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noteから、これまでを振り返る

noteを書き始めて、一年とすこしになる。
その頃、私は生きることに必死だった。

noteを始めたのは、ライターとして活動を始めて半年ほどたった頃。
目に見える実績もなく、自分自身の不甲斐なさにただただ嘆く日々。

どうすれば、名を上げることが出来るのか?
どうすれば、頭一つ飛び抜けることが出来るのか?

駆け出しの未熟者が、生意気にもそんなことばかり考えては、頭を悩ませていた。

Twitterをやれば世界が変わるかもしれないと思い、Twitterを始めた。
一ヶ月でフォロワーさんを1000人獲得したが、表層のみの繋がりしか得られず、そこに愛はなかった。

次に手を出したのが、このnoteである。
思い思いにつづられた、文章の世界。

ひどく雑多なようでいて、なんだか心地よい空間。
おそらく、noteクリエイターに共通するのは「文章が好きだ」ということ。
もちろん、イラスト系のクリエイターさんも数多くいらっしゃるけど、noteではやはり文字が強いと思う。

noteのタイムラインには、フォローしているクリエイターさんたちの投稿が流れる。
思い思いの文章。
どれも、丁寧に紡ぎ出されたのが感じ取られる。

TwitterがTシャツ、短パン、裸足にビーサンでも許されるカジュアルなSNSだとしたら、noteはきれいめのジャケットにカットソー、プリーツスカートにローヒールパンプスというきちんと系のSNSだ。

Twitterなら、寝起きに出現できる。
でも、noteは朝食をとって、身支度を済ませてから向き合いたい。

なんとなく、そんな気になる。
書く人を選ばないし、書く内容も選ばない。

noteに投稿されるのは、1000文字をゆうに超える文章がほとんどだけれど、さらさらと吸収できるものが多い。
一つの記事から、その人の人となりが垣間見られるようでおもしろいのだ。
それだけ、素直になれる場所でもある。

noteは器が大きい。
ネガティブな言葉も、ポジティブな言葉も、寛容に受け止めて「スキ」を返してくれる。
とても優しい空間だ。
炎上なんていう、過激な行為は皆無。

ひそりと置いておいて、壁の花になってもそれはそれでいい。
承認欲求を満たすツールではない。
自己開示と自己探究心を満足させてくれるツールだ。

私は、noteに様々なことを打ち明けてきた。

ライターになって、当初は苦しかったこと。
家を売却したり、引っ越したり、身辺がかなりゴタゴタしていたこと。
家族について、思い悩むこと。
落ち込んだときの、行き場のない思い。

そのすべてを黙って受け止めてくれたのが、noteだ。
正確には、noteの先にいるフォロワーさんが読んでくださっているのだが。
noteの民はみな優しい。

本当に切なる思いを伝えたいときだけ「コメント」を残し、普段は「スキ」で答えてくれる。
一つ一つのアクションは、決して大きなものではないけどうれしい。

文章が好きな人々が集まる、言葉を中心に作られる世界。
私は、noteの世界観が好きだ。
いつも愚痴吐きばかりに使ってしまって本当に申し訳ないとは思うけれど、それでもすべて受け止めてくれる心の広さがたまらなく好きだ。

一年前と比べて、書いていることはさして変わらない。
不思議なことに、進歩の見られない私。
しかし、一年前と比べることができるというのもnoteの魅力だ。

noteに綴る言葉は、確実に私を育ててくれた。
そして、今一度軌跡を振り返って思う。

Twitterを始めたことで、私の世界は広がった。
noteを始めたことで、私は何度も救われた。

ただのツールにとどまらない、魅力。
そこに集う人々の優しさがひしひしと伝わるSNS。
それがnoteだと思う。

noteよ、いつもありがとう。
これからもよろしくお願い致します。

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