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ツヴァイク『人類の星の時間』凡庸な才能が光り輝くとき

シュテファン・ツヴァイク(1881-1942)はウィーン生まれ、ユダヤ系オーストリア人の作家・評論家である。

現在の日本ではほとんど忘れ去られているが、1930年代から40年代にかけて非常に高名で、とくに伝記文学に定評があった。
彼の著作には『マリー・アントワネット』、『ジョゼフ・フーシェ』など優れたものが数多くある。

ツヴァイクは映画監督ウェス・アンダーソンにも大いに影響を与え、2014年の映画『グランド・ブダペスト・ホテル』はツヴァイクの著作に献辞が捧げられ、劇中に登場する「作家」はツヴァイクをモデルとしている。

さて、今回取り上げる『人類の星の時間』はツヴァイク晩年の傑作であり、歴史のターニングポイントとなったエピソードを丹念に描き出すオムニバス作品となっている。

現在みすず書房から出版されているものに収録されているのは12篇。
以下にその内訳を記す。

不滅の中への逃亡
太平洋の発見 1513年9月25日

ビザンチンの都を奪い取る
1453年 5月29日

ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活
1741年8月21日

一と晩だけの天才
ラ・マルセイエーズの作曲 1792年4月25日

ウォーターローの世界的瞬間
1815年6月18日のナポレオン

マリーエンバードの悲歌
カルルスバートからヴァイマルへの途中のゲーテ 1823年9月5日

エルドラード(黄金郷)の発見
J・A・ズーター、カリフォルニア 1848年1月

壮烈な瞬間
ドストイエフスキー、ペテルスブルグ、セメノフ広場 1849年12月22日

太洋をわたった最初のことば
サイラス・W・フィールド 1858年7月28日

神への逃走
1910年末 レオ・トルストイの未完成の戯曲『光闇を照らす』への一つのエピローグ(終曲)

南極探検の闘い
スコット大佐、90緯度 1912年1月16日

封印列車
レーニン 1917年4月9日

15世紀から20世紀まで、最初の二篇を除くと、各エピソードは年代順に収められていることがわかる。

この中で最もよく知られているのは、南極点到達競争でノルウェーのアムンゼンに敗れ、失意のうちに南極で死んだイギリス海軍のスコット大佐のエピソードだろう。
他でも、半数以上は著名な芸術家、文筆家らのことが描かれている。

だが、トルストイ、ドストエフスキー、スコットら天才的才能ゆえ歴史に名を残した人物よりも、ただ歴史的瞬間に居合わせただけの凡人に焦点を当てるべきだろう。

なぜならツヴァイクは本書の序文でこう語っているからだ。

一つの国民の中に常に無数の人間が存在してこそ、その中から一人の天才が現われ出るのであり、常に無数の坦々たる世界歴史の時間が流れ去るからこそ、やがていつかはほんとうに歴史的な、人類の星の時間というべきひとときが現われ出るのである。
芸術の中に一つの天才精神が生きると、その精神は多くの時代を超えて生きつづける。世界歴史にもそのような時間が現われ出ると、その時間が数十年、数百年のための決定をする。そんなばあいには、避雷針の尖端に大気全体の電気が集中するように、多くの事象の、測り知れない充満が、きわめて短い瞬時の中に集積される。

『人類の星の時間』2-3頁

天賦の才を持った卓越した人物が人類の歴史を一変させることもあれば、ある決定的な瞬間には何の変哲もない凡人のもとに、歴史を左右する閃きが到来することもある。

天才のことは、天才に任せておこう。

我々が知りたいのは、凡庸な者が起こす奇跡だ。
どんな瞬間に、そんな奇跡が可能となるのか。

よって、今回は『人類の星の時間』から二つのエピソードを取り上げたい。

この二つのエピソードの主人公の名を、おそらく皆知らないのではないかと思う。筆者は知らなかった。


不滅の中への逃亡 太平洋の発見


「ならず者」たちの新大陸渡航


クリストファー・コロンブスがヨーロッパ世界における「新大陸」の発見者であることは誰もが知っているだろう。
だが、アメリカ大陸を乗り越えて、はじめて太平洋を発見した者の名を知っているだろうか?
これはそんな「忘れられた男」のエピソードである。

――― アメリカ発見からの最初の帰国のときコロンブスは、スペインの街で凱旋の行列をして新世界から持ち帰ってきた数多くの宝物や珍奇なものを見せた。そこにはトマト、トウモロコシなどの色鮮やかな農作物や、オウムや真珠など、ヨーロッパの人びとが見たこともないものが含まれていた。

しかしどんなものよりも王と王妃と、人々とにいちばん感銘を与えたのは二、三の黄金の小箱だった。
黄金が人を惹きつける力は凄まじい。
コロンブスの見せたこの僅かな黄金から、新大陸には黄金郷があるのだという噂が瞬く間に拡がった。

そして富を求めて、次なる新大陸への航海へ向けて、スペイン全土から港へ人々が殺到した。

港へ集まった彼らはまさに「スペインの泥であり滓」であった。
焼印をつけられた罪人たち、「デスペラード」と呼ばれる者ども、社会的な屑の急速な寄り集まりだった。
彼らは「黄金郷」の噂を聞きつけ、どうにもならない人生から抜け出そうと我先にと船着場へなだれ込んだ。
こうして大航海時代にスペインは、やっかいな持て余し者たちと、最も危険なならず者たちを一挙に新大陸へ送り出すことになったのである。

バスコ・ヌニェス・デ・バルボアもそうしたならず者たちの一人だった。

バルボアは一度新大陸へと渡ったが、分配された土地を手放してしまい、さらには放埒な振舞いから破産して借金まみれになりスペインへと戻っていた。

債務を抱えたバルボアのような連中は二度と新大陸への渡航を許可されることはないのだが、それでもこのならず者は船の荷箱の中に隠れて密航を企てた。

彼の生命力は凄まじい。
大西洋の真っただ中で荷箱から姿を現したバルボアは混乱に乗じて船を乗っ取り、ついには王から全権を与えられていた総督を追い出してしまった。

やがて中央アメリカの地で密航者から植民地の支配者にのし上がったバルボアだったが、彼の心は慰まなかった。
なぜなら彼はスペイン王に対して公然たる叛逆を行ったのであり、いずれは裁きを受けて罪に処される運命にあったからだ。

バルボアはなんとか自分に対する裁きを引き延ばし、あわよくば一発逆転を狙おうとする。

そのためには何よりも黄金が必要だった。
黄金はすなわち権力であった。
黄金を見つけ出し、それをスペイン王の国庫へ献上したならば、どんな罰であれ軽減されるはずだ、そうバルボアは考えた。

そんなバルボアに幸運の知らせが舞い込む。

征服した部族の酋長が、新たな大洋の存在を仄めかしたのである。
酋長によれば、高い山の向うには大きな海があり、そこへ流れ込むすべての河には黄金があるという。

まさしくエルドラード、黄金郷の在りかがわかったと、バルボアは勢い込む。
誰もが求め、そして手に入れられなかった黄金郷が、彼のもとにもたらされようとしている。しかも、新たな大洋の発見とともに。

見込みのない人間、叛逆者、そしてやけくその冒険家だった彼にとって、いまや万事が好転するかのように見えた。

1513年9月1日、こうしてヌニェス・デ・バルボアは、断頭台あるいは牢獄から逃れるために不滅の中への前進を始めたのである。

新たな大洋の発見 不滅の瞬間


バルボアは190人の兵を従え、パナマ地峡の横断へと出発した。
しかしこの遠征は、腕に覚えのある冒険家たちにとっても大きな試練だった。今でこそパナマ運河が開削され、地峡は幅わずか64キロメートルしかないことが知られているが、バルボア達にはそんなことは知る由もない。


照りつける陽射しと、赤道直下の酷暑。そして湿った低い沼地の土壌はこの風土に特有の熱病を孕んでいた。
この悪条件に、隊内からは落伍者が続出した。
さらには彼らを警戒する土着民の来襲。この現地の人々の攻撃に、バルボアは容赦のない殺戮行為によって応えた。
バルボアに限らず、ピサロ、コルテスといったこの時期の征服者たちのしでかした残虐行為は凄まじい。キリスト教の博愛主義のかけらは微塵も感じられず、彼らは現地の人々に非道の限りを尽くしたのである。

ともあれ、こうして幾多の困難を乗り越えたバルボア一行はついに目的の地に迫ろうとしていた。
出発のとき190人いた人員はすでに67人にまで数を減らしていた。

長く続いた平原は終わり、そして登り坂になり、地峡を分つ山脈へと一行は辿り着いた。
この嶺の頂上へ上りさえすれば、新たな大洋を見晴らせるに違いなかった。

時刻は午前十時。
その時バルボアは一隊に呼びかけ、彼らをその場に留まらせた。

この瞬間にバルボアは行進の停止を命じた。誰ひとり彼について来てはならない。なぜなら、未知の大洋を初めて見ることを、彼は誰とも共にしたくないからである。ただ彼だけが未来永劫にわたって最初のスペイン人、最初のヨーロッパ人、最初のキリスト教徒として、いまなお知られていない太平洋を見たかったのである―世界の一つの大洋である大西洋を渡りこえて来たのちに。

『人類の星の時間』30-31頁

隊から離れ一人になった彼は左手に国旗を持ち、右手に剣を携えて一歩一歩大地を踏みしめて登った。
そして山頂についたとき、彼の前に素晴らしい眺望が拡がった。
それは限りなく大きな、金属の鏡の平面のような海だった。

バスコ・デ・バルボアは、しばし眼前の光景に見入っていた。
彼は幸福だった。
この海の無限の青さが初めて映ったヨーロッパ人の眼、それはまさしく彼の眼だった。


こうして、バルボアは人類史において不滅の行為を達成した。
1513年9月25日のことだった。


しかし、運命はバルボアに容赦しなかった。

新たにスペイン本国から派遣された総督は、このならず者が多大な功績を成し遂げたことに良い顔をしなかった。
叛逆者としてのバルボアの罪は、赦されることはなかったのである。

ついにバルボアはかつて部下だったフランシスコ・ピサロに捕縛され、反逆罪で訴追されて断頭台に上ることになった。

バスコ・ヌニェス・デ・バルボアは、彼の仲間のうちもっとも忠実な数人の人々とともに、断頭台に向かって進んだ。首斬り人の刀がひらめいた。そしてころがり落ちる首のなかの眼の光は、一瞬にして永久に消えた。その眼は、われわれの地球を抱いている両大洋を同時に初めて見た、人類の最初の眼であったのだが。

『人類の星の時間』44-45頁

ツヴァイクがあえてこの哀れな人間を連作の冒頭に置いたのには次のような意図があったのだろう。
偉大な行為は、偉大な人間によって成されるとは限らない。人を怖気させるような暴虐や、やけっぱちの無謀な行いが、人類にとって偉大な一歩を明け開くことがある。
バルボアの運命を辿ることで、ツヴァイクはわれわれにこう語りかけているように思える。

ではもう一篇、人類史に残る偉業を成し遂げた凡庸な人間を取り上げよう。

一と晩だけの天才 ラ・マルセイエーズの作曲

人知を超えた一夜

アメリカ合衆国国歌と並び、世界で最も有名な国歌であるフランス国歌。
「ラ・マルセイエーズ」は一人の無名の若者の手によって生まれた。


時は1792年。フランス革命戦争前夜のことである。
4月20日、フランス皇帝ルイ16世はついにオーストリア皇帝とプロイセン王に宣戦布告し、運命の時は迫っていた。
すでにフランスとドイツの国境線を形づくるライン川の対岸にはプロイセンの軍隊が迫ってくるのが肉眼でも見えるほどだった。

国境の街ストラスブールでは戦闘を目前にして人々は昂揚し、市内は沸き立っていた。
その中でストラスブール市長フリードリッヒ・ディートリッヒ男爵は宴席の中で、そばにいたルジェという要塞守備隊の若い大尉に声を掛ける。
「愛国心の昂揚のため、明日は敵軍に向かって進軍するライン軍隊のための軍歌を作ってくれまいか」と。
音楽の心得のあったルジェは市長からの光栄な依頼を喜んで引き受けた。

こうして大尉ルジェ・ド・リールが兵営の中のささやかな自室に戻ったときには、時刻はすでに夜半を過ぎていた。しかし全市の昂奮はいまだ醒めやらず、ルジェもまた昂奮のうちにあった。
そして机に向かった彼は考える。ライン軍隊のための一つの行進曲、一つの軍歌。それはどのようなものがよいだろうか?

彼はまだ耳に残っていた心を煽り立てる声明と演説と乾杯のひびきの中から、次のように歌を始めることを思いついた。

Allons enfants de la Patrie,
Le jour de gloire est arrivé !

さあ行こう、祖国の子らよ
光栄の時は今や来た!

ルジェはヴァイオリンを戸棚から取り出し、それを弾いて旋律を試してみた。すると不思議にもいきなり最初から音楽が詩句にぴったりと調和した。
そしてすらすらと、溢れるように詩句と音律とが湧き出してきたのである。

彼はその晩、作曲する必要もなかった。なぜなら、閉めてある窓を通して路上の、その時のリズムが彼の内に入り込んできたからである。

その一と晩じゅうルジェ大尉は、不滅の芸術家たちの兄弟であるという幸福をめぐまれた。
書き出しは路上や新聞から聴き取った借り物の文句だったのに、その中から創造性のあることばが形をなしてきて、一連の詩句にまで高まった。
これはその詩的表現において不滅であり、旋律として不死のものであった。

Amour sacré de la Patrie,
Conduis, soutiens nos bras vengeurs
Liberté, Liberté chérie,
Combats avec tes défenseurs !

祖国への聖なる愛よ、
みちびき支えよ、懲らしめるわれらの腕を!
自由よ、自由よ、最愛のおんみよ、
たたかえ、おんみの護りてらとともに!

ツヴァイクは語る。
あらゆる諸国民の歴史の中で一つの歌の詩句と作曲とが同時にこんなに急速に、こんなに完全に作られた実例はほとんどないだろう、と。

夜が明け、ルジェは市長に軍歌が完成したことを報告し、この『ライン軍のための軍歌』をさっそく市長の客間のなかで披露した。すると、居合わせていた人々からはささやかな賞賛を得た。

この評判に気を良くしたルジェは、カフェで自分の同僚たちに歌って聞かせ筆写させ、その写しをラインの将軍たちに送った。
そしてストラスブールの軍楽隊はこの『ライン軍のための軍歌』を練習しておぼえ、四日後には部隊の出発に際して、大広場でこの新しい行進曲を演奏した。

ルジェはこの光景に見入り、自分の得た小さな栄光に浸っていた。

だがルジェは、彼が作った歌のほんとうの価値をまだ理解していなかった。

この歌も、ともすればただ一日の成功にすぎず、ひとつの地方の出来事として忘れ去られるかもしれなかった。

しかし一つの作品に宿っている本来の力は、結局いつかは必ず現れ出るものである。永続的な生命は、仮初めの物に打ち勝ってその力を発揮する。

全国民の歌『ラ・マルセイエーズ』


ルジェの生み出した「武器を取れ、市民らよ」の勇躍させ促進させる強いリズムへ人々を昂揚させる歌は、同時に多数の人々へ呼びかけるものであり、剣の音、嚠喨たる喇叭のひびき、進軍する数々の軍隊が必要だった。

共に行動し共にたたかう人々のためのもの、そして無数の人々が一斉に歌うための歌、勝利の歌、死を葬う歌、ふるさとの歌、全国民のための国歌だった。
フランスとドイツの国境沿いで生み出された『ライン軍のための軍歌』は、遠くフランスの南端、マルセイユで新たな生を享けた。

ルジェ大尉の作曲から二ヶ月が経った6月22日、マルセイユでも志願兵の若者500人を見送る歓送会が開かれていた。
この宴会中にある一人の兵が、右手を振り上げ、その場にいた誰も知らない歌をうたい出した。
その瞬間、火花が火薬庫の中に落ち込んだかのように引火した。
無限の両極である感情と感情とが相い触れた。
明日は出征して自由のために闘い、そして祖国のために死ぬ覚悟をしているこれらの若者たちのすべてが、この歌の歌詞の中に、彼ら自身のもっとも深い意志と、彼ら自身の根本的な考えとが言い現わされていると感じた。

まもなくこの頌歌は、『ラ・マルセイエーズ』と名付けられた。

マルセイユの軍隊は『ラ・マルセイエーズ』を歌いつつ、勇躍するリズムの中でフランスを進軍し、パリへと入っていった。
市中の誰もが、この歌の持つ力に感動し、熱心に聴き入った。

「革命」がそれ自身の声を見つけ、「革命」がそれ自身の歌を見出したのだった。

今やこの歌は雪崩の勢いで行きわたり、その勝利の進行は押しとどめるべくもなかった。
パリじゅうの宴席で、劇場で、クラブで、また聖堂の中でさえ歌われた。
わずか一と月、二た月のあいだに『ラ・マルセイエーズ』は全国民の歌となり、全軍隊の歌になったのである。

しかし、当のルジェ大尉は戦場の最中にいて、自身の作ったこの歌の成功を知らなかった。そして『ラ・マルセイエーズ』と称されている歌が、よもや自分が作ったものだとは思いもしなかった。

ルジェの身も安泰ではなかった。
翌年には皇帝ルイ16世もギロチンにかけられ、断頭台の露と消えた。
よく知られているように、専制君主への打倒と自由への叫びによって始まったフランス革命は、一方では際限のない暴力と粛清の闇の中へとフランスを落ち込ませることになる。

目まぐるしく主導者は入れ代わり、失脚した者は容赦なく断頭台へと送られた。
この状況の中、ルジェはすんでのところでギロチンからは逃れた。

しかしそれからのルジェは不遇をかこつ人生を生きた。
軍服は脱ぎ捨てなければならなくなり、恩給はもらえず、書いた詩とオペラと文章とは印刷されず、上演も演奏もされなかった。
不渡手形のため追い回されて田舎に引っ込み、世間の眼から隠れ忘れられた。

そして76歳のルジェが1836年に死んだとき、誰一人として彼の名を言う者もなく、知っている者もいなかった。
だが、彼の創った『ラ・マルセイエーズ』は力を持ち続けていた。

そして長い時間が経ち、第一次世界大戦が来て、この歌がふたたびフランスのすべての戦線で力をもって鳴り響いていたころ、ようやく存在を思い出されたルジェ大尉の遺骨はナポレオンと同じくアンヴァリッドの廟の中に納められることになった。

それで結局、不滅の歌を一つだけ作ったあのきわめて無名の詩人は、たった一と晩だけ天才詩人であったこと以外の何ものでもなかったという幻滅の中から救い出されて、彼の祖国の名誉ある霊廟の中に眠っているのである。

おわりに


今回『人類の星の時間』を扱って、久々に学生時代のレジュメ作成のような苦労を味わった。
ツヴァイクの文体は格調高く、おいそれとパラフレーズできるものではなかった。
長くなってしまったが、この記事が読むに耐えるものになっていることを願う。

ところでツヴァイクのほかの代表作品として紹介したいものに、『ジョゼフ・フーシェ』がある。
筆者はこの作品によってツヴァイクを知った。

フーシェに興味をもったのは、司馬遼太郎『翔ぶが如く』の登場人物、川路利良からである。

川路利良は明治以来の日本の警察機構の設立者である。彼が警察を作り上げるにあたって参考としたのが、ジョゼフ・フーシェだった。

フーシェは世渡りに長けた人物で、目まぐるしく権力者が入れ替わるフランス革命期の混乱の中も、巧みにすり抜けて生き延びた。
それは偏に彼の情報収集能力によるものだ。
フーシェは秘密警察を使って国家のあらゆるものを監視させ、ナポレオンをも恐れさせる力を得ていた。

いずれにせよフーシェは毀誉褒貶の激しいフランス革命期を生延びた、いわば生き字引であり、歴史を物語として捉えるなら、この上ない狂言回しであった。

フランス革命期の状況は非常に入り組んでいて、未だ細かな事象については筆者は自信がない。
それでも、ツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ』に触れたことでその本質に少しでも近づけたと思っている。

ツヴァイクの作品としては、オムニバスである『人類の星の時間』の方が読みやすいかもしれないが、『ジョゼフ・フーシェ』は岩波文庫に収録されていることもあり価格的にも手を出しやすい。
『人類の星の時間』と併せて、こちらも手にとっていただけるとありがたい。

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