会いたかったよ大好物
つまずきながら、旅に出た。
朝8時、まだ空気が寝ぼけている。
前日の大雨の湿り気と、早朝の日差しが溶け合って、イギリスの風景画のような雰囲気を醸し出す。
煉瓦の建物は美術館だが、開館前なのでひっそりとしている。
誰もが知っている超有名な観光地なのに、ネコと、お散歩おじさんがのびのびしている、夏の朝。
ちいさな動物園もあった。
くつろぐヤギが園外から見えたので、スマホのカメラの倍率をあげる。
日差しがきつくなってきて、画面があまり見えない。
勘で撮った結果がこれだ。
近眼のひとが「道ばたに落ちている袋」と「ネコ」を見間違えるという話を聞いて、またまたそんな、と思っていた。
わたしは「なにかを覆う布」と「ヤギ」を見間違えた。
いや、ヤギは実際にいるのだが、その手前の白いなにかを写真におさめてしまった。
海を越えて、湖水地方にでも来たかと錯覚したりしなかったりしたが、ここは国宝、そして世界文化遺産登録30周年を迎えた《姫路城》。
駅前からまっすぐ伸びる道の先に、その神々しい姿が見えていた。
近づいて見ると、洗剤のうたい文句にも引けをとらない、驚きの白さ。
しばらく散策していたら、開城の時間になった。
天守閣へ続く入り口で、係員の方がおいでおいでと手招きしていたが、軽く会釈して通り過ぎる。
「なんやねん」と思われたかもしれない。
登らない。
以前、夏に松江城に登ったとき「城は冬」「天守閣は涼しくなってから」「高温多湿を避けて城」と肝に銘じたから、今は登らない。見るだけ。
外国人観光客が続々と押し寄せる城を背に、新快速で三宮へ。
とあるCDジャケットを彷彿とさせる、あざやかな黄色いドア。
こちらの記事で紹介されていて、関西に行ったら絶対に行こうと決めていたパン屋《ル・クロワッサン・ド・バカンス》である。
店内には、クロワッサンをベースにしたパンがずらりと並ぶ。
関東へ持って帰るため、お店の看板商品でもあるクロワッサンや、くずれにくいクイニーアマンを購入。
定番おみやげもいいのだが、こういう、まだ広く世に知られていない地元で人気のなにかを得られると、旅の満足感が増す。
そして、この建物の上階に、こちらのパンがいただけるカフェレストランがあると知った。
一度パン屋を出て建物の横にまわりこみ、従業員口のようなところから狭い階段を昇る。
建物自体はそれなりに年季の入った雑居ビルで、昭和にタイムスリップしたかのよう。
昼でもほの暗く、階段に響く足音が、むかし住んでいた団地を思い出す。
なんと、わたしが訪れる2か月前にオープンしたばかりだという。
まだまだひみつのお店だ。
古い建物のよさを残しつつ、リノベーションされた店内には、デザイン系の書籍やフォトブックが並ぶ。窓が大きくて明るい。
常に口角をあげてきびきびと働く店員さんは、エプロンの胸元からMOMAのロゴが入ったTシャツをのぞかせていた。
運よく、1日限定30食というランチセットにありつけた。
絵画のようだ。うつくしい以外の何物でもない。
お皿のやわらかいブルーと、ラタトゥイユの入った赤い器が、食材の彩りを際立たせる。
盛りだくさんだが、ラタトゥイユやキャロットラペ、ズッキーニのソテー、マッシュポテト、さつまいものポタージュ、と野菜多めで、罪悪感などみじんもない。
生ハムの下に隠れていたのは、みずみずしい梨だった。生ハムメロンより、こちらの方があっさりとしていて好みだ。
そして、1階のル・クロワッサン・ド・バカンスのパン。絶妙な加減でトーストされていて、カリッカリのサックサクである。
そのカリサクぶり、ひとくち噛んだら一発で居場所がバレるレベル。
思えば、前日からご当地グルメを食べてばかりである。
はじめましての播磨にくてん焼きと、姫路玉子焼きのセット。
農林水産省の「うちの郷土料理」でも紹介されているにくてんは、見た目はお好み焼きなのだが、中には牛すじ肉とじゃがいも、キャベツ、天かすが入っている。
じゃがいもがごろごろしていて食感に変化があるし、牛すじ肉が甘めで、箸が止まらない味。
そして、玉子焼き(明石焼き)。
神戸に転勤したとき、会社のひとに明石の海沿いにあるお店に連れて行ってもらった。
そこではじめて明石焼きというものを食べて、その味と食感にとりつかれた。同期が「わたしもうお腹いっぱいやわ」と残した分までたいらげたくらい。
母方の祖母は、生まれが明石だった。きっと、代々DNAに出汁が染み込んでいるのだ。
しばらくご無沙汰だったので、たとえフードコートのそれであろうと、感動の再会。
このやさしい色合い、やわらかさ、ふわふわ卵の素朴な味、出汁のうまみ、タコの弾力、3個では足りない。
宿泊したホテルの朝食バイキングにも、なんと明石焼きが並んでいた。
朝から明石焼き食べ放題である。姫路名物アーモンドトーストと、淡路島のたまねぎの天ぷらも添えて、ご当地グルメ祭り。
おなかはじゅうぶんに満たされた旅だったが、ちょっと口惜しい。
というのも、今回姫路に向かったいちばんの目的は、これだったのである。
当日、新神戸に着くか着かないか、の車中でこの知らせが入り、流行病め…人間国宝の喉になんてことを…と青ざめた。
ご本人が「自分がツアー中だから、人混みや行きたいライブを控えている」と語られていたため、なおさらである。
すりむいたような寂しさはあったが、休みもホテルもとったし、久々の関西なので、兵庫県グルメ満喫ツアーに切り替えた次第だ。
しっかり休んで、またその歌声であかりを灯していただきたい。
振替公演がいつになるのか、そもそも行けるか分からないが、兵庫県にはふたたび足を運ぶべき理由がある。
播磨にくてん焼きをを食べたフードコートに、姫路おでんがあった。加古川のかつめしも。
どちらもまだ食べたことがない。
神戸のマザームーンカフェも久々に行ってみたいし、ボックサンのケーキも食べたいし、姫路のあずきミュージアムのあずきソフトも気になる。
そして、もちろん例のステーションスタンプも押しまくってきたのだが、なんと、三ノ宮で押し忘れていた。
数時間はいたのに。
大好物に会いに、わたしはきっとまた旅に出る。
願いを込めて、本記事の写真のキャプションはすべてスピッツの楽曲の歌詞を引用した。
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