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全く違う会社で同じことを言われた日

先日、育休中の社員の方が会社にいらして、「〇〇さん(私)がいるならもう少し頑張ろうと思う」と言われました。私が今の会社に入社して最初の業務が彼女の仕事の引き継ぎだったので、直属の先輩になるのですが、今は私が主任になってしまったので、立場的には私が上司になるのかな?

実は同じことを前の会社でも言われたんです。その方の退職の件でお話ししていて、彼女もお子さんが小さくて、仕事と家庭とでいっぱいいっぱいになって、限界がきて辞めたいってなったのですが、「〇日に辞めたいけど、〇〇さん(私)が言うならもう少し頑張る、退職日を伸ばしてもいい」と相談してくれました。

個人としては、やってきた仕事が間違いではなかったのかな、良い人間関係が築けていたのかな、と嬉しくなってもいいと思うのですが、正直あまり喜べない自分がいます。

部下からこんな風に言われたらどう感じますか?当然、十人十色だと思いますが、私みたいに打ちひしがれるような感覚になる人は少数派でしょうか?

違う会社で同じことを言われて、やっぱり喜べなくて、一体なぜだろうと少し考えてみました。

私は立場とかポジションを結構気にしてしまいます。若い時に意見を言い過ぎて干されたり、人の縄張りにうっかり踏み込んで地雷を踏んだり、ゲリラ豪雨のようなお局さんの襲来を経験したせいかもしれません。組織の一員=役に徹するというのが雇われスタイル、誰に言われた訳ではありませんが、そんな風に思っているふしがあります。

だから自分の能力、知識、経験が活かせない席はやっぱり座り心地が悪いです。

大なり小なり、人の上に立ったとき、つまりマネジメント職の仕事のひとつは部下の方向を調節すること、会社の向きと部下の向きを揃えて、推進力を最大化させることだと思っています。

なのに、矢印が会社ではなく私に向かっている、だから喜べないのです。確かに慕われて、頼りにされるのは大変ありがたいです。でも、会社も幹部も同じチームであって、敵ではないはずなのに、まるで嫌な人から守ってくれるヒーローのようにな扱い方に戸惑っています。

方向がどうであれ、意欲が向上したのは少なからず良いことです。職場の雰囲気も変わりましたし、意見や提案もよく出るようになりました。それなのに、どうしてこんなに不安なのでしょうか。

退職の話し合いをして、全部ではないですが、なるべく彼女の希望に沿う形で退職手続きが終わった数日後、飲み屋で朝まで呑んで泣いて、ベロベロで帰路につきました。

同期入社で、年も1歳違いで、彼女は1年の育休から復帰してまた一緒に働いていました。コロナでなかなか食事にも行けなかったけれども、それを差し引いてももっと密にコミュニケーション取れば、業務の割り振りをもっとこうすれば、と終わってからできたかもしれないことが、次から次に浮かんできて、最後まで私のためなら頑張れると、無理をさせてしまった。いつもそうだったのかな、自己犠牲の精神は一見美しくみえますが、私にはそれを受け止められる器がなかったのです。

あの日受け止めきれなかった同じ言葉を前に、少しずつですが良くなっているはずの現状が麻薬の幻覚にならないことを祈ります。結局は私次第ということですが。

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