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ぼくが無人島へきた理由

「男が冒険をするのに理由なんているんですか?」

その一言で説明が終われば、どんなにか楽だったろうか。
しかし親を説得するにも、なにより自分自身を納得させるためにも、ぼくには理由が必要だった。

むろん、友人にも仕事先にも無人島へ行く理由を聞かれる。なぜ?と。
都度、「行きたいから行くんです」とはぐらかし、ロクに理由を説明しなかった。だって話が長くなってしまうし、理解も得られないだろうし、なにより変にコメントをされて、自分が無人島へ抱く期待やモチベーションが下がることが怖かったから。

だから、無人島生活も中盤に差し掛かったいま、改めてぼくが無人島へきた理由を書き残しておこうと思う。

ーーー

ぼくが無人島での100日間に求めたことは3つ。

大学卒業後から今までに手にしてきたスキル、田舎で自然の中で生きる技術(狩猟・銛つき・野外調理)を再確認し、一旦の区切りとすること。
文明社会に生きる自分をできる限り殺すことで、新たな自分との出会いや発見を得ること。
自然や生き物の声をより聞き取ることができるように、その感度を高めること。

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順を追って説明していきたい。
まず最初の理由。大学卒業後から今までに手にしてきたスキル、田舎で自然の中で生きる技術(狩猟・銛つき・野外調理など)を再確認し、一旦の区切りとすること。

ぼくは無人島生活を終えたら、次は東京へ拠点を変える予定にしている。
東京へ行ってしまえば、いま手にしている田舎でのみ有用なスキル(狩猟・銛つき・野外調理など)を活かす機会はなくなるだろう。だから最後にその再確認をして、一旦の区切りをつけたかった。

大学を卒業してから、ずいぶんとたくさんの田舎を転々としてきた。
京都の山奥で猟師に弟子入りし、罠猟と鹿猪などの獣肉処理加工を学んだ。
愛知の南端にある漁村では友人と古民家をセルフリノベ、自分たちの別荘作りをしながら暮らした。
岡山県は西粟倉村では協力隊として、廃校になった小学校の給食室の一区画を改修、自身の獣肉処理施設を開設・運営した。
沖縄の離島での短期バイトでは、友人に銛つきを習った。
そして故郷の福岡へ戻り、大分との県境にあるレストランibizaで、スペイン料理・薪を使った野外調理・パン、燻製ハム、生ハムなどの製造を学んだ。
他にも細かく言えばいくらでも書けてしまうほどに、各土地ごとでたくさんのことを学ばせてもらった。いやほんとに、思い出がありすぎて困る。

はからずしも山海山海山海と両極端に移動してきたわけだが(いま気づいたが山はすべて県境の土地、海はすべて海岸から100mと離れていない場所に住んでいた)、そこで自分が積み重ねてきたモノを改めて確かめたかったんだ。

結果として、これまでに積み重ねてきた経験や知識、技術は、無人島で存分に活かされていると思う。狩猟や銛つき、料理はもちろん、それ以外の細かなことも。あ、あのときのあの経験がここでこう活かされるんか。みたいに思わずニヤついてしまうことも度々だった。

改めて、いままでにぼくが過ごしてきたすべてに、感謝の気持ちを伝えたい。

ーー

次の理由。文明社会に生きる自分をできる限り殺すことで、新たな自分との出会いや発見を得ること。

うん。文面からしてドMの性癖がみてとれるんだけれども、いたって真面目に言っている。
ぼくは芸術家の岡本太郎氏が大好きで。彼の本を一冊、島にも持ってきているのだが、その1ページ目にはこう書かれている。

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。それには心身とも無一物、無条件でねければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。
 ー 岡本太郎著: 自分の中に毒を持て p.11

今日、ぼくたちの暮らしは溢れるほどのモノや情報、便利な技術に支えられている。それらをできうる限り切り捨てて、無人島という環境に自分を放りこんだ時には何がおきるのか?どんな感情になり、どんな自分と出会うのか。それにぼくはとても興味をそそられた。

まぁ、結果として、当初思っていたほどに文明から自分を切り離すことはできなかった。竹や木で小屋を作り住む予定だったが、常におそってくる蚊の大群に耐えられず、屋外で寝るのは3日で断念した。かつて使われていた廃屋のような小屋で、残されていた網を使って蚊帳を自作して寝泊まりしている。(もっとも扉は閉まらないし窓も割れているので、半分外のようなものだが)

無人とはいっても陸地から近くインターネットはどうにか届いているため、週に1度のみ、携帯に電源をいれ親に生存確認の連絡をしているし。
太陽の光だけで暮らすつもりだったが、夜になればヘッドライトを使って本を読み文章を書いている。
水道はないが、島の所有者が小さな沢からホースで水をひいている。
ガスはないが、杉の植林地が残っていたためそれを伐採して薪にした。
手製のBBQコンロが置いてあり、それを使えと貸してもらった。

そしてなにより、島へ来るまで知らされていなかったのだが、島にはいまも所有者の趣味の畑が残っており、1.2週間に一度は所有者の方が島へ来て畑の手入れをされている。
だから100日間まったくの孤独ということはなく、所有者の方とはたまに会って話をしている。なんならご好意の差し入れということでおにぎりや乾麺、はてはお酒までいただいてしまうこともある。

正直、無人島生活監査委員会なるものがあったとするならば、満場一致でぼくの無人島生活は否認をくらうだろう。無人島でサバイバル!というよりも、無人島で隠居生活といったほうが的確かもしれない。
もちろん海に潜りチヌを突いたり、貝をとったり、畑の側で寝ていた猪を(自衛のために)ボウガンで射ち殺し、畑に入ってきたウリ坊を棍棒で叩き殺し、どちらも捌いて食べたりはしている。タヌキも。

だがしかし、完全に身ひとつで島にあるものだけで暮らす。というようなことはできていないし、決してできなかっただろう。島に来て最初の2日で雨に打たれ続け、服がすべて濡れてしまい体温がどんどん奪われて、ひどいのど風邪をひいた。それで即、なりふり構わず持ち込んだ薬を飲んだ。
やはりぼくは現代社会の文明に、結局は救われて。それでやっと生きていけるだけの弱い存在だった。

それでも、あぁ無人島にきて良かったなと思っている。
限られた資源のなかで生きのびなくてはいけないから、そのありがたさをとても大きく感じている。
甘みを欲して耐えられなくなり、非常用のアメ玉を石で割って食べようとして、それの無残に飛び散った時の悲哀と絶望はここに来なければ味わえなかっただろう。
週に一度だけの父親との連絡では、今までの人生で間違いなく一番に父親とコミュニケーションをとっていたし、本当に自分のことを心配してくれているのだということを強く感じることができた。
まったくの他人だった島の所有者の方も、本当にぼくのことを気づかってくださって、良くしていただいて。倍以上も歳の離れているぼくと、楽しそうに笑いながらいろんな話をきかせてくださるのだ。昔の島の話、仕事の話、若い頃の話。

文明に支えられて生きる自分を殺すために、できうる限りそれを捨ててしまえと手放した後に、残ること。
自分の個としての弱さを再認識させられたと共に、それでもやはり必要だと残ったモノや人との繋がりに本当に救われている。
それらを存在を知ることができたことに、大きな価値を感じている。

いや本当に、一人の人間のなんと非力なことかと痛感した。
そしてだからこそ、人間は人間として社会をつくり生きていかねば、戦っていかねばならないのだなと感じている。

この自分を生かしてくれている社会に対して、ぼくはどのような形で貢献できるだろうか。価値を提供できるだろうか。個としてだけでなく、社会の一人として、どうやって生きていけば良いのだろうか。そんな大きな課題をもらった気分だ。

ーー

最後の理由。自然や生き物の声をより聞き取ることができるように、その感度を高めること。

狩猟、獣の肉や天然酵母のパン、火の扱いなど、自然のものを扱っていると稀に、その声が聞こえてくるように感ずる時がある。
「今!今やで!今がタイミングや!」ってパンの生地が発酵の具合を伝えてきたり。「自分、今回調子いいっす」、と生肉がその状態を伝えてきたり。
無人島では自然のなかに自分をさらし、生き物たちの声をより深く聞きとる努力をして、そこからなにか学びを得られないだろうかと考えていた。

いま、無人島の日々で強く感じているのは、自然のなかでおこなわれる大小の様々な生命のやりとりの存在。そして、その生命のやりとり自体もまた、ひとつの大きな流れ、ひとつの生命体のように感じられる。
ぼくも含めた生命のやりとりが、この島でおこなわれている。様々な生き物たちは、それぞれに他の生き物と競合しないように、そのすき間すき間に自身の立ち位置や役割を見出して、各々の生存戦略をとっている。

たとえば、ぼくの食べこぼしは小蟻がすぐによってきて掃除していくし、またその蟻をクモが絡めとったりする。と思えば、クモが羽蟻に運ばれていくのを何度もみたし、次には羽蟻がイモリに食べられているのも見かけた。排泄物にはすぐにハエが群がり、食べ終わった魚のガラなどは島ネコが食べにくる。
ある日、タヌキが罠にかかり、そのまま死んでいくのを毎日観察していたことがある。2.3日も経てばやがて死んでしまい、そしてすぐに腹にガスがたまって、顔もムクれて白目を剥く。ハエ、カニ、スズメバチが群がり、目、鼻、口、尻などの穴から入ってどんどんタヌキを食べていく。死後2日もすれば全身を真っ白にウジが覆い、腹はやぶれ少しずつ骨が見えてきた。そして死後5日、全身がきれいな白骨となり、ウジもどこかへ消えてしまった。

あっという間、あっという間だった。ひとつの生命が大地に還って、それをたくさんの生き物が引き継いでいく。タヌキをかわいそうなどどは思えず、むしろ、お疲れ様です、という労いの気持ちがほとんどだった。残された骨も時と共に少しずつ風化して、いつか完全に自然のなかにとけてひとつになっていくんだろう。
たまたま、大きな生命の流れのなかでぼくという個人が存在しているが、その個と個の境界は非常に曖昧なものに思える。ぼくもいつか終わりが来て、そしてすぐに、あの大きな生命の流れのなかにとけていくんだろう。不思議と、今は恐怖はない。

海をみてもそうだ。海は生命のスープとはよく言ったもので、ほんとうに生命のスープという言葉通りの存在だ。
動物の死骸も糞尿も、人間の出すゴミも、すべてを海はのみこんでひとつにしていく。昨今、プラスチックゴミが問題になっているが、それは人間にとって不都合な問題であるだけで、海からしてみればなんでもないことではないだろうか。海底に溜まっている人間の捨てたプラスチックゴミは、はるか遠い未来には地層の中のひとつとして、地球の歴史を語る存在になっているのだろう。(むろん、だからゴミを捨てて良いなどとは全く思っていないが)

正直、人間が地球や他の生き物に対して迷惑をかけている。それは良くない、地球に優しくなろう、みたいな風潮はあまり好きじゃあない。
何様だ、と思う。可哀想だからという理由での野生動物の保護とかも、何様のつもりなんだろうな。地球の管理者にでもなったつもりなんだろうか。まぁ、その傲慢さがひどく人間的に思えて、多少、愛おしくともあるのだが…。
しかし、まるで正義の味方にでもなったかのように、地球や他の生き物を守ろう!と声高に叫んでいる人をみると閉口してしまう。

ぼくらはあくまでも地球に生かされている存在で、管理者なんかじゃあない。第一、ひとつも管理なんかできていないじゃないか。年々増えていく自然災害や異常気象。
ぼくらもこの地球でおこなわれている大きな生命の流れのなかで、ひとつの生き物として生存戦略を練り戦っていかねばならない存在なんだ。それをどう勘違いして、管理者ぶって、地球に優しくなんて言っているんだ。
仮にだ、仮に。ゴミを捨てることは人類が生き残るためには愚策である、故に、リサイクルなど資源を大切にしなければいけない。また絶滅危惧種を保存することは生命の進化の研究につながり、ひいては人類の生き延びるために不可欠なことなんだ。と、そういうふうな姿勢でならば大歓迎だ。
人間がどこまでも自分勝手にその生存をかけて戦う。そのために他の生き物の生命を使う。素晴らしくサッパリとした生命どうしの戦いじゃないか。そうじゃなきゃいけない。それをなんだ、可哀想などと。

第一、可哀想、というのは侮辱の言葉だとぼくは思っている。
必死に生存をかけて戦っているものに対して、外野からひとこと、可哀想と。戦いの苦しみも辛さも喜びも尊厳もそれをひとつも知らない外野の、ひどく上から見下した環境でなければ、可哀想なんて言葉は出てこない。
もし圧倒的な力量の差のもとで羽交い締めにされ、無抵抗によってたかってなぶり殺しにしているのであれば、不憫だ、なんて可哀想なことをするのだとぼくも思うだろう。
しかし、あくまでもお互いに戦って戦って傷ついて死んでいくものに対しては、可哀想などという気持ちはひとつも起きない。むしろその姿に誇りと尊厳すら感じる。
そういうもんだと思ってる。人間もいつまでも驕っていないでひとつの生き物として、その生存戦略を本気で考えていかなければいけない。じゃなきゃあ、あの大きな生命の流れにすぐに飲み込まれてとけてひとつになっていく日も近いんだろうな。

そんなことをセミや鈴虫の声を聞きながら、うっとうしい蚊に苛立ちながら考えている。

ーーー

以上の3つが、ぼくが無人島へきた理由だ。

…島に来る前に多くの人から言われた。
「どうしてそんななんの意味もなくて誰の役にも立たないことを、仕事を辞め、他人に迷惑をかけてまでやるのか」と。
ほとんどの場合は苦笑いではぐらかしていたが、いま改めて思うのは、「だからこそ」無人島へきたのかなってこと。
なんの金にもならない、誰の役にも立たない、そんなこときっと誰もやらない。だからこそ、やりたかったんだろうな、ぼくは。

これから、ぼくは人間の社会のなかでどんな貢献ができるだろうか、価値を提供できるだろうか、考えていかねばならない。と先に述べたが、ひとつの仮定として試してみる価値はあるかもしれないな。
なんの金にもならん、誰の役にも立たん、誰もやらないようなこと。やれないようなこと。それをあえて全力でやっていくことで、その先に新しい世界が広がっているかもしれない。まだ誰も見たことのない景色が広がっているかもしれない。

一見して価値のある、金になる、人の役に立つことは、黙っていたって誰かがやってくれるだろう。であれば、それをやるのはぼくの役割ではない。
一見して、あるいは全く、価値のないような、金にもならないような、人の見向きもしないようなこと。それをやっていく人間も世の中には少しは必要なんじゃないだろうか。
そうやってムダなことを続けていった先に、それがいつの間にか社会にとっては価値のあることになっていたりもするんじゃないだろうか。

確信はない。確信はないが、試す価値はあるなと思っている。
だからこそ、どれだけ他人に意味がないと言われながらも、こうやって無人島にまでやってきたわけだ。
これからもしばらくはそうやって生きてみようと思っている。生活も金銭的には豊かではないだろうし、他人からも良い目はされないだろうな。なにより自分が社会の役に立っているという貢献感を持てないってのは辛いだろうな。でもやっぱり試してみたいから、そうするつもりだ。自分が潰れてしまわないように気をつけながらね。

まぁまずは無人島での100日だ。
この100日間がぼくに何をもたらしてくれるのか。
価値はあってもなくてもいい。いますぐには求めない。とりあえずは生きて帰ろう。
これがぼくが無人島へきた理由。そしてその生活も中盤に差し掛かったいまの所感だ。

i hope our life is worth living.

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