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私の中で、音楽と文章を書くことは同義に近い

先日、言いたいことはあったのですが、敢えて抽象的に書いてみました。
なぜなら、その方が、自分の気持ちを素直に書けると思ったからです。
その効果はあった感じで、あの時の記事は、かなり気持ち良く書けました。(笑)

今回は、抽象的を通り越して、もはや、完全、意味不明でもいいから、敢えて、不完全(まとまりのない、心の吐き出し)を目指して書いてみたいと思います。
より、自分自身の感覚を知りたい、より、自分の解放を目指したいからです。
だから、評判は気にせずに、自分が気持ち良く書けたかに重点を置いてみたいと思います。
気にしぃの私の挑戦のようですね。(苦笑)


私の中で、音楽と文章を書くことは同義に近い。
音楽とは、音を楽しむことだ。
文章を書くことは、言葉の旋律を感じることだ。
私の中で、二つは、ほぼ、同義である。

音楽は私の心を癒す。
音楽は私の心に足跡を残す。
ステップを踏みながら、時に心のドアを叩いてきたりする。
私は呆気に取られる。
誰なの?私の心のドアをノックするのは。
誰なの?って、それは他の誰でもない、もう一人の私だ。

もう一人の私が一体、何をしに来たのだろう?
音楽の力を使って、何を私に伝えに来たというのだろう?
ドアを開けた。
もう一人の私がいる。
何の用?と声をかける。
何の用もないと、もう一人の私が答える。
意味のない会話だ。

もう一人の私は、いきなりアカペラで歌い出す。
歌に耳を澄ますと、「感じるのだ」との歌詞が聴こえてきた。
感じる?何を?私の頭は余計に意味がわからなくなる。
そんな時、自分の頭の中に、「感じるのだ」との言葉が聞こえてくる。
頭で何かを感じた私は、パソコンに向かう。(筆を取ると書きたい😆)

思いのままに、ピアノを弾くように、音楽を楽しむように、言葉の旋律を感じながら、ひたすらキーボードを打ち続けていく。
この時の高揚感、私は、自分の見たい、感じたい世界へと駆け上がっていく。

ふと隣を見る。
パソコンで連弾をしている人がいる。
誰?誰なの?
手元を見ると、私と同じだ。
思いのままに、ピアノを弾くように、音楽を楽しむように、言葉の旋律を感じながら、ひたすらキーボードを打っている。

隣にいるのに、私の存在に気が付いてないの?
なのに、なんでこんなに気持ちがいいのだろう。
そっか、連弾しているからだ。
そこに、無言のハーモニーが広がっている。
無言でいいんだ、だって、感じているから、感じ合っているから。

それにしても、この連弾の相手は、誰だったんだろう?
もう二人目の私?それとも。。。

ハッと我に返る。
落ち着きが戻ってきている。
高揚感の余韻だけが残っている。
よく見ると、キーボードに置かれた私の指が、小刻みに震えていた。











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