みんなちがって、どうでもいい
2023年10月21日(土)朝の6:00になりました。
私が両手をひろげても、文章はちっとも書けないが。
どうも、高倉大希です。
中学生のころは、サッカー部に所属していました。
ディフェンスだったので、ゴールを決めるような機会は滅多にありません。
ところが、とある試合で大チャンスがやってきます。
フォワードが上がりきったところに、大きなスペースが空いていたのです。
ディフェンスの少年はすかさずそこに走り込み、味方からパスを受けました。
あのときのゴールは、いまでも思い出せるくらい本当に見事なものでした。
ひさしぶりのゴールに喜んでいると、監督からこんなことを言われました。
「ゴールを決めたんだから、もっと喜べよ!」
その瞬間に、強烈な違和感を抱きました。
自分の中では、めちゃくちゃ喜んでいるつもりだったからです。
たしかに人と比べると、リアクションは小さい方なのかもしれません。
それでも、喜んでいることにはちがいながったのです。
喜ぶ人がみな、ガッツポーズをして飛び跳ねるとは限りません。
表情や動きに出づらい人だって、この世にはたくさんいます。
仮に自分がガッツポーズをして飛び跳ねるなら、相当無理をすることになります。
それにも関わらず、まるで「本当の自分」を隠しているかのように言わるのです。
どうして喜ぶ人がみな、ガッツポーズをして飛び跳ねると思っているのだろう。
どうしてその姿が、その人にとっての「本当の自分」だと思わないのだろう。
べつに隠しているわけでも、出し惜しんでいるわけでもありません。
目に見えているその姿が、その人にとっての「本当の自分」です。
唯一無二の解があるわけではありません。
喜ぶときに、ガッツポーズをして飛び跳ねない人だっているのです。
みんなちがって、どうでもいい。
その人にとっての「本当の自分」を、他者が勝手に規定してはなりません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。