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会話に間が空いてもよいじゃないか


2023年10月19日(木)朝の6:00になりました。

よいじゃないか、えいじゃないか、えいじゃあなかと。

どうも、高倉大希です。




会話に間が空くと気まずい。

間を埋めるために、なんとか話をつづけなければならない。


こんな言葉を、よく耳にします。

気持ちは、わからなくもありません。


つぎにどちらが話すのかという探り合いには、なんとも言えないものがあります。

思わず同時に喋り出し、あわあわとすることも多々あります。


私はよく先生方には「声の小さい子がいたら、無理に大きな声を出させる必要はないですよ」と言います。声の小さい子は「声の小さい子」という役をやらせれば一番うまいからです。

平田オリザ(2022)「ともに生きるための演劇」NHK出版


気まずいとう気持ちはわかる一方で、間が空いてもよいじゃないかとも思います。

話すことがなければ、話さなければよいだけです。


そもそも、間が空くことをどうして気まずいと思うのでしょうか。

理由を考えてみましたが、どうにも納得解がみつかりません。


会話に間が空くことは気まずい。

そんな思い込みによって、自ら気まずくなっているのではないかとすら思います。


そもそも、コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容れるための技法である。

ドミニク・チェン(2022)「未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために」新潮社


いっしょにいるのに、ほとんど話さない。

親密になればなるほど、このような場面が増えていきます。


話していないにも関わらず、べつに気まずくはありません。

むしろなにも気にすることなく、お互いが好きなことをしています。


話したければ話せばよいし、話したくなければ話さなければよい。

ただ、それだけのことなのです。


コミュニケイションの得意な人は、常に「元気で明るい人」ではありません。常に「元気で明るい」状態は人間として不自然です。常に「元気で明るい」という呪縛が「コミュニケイションが苦手だ」という意識を持つ人を大量に作っていると、僕は思っています。

鴻上尚史(2013)「コミュニケイションのレッスン」大和書房


決して、人と話すことそのものを否定しているわけではありません。

間を埋めることを目的とした発言に、どこまでの価値があるのかという話です。


ジョン・ケージは、音のない「4分33秒」という曲をつくりました。

演奏者たちは楽器を持ったまま、4分33秒間、一切の音を鳴らしません。


会話に間が空いたって、べつによいではありませんか。

一生懸命気まずくなるほど、大した問題ではありません。






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