見出し画像

文学とともに生きること

 最近、2ヶ月限定の派遣のお仕事が、8月に終わってしまってから、またハローワークで求職しながら、時間のあるときは、地元のドトールで詩集を読みながら、詩を書いたり、Xに詩を上げたり、Facebookに日記を書いたりして半日を過ごしている。急に秋になってきて、涼しくなったせいか、食欲が湧いてきたり、また、読書欲も出てきた。今は求職中だし、お金もあまり遣えないので我慢だが、本は欲しくなる。面白そうだったのが、台湾の文学とか、詩人の野村喜和夫先生の詩集や詩論集、アルチュール・ランボー詩集とか、欲しくなったりしました。
 本を数冊買うことは、全然お金の無駄遣いではないと、小さい頃から思っていた。心の栄養になって心豊かになるのだから。寧ろ必要なことだと思う。特に、私たちのような詩を書いていたり、エッセイや、私は今は書いていないが小説を書いている人たちにとっては。美味しい料理は、食べなくては作れないのと同じだと思う。
 今は、とりわけスマートフォンで文学や、新聞、ネットで調べる時代だが、私は文章力や表現力、国語力を身につけるには、やはりどんなに時代を経ても、活字の本の読書は必要だと思う。
 しかし、今の若者もそうじゃない人たちも、文章を書くことにあまり喜びを感じる人が少ないようで、私自身は寂しく思う。
 しかし、私はこの前、私が所属している同人誌の会合に、四谷まで行った。まだ暑い真夏だった。そこで会った、二人の入会したての若い詩人の男女がいたのだが、ふたりとも、詩への情熱にあふれていて、とても表現が豊かで、才能にあふれていた。私は微笑ましかった。
 文学が好きな人たちは生き生きしている、と思う。文学の世界は、答えは一つではなく、無数にあり、その答えたちのなかにまた、たくさんの答えが隠されていて、それを探し求めていくことが「文学の旅」だし、その答えを一つ一つ見つけていきながら、それを自分の言葉で表現したり、論じていくことが何よりの楽しみなのだ。23年前に、社会人の仲間入りをして、働きながら詩を書き続けて、今や、エッセイや、フランスのダダ・シュルレアリストの詩人たちの詩人論を所属している同人誌で書かせて頂いて、私は今はとても幸せだ。
 私は今までの半生は、お世辞にも安定した恵まれた半生ではなかったけれど、私には、詩や、詩人論やエッセイがあって良かったと、心底思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?