが、チームでこの事件を解決しようとしますが、警察では証拠不十分で迷宮入りに。その難局に科学の力で挑みます。サッカーの大試合,サハ共和国の“蚊の竜巻”と日本でも有名な“スイミー”,2つの国を繋ぐ口琴の音色や民族に伝わる風習などが、複雑に相俟って覆い隠す謎を少しずつ解き明かしてゆきます。そして、ついに解き明かされた悲しい事実が導く、予想外の展開とは?ちなみにこれは単独のミステリーであり、前作「ジェントルメン」に繋がる序章でもあります。


プロローグ

 私はクロエ。同居人のギイチがくれた名前なの。
 新芽を意味するラテン語に由来するから本来は黄緑なのだけど、彼は単純に私の黒から日本語で連想、しかもお洒落な女性の名前ってことで付けてくれたみたい。同じ名前で有名なファッションブランドがあるそうね。興味が湧いて銀座へ見に行ったこともあるわ。定番バッグの上品な黒が私に似ていたけれど、彼がそれを知っていたとは思えないわね。
 そう、彼は無骨だけど誠実。それに手先が器用で、とっても頭がいいの。だから傷ついた私を助けてくれたし、私と会話できるスキルまで習得してくれた。心から感謝しているし、彼の為なら命も掛けられる。いや大袈裟じゃなくて、本当に命がけのミッションだってあったんだから!
 でも、彼には綺麗で賢い奥さんがいるの。
 レオナさんって言って、札幌の大学で同窓生だったんですって。私を拾ってくれた時にはもう結婚していて、同じ年に息子のカオルが生まれたの。だから私とカオルはとっても仲良し。この家に来た同期みたいなものね。サッカーが大好きでよく一緒に遊んだわ。そういえば、この国の代表チームのシンボルは3本足の八咫烏(やたがらす)。私の足は2本だけど、同類として親近感が湧くわね。
 申し遅れましたが、私はワタリガラス、渡り鳥なの。
 “ギイチに助けられた”時は、渡りで疲れた所を何かに襲われたみたい。はっきり覚えてないけど。子供だったから強くなかったし。そこをたまたま、道東へ旅行に来ていた2人に見つけられたってわけ。私ってつくづく“持ってる”と思う。
 ちなみに私たちは英語だとレイブン。皆さんが街でよく見るクローよりも一回り大きいのよ。もしかして……カラスって一種類だと思ってない?まぁいいわ、そんなことは本題じゃないから。

 さてさて、今日は皆さんと“犯人捜し”をしようと思うの。
 殺されたのは、なんとレオナさん。…言っとくけど犯人は私じゃないからね。いくらギイチが好きだからって、奥さんだって恩人だし、カオルとは親友だし。そもそも動機がないわ。そんな情実一辺倒な推理をしているようじゃ、先が思いやられるわね。
 さぁ!性根入れて、私の恩人を殺した犯人を捜してちょうだいね!では物語は2059年、家族がJ国からE国へ引っ越す所から始まります。

雄 飛(2059年初夏@J国大阪の自宅)

 「もー、すぐ捨てないでって言ってるでしょ。それは意味があってそこに置いてるの。」
 「はいはい、わかった。母さん、ついきれいにしたくなっちゃうのよね。ほら、何かがあると埃が溜まるでしょ。」
 母はきれい好きだ。俺の症状が起きないよう気を付けてくれているのだが、生来の片づけ癖を、俺の病気で体よく正当化している節もある。
 「俺のアトピーを気にしてくれて、ありがとう。でもこの家、引き払うんでしょ。我が人生の総整理をしているんだから、邪魔しないで。」
 「人生の総整理って、まだ20年そこそこの若造が何を言うか。でもいろいろあったよね。捨てがたい気持ちはわかるよ。ほら、これなんか懐かしいねー」
 「そういうんじゃないの。E国に移るんだから、少しでも身軽にしないと、家賃が嵩んでしょうがないでしょ。そんな思い出に浸っている暇はない。俺はこれから飛躍するのだ!」
 「本当にそうだね。サッカー選手としては大学行って回り道したけど、こんなに早く本場に挑戦できるなんてすごいよ。カオル選手、勝因は何ですか?」
 「だから邪魔しないでって。そうだね……サッカーだけを考えていない所じゃないかな。父さんと母さんを見てて、自然にそう思った。」
 「もー!泣かせるね、この子は。そうだよ、世界はいろんな問題を抱えているんだから。カオルは、自分がやるべきと思った事は何でもやりなさい。」
 「はーい。だから今すべきは部屋の片づけ。邪魔しないでね。」
 「はーい。退散しまーす。あとで一緒におやつ食べようねー。」

 俺、カオルは24歳でプロのサッカー選手。才能を見込まれて去年、E国で伸び盛りのチームにスカウトされた。自分で言うのも何だけど、イケメンでプレーにも華があるので、人気も急上昇。大学では美容目的で微生物の研究をしていたことも手伝って、母国の化粧品会社がスポンサーに付いてくれた。とりあえず着の身着のまま渡Eして大活躍。今はシーズンの合間に帰国し、荷造りをしているのだ。

 母のレオナは49歳、鳥類学者かつAIエンジニア。父と協力して開発した鳥型ロボットが、開発途上国に多くの産業を生み出した功績を買われ、多くの途上国をまとめる盟主の立場にあるE国女王に招かれ、近く俺と一緒に渡Eする予定である。

 父のギイチは51歳、精神科の医師で獣医でもあるのだが、臨床現場を離れ、自身がアスペルガー症候群である特性を活かし、大阪のエージェント会社で“特異な才能を活かす”新事業を次々と開発していた。
その一環で俺の友達、カラスのクロエもエージェントした。口笛で会話できる手法を編み出して、カラスと協働した独自の地震予知法を確立。2050年にはクロエの命がけの活躍もあって東海全域の大地震から人々を救い、一躍有名人となっていた。
 だが同年の東京大地震ではこの予知法が使えず、そのことは事前に公言していたので特に非難はされなかったが、父は責任を感じて、新たな開発の必要性を模索したのだろう。当時こんな会話を交わした事を覚えている。

 「なぁカオル、ちょっと微生物について聞いてもええか?」
 「いいけど、珍しいね。父さんも美容に興味が出てきたの?」
 「この歳で色気づくわけないやろ。父さんは母さんだけや。そんなことより教えてくれ。地震で被害を受けた街は、微生物の視点で見るとどうなんや?」
 そこで俺は気が付いた。東京地震に警鐘を鳴らすしかできなかった自分を責めていると。だから鳥型ロボットよりもっと小さな“微生物ロボ”を考えているのだな……と思った。
 「ああそうか、なるほど。カラスで出来たことの応用を、微生物で考えているんだね。うーん、俺は美容が専門だから参考になるかわからないけど、何かで強い外的要因が加わると微生物の生存本能が働いて、一時的に数が増えて群れるとは言われているね。」
 「そうなんか。実は震災の復興に、父さんも何かできんかと考えているんや。」
 「それで言うと、微生物の代謝を利用して地盤を固くできるとか、津波とかで一時的に破壊された水中の生態系を速く回復できるとか、そんな研究はある。そうだ。断層を継続的に観測できればだけど、その微生物の変化で地震予知ができるって言う研究もあったな。」
 「おお、さすがカオルや。おおきに。そぉか、微生物はどこにでもいるさかい、上手く働きかけられれば、いろんな事ができそうやな。」
 「でも難しいのは、一つの変化がいろんな影響を巻き起こすこと。全体的な体系になっているからね。少しの変化でも甚大な結果を招く可能性がある。少し違う例えかもしれないけど、タイムマシンで過去に行って、都合よく一部だけ変えることができないのと似ているかもしれないよ。」

 ちなみに父は、生物系が専門にしては珍しく工学にも長け、母の鳥型ロボット開発でも制作で協力していたし、東京地震で傷ついたカラス用に脳と繋ぐ人工翼を開発もしていた。だからきっとこの話をした時も、将来の微生物ロボット開発を構想していたのだと思う。
 だが、その構想半ばで母にチャンスが訪れたので、とりあえずは鳥型ロボットの共同開発者として、渡Eに同行してくれたのだった。

兆 候(2059年中秋@E国ブライトンの自宅)

 「さぁみんな!今日は飲むわよー。」
 「カオルの誕生日やからな。そして毎度のお約束やけど、わいの誕生日も一緒にされてまう。」
 「仕方ないでしょ。私もこれから忙しくなるんだから。何と言ってもE国連邦の産業振興顧問ですわよ。就任は来年の夏だけど、女王様から直々に依頼されたんだから!もう幸せすぎてー。」
 「母さんは昔から、南北問題に関わるのが夢だったものね。E国連邦には途上国が沢山あるから、やりがいがありそうだ。」
 「そうなのよー!鳥類学者として資源保全に取り組んできた功績が、女王様に認められたのが嬉しくって。でもカオル。今あなたが使ったその“途上国”っていう言葉を母さんは無くしたいのよね。」
 「えっ、どうしてさ。努力中って感じがして、俺は特に悪くないと思うけど。」
 「そ・れ・は、開発して発展するのが全て良いっていう物差しが根底にあるわよね。その見下している感じが嫌なの。むしろ大国の方がいろいろと問題が山積みじゃない。」
 母はこう見えて芯が強い。子供の頃から口笛を通じて世界に友人を作り、コロナ禍で一気に表面化した世の中の様々な矛盾に触れる中で、“持たざる者の自立”こそが取組むべき課題だと、早くから人生の方向性を見定めたそうだ。

 「そら人でも同じやな。わいのアスペルガーかて、病気か個性かは見る人による。クロエかって、J国ではゴミ荒らし扱いやったんが、ここじゃ世話人が付いてもおかしない位や。」
 そうなのだ。E国では、ある世界遺産に住みついたカラスが、いなくなると国が滅びるという伝説があるらしく。国王の命により世話係が任命されている。これは“レイブンマスター”という職で、クロエはレイブン、つまりここで保護されているカラスと同類なのだ。
 ちなみにJ国だとレイブンは北海道にしかおらず、よく見るのはクローという別の種類。元々は都市型でゴミを荒らすイメージだったが、2050年に東海大地震をクロエが予知したおかげで、つられてイメージアップ。今では“国の守り神”とまで言われている。
 「あはは!ロンドン塔のワタリガラス伝説ね。さすがにクロエに世話人は付かないけど、カラスに対する見方がJ国とまるで違って驚いたわ。ところでクロエは?」
 「今日もあちこち飛び回っているね。彼女の記憶は曖昧だったけど、どうやらここは生まれ故郷に近いらしいんだ。だからいろんなカラスに聞き回って情報を集めているよ。」
 「へー、クロエはE国生まれだったのか!どうりで昔から、俺と一緒に遊んでいても、何か高貴な感じがしてたわけだ。」

 「ところでレオナ、女王様への謁見はどうやった?詳しく教えてくれへんか。」
 「基本的には、顧問として適格かどうかの面接ね。どんな思想を持ち、何を理想と考えているのか。ありのままを申し上げ、丸ごと認めて頂いたわ。」
 「都市型カラスのロボット開発については、本当の狙いを伝えたんか?」
 「核兵器の無力化ね。ええ、伝えたわ。その場で逮捕されることも覚悟してね。でもそれを踏まえて顧問職を打診してくださった訳だから、受け止めてくれたのだと思う。」
 今回母が打診されたのは、鳥型ロボットを用いた連邦各国の産業振興。災害予測の精度を上げて一次産業を振興することや、地雷撤去の効率化で次代を担う若者を守ることなど、これまでに上げた数々の成果に期待してのことだったが、父と母はその先の目標として、鳥型ロボットを大都市にも普及させて、先進国の核兵器を無力化する計画を持っていた。
 それを俺は危ないと思ったし、本当は心配で、止めて欲しいと思っていたんだ。

 「でも女王様は難しい立場だよね。俺だったら即答できないな。だってE国は核兵器保有国だもの。連邦首長としては歓迎だろうけどさ、国内には色んな勢力がいるからね。」
 「せやで。女王様に伝えた以上、レオナも十分に気を付けんと。クロエに護衛を頼もか?」
 「大丈夫よ。私には“手乗り文鳥型探知機”があるから。それに核兵器の話はまだ計画段階で、女王様にしかお話ししていないのだし…でも、少し気になったことがあったわ。」
 「なんや?屁ぇみたいなことでも共有してや。」
 「女王様の許可を得て私の文鳥で探索した時、扉の外に虫類学者がいたの。それからは場所を奥へ移して機密の話をしたのだけれど、そう考えると少し気になるわね。」
 「他に違和感はなかった?何でもいいから。母さんの身が心配だよ。」
 「そんなに心配しなくても大丈夫よ、カオル。そうねぇ、個々には特に感じなかったけど、思い返すと全体的に、女王様以外からはそれほど歓迎されていない感じがしたかな。」
 「ほらー、やっぱり心配だ。俺もサッカー仲間から情報収集してみるよ。」
 「そんなぁ、いいわよ。カオルだって大事な時期なのだから。まずはシーズン通じて活躍することが大事でしょ。自分の仕事に集中しなさい。お母さんもよく気を付けるから。」
 「わいも探ってみるわ。ひょっとしたらこの国の、大きな政治的論争に巻き込まれかけているのかもしれへんで。わいらは歴史ある国に来た異物なんやから、まずは重々気ぃつけんと。」

勃 発(2060年晩夏@E国ロンドンのスタジアム)

 その夏は特に暑かった。サッカー選手にとって気温は疲労に直結するので、リーグ戦が開幕してまだ間がないのに、怪我による離脱が例年になく多かった気がする。そんな中で俺はほぼフル出場。離脱組の分まで出場したおかげか成績も前年を超えるペースで、実に順調だった。前年の覇者と対したあの試合までは……。

 「前半は押されていたがよく守ったぞ。攻めは左のカオルが上手く機能していたと思う。だから後半は、左のカオルでフィニッシュできるように、右サイドでのボール保持を長めにしてみよう。相手が右に寄せてきたら、左からとどめを刺すんだ。カオル、頼んだぞ。」
 ハーフタイムのミーティングで打ち合わせた戦術が上手くはまり、アウェイゲームで後半早々に1点を奪い先行した。しかしホームで戦う相手も意地を見せ、直後にセットプレーで振り出しに戻された。そしてオーバータイム5分の終了間際に、その時が訪れたんだ。
 作戦通り右で保持している間に、大外でフリーになった俺は手で合図、そこに絶妙なクロスが来た。しかし相手のディフェンスも然る者、素早く寄せてきたので、トラップしては奪われてしまう。そこで俺は瞬時にダイレクトボレーを選択し、利き足を振り切った。
 俺の足から放たれた何かがゴールネットを揺らし、観客席が揺れた。しかしその一瞬後、スタンドを含むスタジアム全員が、俺の足元にボールを認めた。俺はそのまま、シューズが脱げた右足を軸にして、左足の踵を思いきりボールにぶつけた。
 「ゴ―――――ル!!!」
 俺がノールックで後ろ向きに放ったシュートは、利き足でなかった為に威力は劣ったが、幸運にも寄せてきたディフェンスの足に当って方向が変わり、キーパーが伸ばした指先をかすめるように、ゆっくりとゴールに吸い込まれていった。
 その時だ、俺の脳をかつてない程の激痛が襲ったのは。キーパーの指先をかすめたボールを視認し勝利を確信したその瞬間、俺は激痛でピッチに崩れ落ちた。
 痛みは無防備な右足から来た。そう、必死に足を伸ばしたディフェンスの足が、勢い余って俺の足を思い切り踏みつけたのだ。最初のシュートで靴を飛ばした素足に、スパイクが完全に入ってしまった。状況を理解した俺は、流血に塗れているであろう自分の足を見ることができなかった……というか、見る必要もないことを激痛が教えてくれていた。
 「終わった。」
 勿論これで試合は終わったのだが、俺の脳裏には今際の際に浮かぶ走馬灯さながらに、これまでのサッカー人生が蘇っていた。これで終わりかぁ。もっと活躍したかったなぁ。でも最後に凄いシーンを作れたなぁ。ネットで何度も流れるだろうなぁ。せいぜい笑ってくれよ。

 はっ。そういえば最初に足を振った時、何でシューズが脱げたのだろう?最後の力を振り絞ってメディカルチームに尋ねた。
 「あの。俺のシューズ、どうなっています?」
 「ああ、紐が切れていたね。珍しい切れ方していたみたいだ。保存しておくかい?」
 「すみませんが、お願いします。」
 それだけ言うと、俺の意識はそこで切れた。以後丸一日俺は目を覚まさなかったらしい。そして再び目を覚ました時、俺は母が死んだことを知らされた。

鳥 瞰(2060年晩夏@E国ロンドンの病院)

 目覚めた翌日、俺はまだ病室で朦朧としていたが、それでも必死に状況を把握しようと努めた。たまに寝落ちしながらも、父やクロエ(父経由だが)、友人から聞かされたことを総合して、何とか理解した事件の流れはこんな感じだった。

 まずその日、母は週末なのにオフィスで仕事をしていた。朝食は一緒だったが、特に変わりはなかったと思う(父も同意見だ)。暑くなる予報だったので、水筒を持って出たのを覚えている。そして事件の一報は14時過ぎ、在宅で仕事をしていた父の下に届いた。俺の試合が珍しくランチタイムキックオフ(12:30)だったから、試合終盤のちょうど俺の怪我をTVで観た直後に、警察からの連絡が入ったので、かなりパニックになったそうだ。
 父が警察から聞いた状況としては、母はランチを食べに行くと言ってオフィスを出て、その帰りに近くの公園で倒れていた所を発見され、救急車で病院に運ばれたが、その途中で息を引き取ったと。だから家族は、誰も母の最期に会えなかった。しかしたまたま俺が試合したスタジアムがその公園に近かったので、同じ病院に運ばれた“物言わぬ母”と対面した……悲しかった。
 ただ父の指示で、家族同然のクロエが母を見守っていたそうで、実際の第一発見者は彼女だった。驚いた彼女はとにかく叫び散らし、近くにいた人間に母の異常を気付かせたそうだ。だから実は倒れてからそれ程の時間は経っていない。それでも病院まで命が持たなかったということは、多分毒殺だ。警察はまだ事故との両面で捜査しているらしいが、俺と父の意見はすぐに一致した。

 では、誰がどんな手段で母を殺したのか?とにかくもっと情報を集めなくてはならない。俺はしばらく動けそうにないから、父に警察への伝手づくりを頼んで、まずはひと眠りすることにした。
 一刻も早く体力を回復しなくては!だってクロエによると、母は倒れる前にスタジアムの外まで来ていたんだ。その時はまだ足取りもしっかりしていたようだけど、ただ雰囲気を感じたかっただけなのか、あるいは俺に何かを伝えたかったのか。いずれにせよ俺は母の最期の想いを解き明かさなければならない…そんなことを考えていたら、いつの間にか、自分が怪我をしたショックは消えていた。すると一瞬、母が微笑んでくれた気がして、その記憶を最後に、再び俺の意識は薄れていった。

証 拠(2060年初冬@E国ブライトンの自宅)

 俺の足は思ったよりも酷くなくて、1ヶ月で退院できた。しかしまだトレーニングは許可されず、今シーズンはほぼ無理という診断が下ってしまった。そんなことで自宅に戻り、足は固定したまま、諸々の情報整理に努めているという訳だ。

 父が警部から仕入れた情報によれば、検死により母の死因は猛毒のボツリヌス菌と判明。血中からごく微量が検出された。神経毒で、呼吸困難にさせるが、意識ははっきりしているらしい。苦しかったろうな。……すぐに母が昼食を摂ったレストランを調べたが、他に同様の症状が出た客はおらず、食材にも何ら問題はなかった。そもそも昼から生の食材を食べる訳もなく、通常は加熱調理で菌は毒性を失い、残りは大腸菌が始末してくれるはずなのだ。すると、なぜこの“血中に微量”という状況が生じたのか。やはり毒殺?
しかしそれも大いに疑問だ。レストラン内の防犯カメラが、異物を盛る動きはなかったと証明しているし、それ以外は(スタジアムまで来た道程も含め)衆人環境なので、注射針などで本人が声を上げることなく何かを注入することは極めて困難。そもそもそうしたことがなかったと(警察には知らせていないが)一部始終を見ていたクロエが教えてくれた。
 しかもそんな超微量を、屋外で人間が意図的に注入するのは、技術的にも困難を極める。ではクロエも見ていない執務中の犯行ならどうだろう……いや駄目だ。もっと早くに毒が周って食事中に倒れていたはずで、これも辻褄が合わない。

 俺は、推理で行き詰まった頭を回復させるために、怪我をした試合のビデオを観ることにした。一時は引退も覚悟したが、まだ選手生命は持ちそうだ。ならば辛くても、自分のプレーは振り返らないといけない。頭を切り替えて、ビデオのスイッチを入れた。
 前半はいつになく好調だった。ハーフタイムでコーチに指示された言葉が蘇る。後半は俺を切り札に使う戦術がはまり、何度となく決定的なチャンスが生まれた。その中から1点を取り、1点を返された。そこから膠着状態でオーバータイムを迎えるのだが、その間に一つ、俺は決定的な得点機会を逃していたことを忘れていた。
 それは後半の35分、攻め上がって生まれたゴール前の密集で、細かなパスを繋いだ時だ。味方がくれたパスを、俺はスルーしてしまった。結果的にその後ろにいた味方のシュートに繋がり、外れはしたものの画面ではナイスプレーに見える。でも違う!これは俺のミスだ。パスがよく見えなかった……というより、遠近感がちょっと合わなかった気がする。
 そんな疑念を抱えながら、問題のオーバータイム5分を迎えた。ここだ。なぜ、絶好の機会にシューズが脱げたのか?それは画面で明らかだった。俺はボールが届く前に足を振っている。俺レベルの選手が、二度も同じ過ちを繰り返すはずがない。明らかに視覚異常が起きている。ボールを蹴るつもりで空振りしたので、代わりにシューズが飛んで行った。
 そうだ。紐は?推理ばかり考えていたから、戻ってきたシューズをよく見ていなかった。確かここに……担架で運ばれながら聞いたトレーナーの言葉を思い出す。「珍しい切れ方」?なるほど、確かにあまりない切れ方だ。紐が少し焦げている。どうしたらこんな風になるんだ?他にも何か痕跡を探してシューズをなめ回すように見た。すると……何だこれは?肉眼でやっと見える程の小さな破片が靴の継ぎ目に挟まっている。顕微鏡で調べてみると、何かの虫の翅のようだ。虫、火……突然、母の言葉がフラッシュバックした……「扉の外に虫類学者がいたの」。いつの間にか、行き詰まった推理にまた戻っていた。でも突破口をみつけたぞ!
 「父さーん、居る?調べて欲しいことがあるんだ!」

<了>


第1部をお読みくださり、ありがとうございます!
以下も続けて、お楽しみ頂けると嬉しいです。
口笛SFミステリー小説①『犯人はスイミー?』第2部:闇堕篇
口笛SFミステリー小説①『犯人はスイミー?』第3部:決着篇

ちなみにこの作品は前作『ジェントルメン』の序章でもあります。
【創作大賞2023:漫画原作部門 応募作品】
よければ併せてお楽しみください。
第1話:Gと呼ばれる国籍不明の科学者ギルド
第2話:人間展開①~ギイチとクロエ
第3話:人間展開②~レオナとカオル

今回の創作大賞2023、他にも以下に応募しています。
オールカテゴリー部門:口笛SF短編小説②『アバターもええ公方』

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