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説明なんて少ないに越したことはない


2024年2月27日(火)朝の6:00になりました。

問いをもった部族は生き残ったが、答えをもった部族は滅びた。

どうも、高倉大希です。




ゲームにおける、チュートリアルが苦手です。

丁寧すぎる説明に、嫌気が差してしまいます。


プレイしながら習得するから、そんなに細かく説明しなくても大丈夫だって。

ついつい、そう思ってしまいます。


きっとチュートリアルをつくっている人は、よかれと思って説明しています。

しかしそんな説明が、マイナスに働いてしまうのです。


自分で学び、自分でできるようになったことは、自信が持てますし、疑いません。一方で、自ら体得する体験をともなわず、人から教わっただけのことには、なかなか自信は持てないものです。

玉城真一郎(2019)『「ついやってしまう」体験のつくりかた』ダイヤモンド社


マリオに髭が生えているのは、右を向いているということを明確に示すためです。

そのおかげでプレイヤーは説明されずとも、右に進めばよいのだと考えます。


右に進みなさい。

1-1のステージに、そのような説明は一切ありません。


プレイヤーが自分で考えて、その選択をしているわけです。

そりゃあ、そのコンテンツにのめり込んで当然です。


私たちは未来を技術で埋め尽くし、スーツケースの底の小さな車輪みたいな発明が持つ力を過小評価してしまう。これからの1000年、私たちに発見されるのを待っている小さな技術は山ほどあるはずだ。

ナシーム・ニコラス・タレブ(2017)「反脆弱性 下」ダイヤモンド


どれだけ説明されたところで、自身の発見に勝るものはありません。

言い換えるならば、自身で発見することが変化するための唯一の手段です。


だからこそ、コンテンツメーカーは発見をつくらなければなりません。

必死になって説明するのではなく、相手が発見できるだけの状況をつくるのです。


ここを勘違いしてしまうと、一生懸命になって説明をはじめます。

ロジックさえ通っていれば、相手に伝わるものだと思い込んでしまうのです。


書き手とは、大隊を率いて一度に1人しか通れないような狭いすき間を縦列進行させる司令官のようなものだ。一方、読み手は出口で軍隊を受け取り、その隊列を再び整えていかねばならない。題材がどんなに大きかろうが、またどのように扱われていようが、そのコミュニケーションの方法はこれひとつである。

バーバラ・ミント(1999)「考える技術・書く技術」ダイヤモンド社


正論が、最適解だとは限りません。

筋が通っていれば、伝わるとも限りません。


きっと説明なんて、少ないに越したことはないのだろうなと思います。

説明されればされるほど、聞く側は考える余地を失います。


プレイしながら習得するから、そんなに細かく説明しなくても大丈夫だって。

ついつい、そう思ってしまいます。






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