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何の為に書くのか?なんてことを私はずっと書いてきたけれど。。。

何の為に書くのか?なんてことを私はずっと書いてきたけれど。。。
きっと書きたいから書くのだろう。

私の場合はだが、書くとなったら、一気に書き上げてしまう。
まるで、自動書記のようにだ。
それが一番、自分の今、この瞬間の感情を、そのままに言葉にすることができるような気がするからだ。

多分、その方が気持ち良いのもあるのかもしれない。
心の発動であって、発露であって、発見にもつながる。
書くという行為って、なんと魅力的なことだろう。

どんな自分であっても、生きてる感覚を堪能させてくれる。
なんて、素晴らしい、なんて、贅沢、なんて、尊い。

書くことによって、自分が自分の中だけでは赤裸々になっていく。
自分が自分に見せるだけの姿を、噛みしめながら、読んで下さる方に届ける形として、言葉が変容していく様を見届けるのは、とても楽しい行為であり、これ以上ない、創造的行為として私には感じられる。

書いたからといって、私の生活が、人生が大きく変わるわけではないのだろうが、変わることを大事にしているというよりも、感じることに魅せられているのではなかろうか?と思うのだ。

やはり、私は感じることが好きなのだ。
以前にも書いたが、私の中で、音楽と文章を書くことは同義に近いのだ。
音を感じる、言葉を感じる、目を閉じれば、それはいつの間にか私の中で融合していく。

音楽を聴けば言葉を感じ、文章を書けば音楽が聴こえてくる。
まるで、森の中で聴く演奏会のようだったり、森の中で寝転がりながら読む詩集のようだったりに、私には感じられるのだ。

そう、結局のところ、書くという行為は、めちゃくちゃ贅沢で尊い現実逃避といえるのではなかろうか?
これは完全に私の感覚なので、そんなことないよと思う方もいらっしゃると思いますが、ご容赦下さいね。

正直言って、今の私の現状は、決して楽と言えるものではない。
私は難病闘病中、父は延命治療中の身で明日をも知れぬ状態、母も要支援、主人も突然の複数の病発覚、そのままに受け止めていたら、到底、生き切れない。

だからこそ、私は現実逃避をしに行く、書くという世界に、書くという行為を堪能できるnoteという名の森で、これからも演奏会を聴いたり、詩集を読むように、言葉を感じ続けながら書き続けていきたい。



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