おばあちゃんと作る朝ごはん
娘が生まれてから、初めて母方のおばあちゃん家に泊まりに行った時の話です。
これまで、おばあちゃんの家には親族が一斉に集まるときに家族と行くのが恒例でした。私の母も一緒なので「娘」と「孫」という立場を存分に使い、四六時中だらだらしてしまうのも恒例です。
夜遅くまで宴を楽しみ、朝は布団でゴロゴロしてから、のろのろと起きて、キッチンに直行して、しれっと朝ご飯の配膳を手伝うのがお決まり。
(社会人になってから気付きました。起きたら出来立ての朝ごはんが出来上がってるのって最高!)
時は経ち、このご時世も相まって、親族一同が集まることがめっきり少なくなりました。
娘が生まれて半年が経ったころ、娘をおばあちゃんに会わせなきゃという謎の使命感に駆られ、自分達だけで行くことに。
結婚し娘が生まれ、自分の家庭を持つようになってから、両親なしでおばあちゃん家に行くのはこれが初めてです。
道中の混雑で到着が遅くなりそうだったので、夕飯は焼肉に決めて、おばあちゃんには「何も用意しないでね!」と念押しの電話も忘れずかけて、順調順調♪
と思ってたのに、到着すると、私が大好きな筍炒めをはじめ、おかずを何品も作って待っていました。
誰かに料理を振る舞うのが好きなおばあちゃん。
品数から、いかに私たちが来るのを楽しみにしてたのか伝わってきます。
そして、本題の朝ごはん。
寝る前に、娘の離乳食もあるし、朝ごはんは私が作るから気にしないでね!と何度も伝えたけど、いつも通り朝5時に起きてキッチンに立つおばあちゃん。
こちらも、おばあちゃんの行動を予想して、アラームを5時にセットしてなんとか朝5時半に起床。(遅刻。待ち合わせしてないけど、遅刻です。)
おばあちゃんは丁寧に煮干しでお出汁を取っていました。朝日を浴びながらキッチン立つ姿が神々しいことよ。
「おばあちゃん、おはよう」
「あら。おはよう。もう起きてきたのかい」
「朝ごはん作ろうと思って」
「あら。そうなの。ひ孫ちゃんは何食べるんだい?卵なら冷蔵庫にあって、野菜室にはキャベツと人参ときゅうりがあるよ。
あ、そのきゅうりはね、昨日の午前にお向かいの〇〇さんが持ってきてくれてね・・・」
朝から喋る喋る。
もうマシンガントークですよ。
筍の収穫時期、病院での診察方法、おじいちゃんとの思い出、近所に最近よくくるカラスの行方、長年使った出刃包丁、冷蔵庫に入っている嗜好品、寝る前に聞いたラジオ、塩麹の作り方、最近食べたお惣菜のたこ焼き、、、
そこには私の知らないおばあちゃんがいて、急に距離が縮まった気がして、すごくすごく幸せな時間でした。
毎回、朝ごはんのメニューは決まっていて、甘い卵焼きと焼き魚(鮭が多いかな?) 、加工肉と緑の野菜炒め(ベーコンとアスパラ、ウィンナーといんげん、と組み合わせは茶色と緑色であれば∞)、そして白米と具沢山の味噌汁。
朝からこの品数を淡々と作るのです。
正確には、口はずーっと動きながら、手もずっと動いている。卵焼きを卵焼き用じゃなくて、普通のフライパンで作ることで洗い物を減らしたり、鮭は半身にすることで他のおかずも食べれるようにしたり、冷蔵庫の中に眠りかけていた野菜を計画的に使い切ったり、何十年も作り続けてるからこその計算され尽くした手捌き。
(作りながら味付けを聞くと「適当よ」しか返ってこないのも好き。)
そして出来上がった朝ごはんがこれ。
そう、テーブルの真ん中に筍の炒め物が。
昨晩の時点で、朝ごはんの時に出すことも計算尽くして多めに料理してたそうです。
別の日に訪ねた時の朝ごはんがこちら。
今回はスナップえんどうではなく、アスパラ。
そしておばあちゃんが何年振りかに食べたくなったマカロニポテトサラダ(甘め)同じようなレシピなんだけど、少しずつ違う食材や心遣いが表れていて、いつ食べても最高な朝ごはん。
母にこの写真を送ると「おばあちゃんの朝ごはん食べたいなぁ」と返信が。
きっと、おばあちゃんと作る過程(おしゃべり)も含めて、お母さんにとって思い出の料理なんだろうな、と思ったできごとでした。
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