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歌詞が聴こえるようになる瞬間がある


2023年10月11日(水)朝の6:00になりました。

真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。

どうも、高倉大希です。




中高生のころは、好きなアーティストの新曲を聴くことが唯一の楽しみでした。

ラジオでオンエアされると知れば、何時まででも待つことができました。


iPodを買ってもらってからは、ずっとイヤホンをつけていました。

イヤホンをつけてはいけない場面以外は、ほんとうにずっとつけていました。


いまでも好きなアーティストはたくさんいますが、当時ほど熱心ではありません。

大人になって音楽は、なんとなく聴くものになりました。


それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り。

村上春樹(2004)『ダンス・ダンス・ダンス 上』講談社


本とは違って音楽は、長い時間をかけて何百回も、おなじ曲を聴き返します。

中高生のころに聴いていた曲を、いまでもふつうに再生にします。


あたり前のように、なんとなく、おなじ曲を聴いています。

すると突然、歌詞の一節が妙にはっきりと聴こえてくる瞬間がやってきます。


これまでに、何百回とその曲を聴いたはずなのに。

そこで鳴っている歌詞は、ずっと変わっていないはずなのに。


絵に集中すると、どうしても絵のことを考えてしまうでしょう。できるだけていねいに描こうとか、そういうことも思ってしまう。すると、描いている絵がつまらなくなっちゃうんです。それよりも、なるべく絵から気を散らして、違うことを考えたほうがいい。そうすると手も自由に動く気がするの。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


歌詞の一節が、聴こえる瞬間がやってくる。

この現象は、一度や二度ではありません。


いろんな曲で、ふとしたときに、この瞬間がやってきます。

べつに、歌詞カードをじっくり読みながら聴いていたわけではありません。


いったん作業の手を止めて、音楽に集中していたわけでもありません。

ほんとうに、なんとなくぼんやりと聴いているときに、突然聴こえてくるのです。


雨のように降り注ぐ情報 俺の五感で濾過 言葉は清流
小川となり 海原へ流れ込み 君の暮らす対岸を目指す

呂布カルマ「ヤングたかじん」のリリックより


つい最近でいうと、呂布カルマさんこの一節に面食らいました。

なんども聴いていたはずなのに、これまでは聴こえていなかった一節です。


真の発見の旅とは、新しい曲を探すことではない。

新しい耳で聴くことなのだ。






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