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みんなちがって、どうでもいい


2023年10月21日(土)朝の6:00になりました。

私が両手をひろげても、文章はちっとも書けないが。

どうも、高倉大希です。




中学生のころは、サッカー部に所属していました。

ディフェンスだったので、ゴールを決めるような機会は滅多にありません。


ところが、とある試合で大チャンスがやってきます。

フォワードが上がりきったところに、大きなスペースが空いていたのです。


ディフェンスの少年はすかさずそこに走り込み、味方からパスを受けました。

あのときのゴールは、いまでも思い出せるくらい本当に見事なものでした。


もしかしたらただ戦法を…行動を変えるだけじゃ俺が欲しい強さは見つからないのか…?だったら変えるべきは行動の前に思考だ…。「今までの自分」に囚われるな。変わるってのは「今までの自分」を壊すコトからしか始まらない。

金城 宗幸、ノ村 優介(2020)「ブルーロック 7巻」講談社


ひさしぶりのゴールに喜んでいると、監督からこんなことを言われました。

「ゴールを決めたんだから、もっと喜べよ!」


その瞬間に、強烈な違和感を抱きました。

自分の中では、めちゃくちゃ喜んでいるつもりだったからです。


たしかに人と比べると、リアクションは小さい方なのかもしれません。

それでも、喜んでいることにはちがいながったのです。


同調圧力を強く感じながら育ってきた日本の子どもたちにこれを教えると、他人を否定してはいけないと習うので、誰がどんな意見を言っても、「イエス、イエス、イエス」となり、「そうですね、そういうこともありますね」と同調するだけで終わってしまう。自分自身の価値観をもとに考えを表明することさえできません。

平田オリザ(2022)「ともに生きるための演劇」NHK出版


喜ぶ人がみな、ガッツポーズをして飛び跳ねるとは限りません。

表情や動きに出づらい人だって、この世にはたくさんいます。


仮に自分がガッツポーズをして飛び跳ねるなら、相当無理をすることになります。

それにも関わらず、まるで「本当の自分」を隠しているかのように言わるのです。


どうして喜ぶ人がみな、ガッツポーズをして飛び跳ねると思っているのだろう。

どうしてその姿が、その人にとっての「本当の自分」だと思わないのだろう。


「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。

「文人主義」公式サイトより


べつに隠しているわけでも、出し惜しんでいるわけでもありません。

目に見えているその姿が、その人にとっての「本当の自分」です。


唯一無二の解があるわけではありません。

喜ぶときに、ガッツポーズをして飛び跳ねない人だっているのです。


みんなちがって、どうでもいい。

その人にとっての「本当の自分」を、他者が勝手に規定してはなりません。






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