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蜘蛛の糸

芥川龍之介『蜘蛛の糸』

神様が、地獄にいる罪人を救おうと、地獄に極楽の蜘蛛の糸を垂らすが、その罪人が無慈悲な言動をしたために、救えなかったという話。

不思議な点が、いくつかある。

まず、蜘蛛の糸を垂らそうとした経緯である。
焦点を当てられている罪人である犍陀多は、人殺しや放火など数々の悪事を働いてきた。だが、ひとつだけいいこともしている。

それは、歩いているときに蜘蛛を見つけたが、こいつにも命があると考えて踏みつけなかったという行動である。

どう考えても、悪事といいことのバランスが釣り合っていないと思う。

一方で、人を殺していて、他方で蜘蛛を「救っている」。

それだけでいいのかと不思議である。

2つ目は、救おうとしたが、一つの言動で蜘蛛の糸が切れるところである。

犍陀多は、垂れてきた蜘蛛の糸を上り、地獄を抜け出そうとしたが、下を見ると他の罪人も続々上ってきていた。

このままでは、糸が切れると思った犍陀多は、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と言い放った。その瞬間、切れたという次第。

これだけで、救われないのかと思う。

ただ、言動だけで蜘蛛の糸が切れたということは、神様は、犍陀多により高度な人間性を求めるようになったとも捉えられる。

神様がまず評価したのは、蜘蛛を踏まなかったという具体的な行動だが、今回批判的に評価したのは、他の罪人への言動である。

具体的に何かをしたわけではないが、言動の背景にある思考を戒めた。
その点で、犍陀多への期待が大きくなったと読み取ることもできる。

これは、時間の経過からも分かる。

物語の初めには、極楽は朝ごろと書いていて、最後には昼近くと書いているので、かなり長い時間犍陀多の奮闘を、神様はご覧になっていたと読める。

極楽と地獄の時間の流れ方に違いがあるかもしれないが、それでも期待して見守っていたと捉えられる。

不思議な点はいくつかあるが、おもしろい話である。


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