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小鬼と駆ける者 −その10−終話


 長たちが到着した時には、若者たちの大半が腰を抜かすか、意気消沈して座り込んでいた。

 もちろん後から来た長たちには、全ての事情を掌握できるはずもなかった。しかし、それは若者たちも似たようなものだった。生まれて初めて目の当たりにした魔法の奇蹟とその影響、正に常識では理解できないその体験に、ただ放心するばかりだったのだ。

 それでも、この異常な出来事の全ての要因に、そこに座り込む手負いのストライダが関わっているということだけは、誰しもが容易に理解できた。

 とりあえず大人たちは速やかに若者たちのもとに駆け寄り、叱責し、あるいは介抱した。怪我人もいるが、結局は皆が無事だと分かると、大人たちは心から安堵するのだった。

 そうして、洞窟の側で倒れているブウムウを見つけ、彼が大怪我をしていることを確認すると、長たちはその場で出来うる限りの処置に努めるのだった。

「ソレル殿、これはいったい!?」

 そうして長は遠巻きにストライダに向き合った。しかし彼は以前とはまるで印象が違っていた。近づくこともためらうほどに狂気じみた凄みを感じた。よく見ると灰色のマントの中に、隠されるようにしてブウルが座り込んでいる。

「ブゥ…無事か!?」

 子どもは眠っているようだった。怪我をしている様子も見当たらなかった。それでも長は、底知れぬ不安を拭うことが出来ずにいた。

 ストライダは今だ沈黙を守っていた。だが、長が半歩ほど前に出ただけで、不可解にも、激しい警戒の眼差しを向けた。

 それはまるで手負いの獣だった。敵も味方も善悪すら関係なく、近づく者は誰でも噛みついてしまう、そんな気迫と激しい怒りのようなものを感じられた。

 若者たちの無事がわかると、他の村人たちもストライダに注目しはじめた。皆、子どもを心配する気持ちもあったが、やはり近寄れる者はいなかった。

 ストライダは動かない。いつまでもそうしているわけでもあるまい。「ともあれ、ブウムウの怪我の具合は?」長はブウムウの様子を見ている男たちに訊く。

「たぶん、急所は外れてる。傷もそれほど深くはないようだ」少々だが怪我や病気の知識のある者がそう答える。

 それを聞くと、ストライダはようやく反応する。

 「コルカナに癒し手がいる。すぐに診てもらったほうがいい。」

 静かにそう言う。そして、眠るブウルを抱きかかえ、立ち上がる。

 両腕は焼きただれ、肩口から血を流している。立っているのがやっとの様子でもあるが、それでも人々が気圧される何かを感じた。

 皆、彼の様子を固唾を吞んでで見つめる。

 そうしてストライダは若者たちの集団を睨めつけ、それから長と向き合うと、今までに聞いたことのないほどの大声を出す。

 「古の盟約により!」

 村人たちはびくりとなる。

 ブウムウがいつのまにかに目を覚ましている。彼は周りの手を借りて、なんとか立ち上がる。ストライダの動向を見届けようと、荒い呼吸で意識を保ち続ける。

「ゴブリン退治の報酬として、この子どもをもらい受ける!」

 ストライダが叫ぶ。それからもう一度辺りを見渡す。誰も異論を挟む者はいない。

 長はブウムウのほうを見る。ブウムウはストライダをじっと見ている。

 そして、ストライダも、じっと彼を見つめている。

 誰も分からない。知る由もない。お互いが何をしてきて、何を感じてきたのかを知らない。彼らの表情からは一切、読み解くこともできない。お互いに無表情のまま、ただ見つめ合っている。

 それでも、二人の間には底知れぬ悲しみと、何かしらの、和解のような空気感が漂っているようにも、長には感じ取れる。

 それから、ブウムウが震えながら右手を挙げる。

 そして、ストライダの腕の中で眠る息子を、慈愛に満ちた瞳で見つめる。

 それを確認すると、ストライダはゆっくりと歩き出す。若者の人垣を正面から割り、長の目の前を通り過ぎる。

 誰も何も言わない。誰も何も言えない。


エピローグ


 まずは水のせせらぎに気がついた。それからキタキ鳥の耳慣れたさえずりにまどろんだ。まだ眠っていたかった。心地よい風に葉が揺れ、まだらなった影から陽が差し込むと、ブウルは仕方なく眼を開けた。

 よく晴れた朝だった。陽光の眩しさで景色が白んでいた。川面に反射する光で瞼を開けていられなかった。頭がぼんやりとしていて、気だるさが身体を眠りに誘った。

 何だっけ?

 よく思い出せなかった。何か、大事な事を忘れているのかもしれない。そう思うと、突然、激しい焦燥感にかられた。

 一度そう思うと、身体の中に様々な感情が去来して、渦巻いてきて、とても眠ってなどいられない。怒り、悲しみ、寂しさ。あらゆる感情が理由もわからないままに高速回転し始め、尖り、滑り落ち、のぼせ上がり、そして燃え上がり、燃え上がり、燃え上がる。

「ソレル!」

 ブウルは跳ね飛ばされるように飛び起きる。

 川辺の、小高い丘の木陰で自分が眠っていたことを知る。辺りを見渡し、浅瀬にソレルを見つける。

 彼がこちらにやって来る。怖い夢を見たんだ。ブウルはそう言おうとして、口をつぐむ。

 ソレルはマントの切れ端で左腕を固定している。川の水で小鬼の血を洗い落としたのか、全身濡れてはいるが、それでもまだ固まった小さな青黒い血痕が所々に付着している。

「目が覚めたようだな」ソレルが言う。

 ブウルは全てを思い出す。思い出し。何かを言いたいが言葉が出ない。喉の奥が詰まる。ソレルの両腕がまだらに赤黒くただれている。所々に水ぶくれができている。

「すまなかった」ソレルは静かにそう言う。

 ブウルには、彼の言葉が理解できない。それはぼくが言う言葉だ。はっきりとそう感じる。

「ブウムウは、ブゥブゥよ、お前の父親は、あの様子だったが、命には別状はないだろう」

 そう言われて、はじめて父親のことを思い出す。あまりに多くの事がいっぺんに過ぎ去ったので、大事なことが何なのかが分からなくなっている。

「お前は昨夜、多くの出来事が一度に起き過ぎたのだ」ソレルが自分のおもっていたことと、同じ事を言う。

「そして、お前は、これからはもう、今までの生活には戻れないだろう」彼はすまない、と再び謝る。

 頬から涙が一粒こぼれる。違うんだ。ブウルはそう思う。これは違うんだ。ここで涙を流したら勘違いされてしまう。そう思い必死でこらえるが、意思に反して涙は次々と流れ出てくる。

 仕舞いには、堰を切ったように泣き出してしまう。嗚咽をもらし、ごめんなさい、ごめんなさいと、子どもはソレルにすがりついている。

 ソレルはそれに応えるように、なだめすかすように、そっと手を添える。背中に、後頭部に、その焼けてだたれた手のひらを添える。子どもはその温もりを感じると、次第に落ち着きを取り戻す。

「ぼくは売られるの?」

「ばかな」ソレルは一笑に付す。

「でも、大人たちがストライダは人さらいだって」

「確かに。そういう場合もある」否定はしない。ブウルは少しだけ肩を硬直させる。ソレルは構わずに話を続ける。

「それは、大概の場合、ストライダが子を持たないからだ」時として、才能がある子どもを報酬としてもらい受けることもある。ソレルはそう説明する。

「じゃあ、どうなるの?」

「お前はこれから、学ばなければならない」 

「ぼくはストライダになるの?」ブウルは少し考えてから言う。

「いや、そうじゃない」ソレルが少しだけ悲しそうな顔をする。

「ブゥ・ブゥ。お前はこれから王都を越え北へ進み、船に乗る。そしてハースハートン大陸へ渡り、アムストリスモ魔法学校へ入学するのだ」

 ブウルには途中から話が分からなくなっている。聞いたことがあるのは王都だけで、ハースハートン大陸も魔法学校も、何のことだかまるでわからない。彼は世界の広さというものを、今まで考えたこともない。

「魔法学校」

「そうだ」ソレルは頷く。

「お前ほど魔法の才能のある者が生を受けるのは、百年、いや、千年に一度、あるかないかだ」

 ソレルが無意識に自分の両手を見つめる。そのことに気がつくと、ブウルは再び泣き出しそうになる。

「才能のある子どもがはじめて魔法を扱えるようになる場合、通常はもっと弱くて単純な力を使うものだ」ソレルは説明を続ける。

「実るリンゴを枝からもいだり、小魚にまじないをかけて銛で突き易く泳がせたり。なかには、何百の羊に暗示をかけて、自在に誘導させる子もいるが、その程度だ、」そこでソレルは厳しい目つきをする。

「だが、お前は、激しい怒りの中でそれを発動させた。それがいけない」

 はじめて魔法を覚醒させた子どものが、もし怒りの感情でそれを発動させたとすると、それは『忌み魔法』と呼ばれる。忌み魔法を使った子どもは、よっぽどのことがないと、正しい魔法使いにはなれない。魔法を使いこなせず、逆に魔法に使役され、正しい場面で魔法を使うこともできなくなる。ソレルはそう説明する。

「それは『闇落ち』だとか『魔境』だとか呼ばれている」

 ブウルは唾を飲み込む。

「そうならないために、お前は正しい魔法を身に付けなければならない」世界に異変が起きている。ソレルはそう付け加える。

「お前がその強い力を持ち、現れたことも、何か意味があるのかもしれない。ハースハートン大陸では、お前と同じくらいの歳に、竜の子どもが産まれた。その他にも、各地で強い力を持つ子どもや、考えられない天変地異がおこっている」さらに厳しい声でそう言う。

「お前のような力を持った人間は、それを正しく使わなければならない。それが力に対する義務というものだ」ソレルはじっと子どもを見つめる。ブウルがはじめに抱いた印象。灰色の瞳、山猫のような目つき。

「お前にはもう、選ぶ権利はないのだ」

 急に、水の流れる音が聞こえだした。それから鳥の声や虫の声。ブウルは全神経を集中してソレルの話を聞いていたので、それらの音がまるで聞こえなかったのだ。

 ともあれ彼は、自分の行く末を語るストライダの話が終わると、何だか安心したような気持ちになるのだった。

 彼がソレルの話を全て理解できたかといえば、そうでもなかった。むしろ分からないことばかりであった。

 しかし、子どもはこうも思うのだった。選ぶ権利はないとソレルは言うが、果たして自分が自分の意思で選び取ったことなどあるのだろうか?  今まで、自分の意思で、自分の思い通りに出来たことなどあっただろうか?  けれど、今まではそれで良かったし、自分はそうして村での生活をずっと続けるものだと思いこんでいた。

 それでも。

 ブウルは自分の両手を見つめる。その手を掲げてみる。光に透かされた手のひらが暖かい色になる。栗の葉が風に揺れて、はっきりとした影を描く。

 それでも。ぼくの魔法はぼくが選んだものだ。

 それがもし正しく使えるのなら、正しい使い道を教えてくれるのならば、ぼくはどんなことだってするし、どんな過酷な運命も受け入れよう。ブウルはそう思うのだった。

 少しの時間が空いて、晴れやかな顔つきでこちらを見つめる子どもの顔を認めると、ストライダ・ソレルは彼の頭を撫でる。

「さあ、先はまだ長い。進むとしよう。ブゥブゥ」



−終わり−
ベラゴアルド年代記 −小鬼と駆ける者




 

 



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