見出し画像

女性は一人で焼肉を食べちゃダメですか?

 いきなりですが、ある人のとある日の食事の記録をご覧ください。 
【朝食】
◾フルーツグラノーラ
◾プレーンヨーグルト
◾トマトジュース
【昼食】
◾スモークサーモンとチーズのベーグルサンド
◾マッシュルームとオニオンのスープ
【夕食】
◾カルボナーラ
◾エビとトマトのマリネ
◾ティラミス
さて、これらを食べたのはⒶⒷ、どちらの人だと思いますか? 


 正解は「どちらの人でもいい」でした。しかし、Ⓐの女性だと思った方が多かったのではないでしょうか。Ⓑではないと思ったのなら、それは食のジェンダーバイアスかもしれません。


食のジェンダーバイアス

 料理には女性的な料理、男性的な料理という不思議なジェンダーイメージが存在します。概ね、日本の社会全般ではパスタ、サラダ、スイーツなどが女性的食品で、焼肉、牛丼、ラーメンなどが男性的食品として認知されているようです。しかし、パスタが女性、焼肉が男性のイメージであっても、それが悪いわけではありません。問題なのは、料理のジェンダーイメージがそれを食べる人のイメージにもなることです。たとえば、一人でパスタを食べる女性は女性的なのに、一人で焼肉を食べる女性は男性的だと思われるらしいのです。しかし、一人で焼肉を食べることと、その女性の性格はなんら関係がありません。もちろん、女性一人で焼肉屋さんで食事することはなんら恥ずかしい行為ではありません。
 ジェンダーのみならず、食べる料理からその人の人格、職業、さらには社会的役割などを勝手に決めつける行為は社会に広く根付いています。そしてそれは、男は男らしく、女は女らしくという「いにしえの呪文」にも通じているのです。
    そもそも「女性らしさ」「男性らしさ」とはなんですか。パスタを食べることが女性らしさで、焼肉を食べることが男性らしさなのでしょうか。


性別役割分担

 食のジェンダーバイアスの最たるものが「料理は女性の仕事」だという思い込みです。すでにさんざん話題にされてきたので、昭和の時代に比べればずいぶん少なくなったと言われていますが、令和の現在でも、ジェンダーバイアスだと気づかずにまかり通っていることがあります。

 料理が女性の仕事だと決めつけられたのは、「男は外で稼ぐ、女は家で家事・育児をする」という古い社会的性別役割分担が原因です。それは「家(建物としての家ではなく、人の集まりの単位としての家)」を運営し、存続させるための手段で、日本では江戸時代の武士の「家」が顕著な例として挙げられます。ところが、戦後世の中の仕組みが変わり、性別役割分担は必ずしも必要ではなくなりました。それでも人々は長らく続いた慣習から抜け出すことができずに現在に至ります。
 現在でも、結婚する時にどちらが料理を担当するか等、家事の分担を話し合う家庭はまだまだ少数派だと思われます。多くの場合、暗黙の了解で、結婚すれば女性が料理を担当しています。しかし、女性なら誰もが料理が好きで、得意だなんてことはあり得ません。それは洗濯・掃除等も同じです。それなのに料理が得意ではない女性は「女性なのに」と言われ、料理ができて当たり前と言われます。一方、男性は料理ができなくても「男性なのに」とは言われません。料理ができる男性はほめられます。


大人なのに

    男性であれ女性であれ、自分が食べる物は自分で調理できなければいけません。どんなに仕事ができても、どんなにスポーツができても、生物は生き続けることが最も大切なことなのです。そのために食べる、それを他人任せにしていいはずがありません。それが許されるのは子どもだけです。
 性別に関係なく、自分の食事ぐらいは自分で調理できなければ「大人なのに」と言われますよ。


性別ではなく個性

 女性と男性の違いは、生物学的な身体的特徴以外は、はっきりと二分化できるようなものではありません。サバサバした豪快な女性もいれば、細やかな気配りができる男性も、料理は苦手だけど大工仕事が得意な女性もいるでしょう。それは男性か女性かではなく、ひとり一人の個性です。男性・女性に当てはめることになんの意味があるのでしょうか。令和も6年になりました。そろそろ時代遅れのジェンダーバイアスから抜け出しませんか。「男らしさ」「女らしさ」ではなく、大切なのは「その人らしさ」なのです。



 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?