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ハイボールと忘年会の苦い記憶

 アルコールは睡眠の質を低下させる。睡眠の質を低下させるということは、すなわち生活の質も低下するということである。


 金、土と2日連続でカティーサークをロックで飲んだらもう眠りが浅すぎてしゃーない。

 今日なんか流石に眠すぎるから15時半ぐらいから30分ぐらい仮眠しようかなと思ったんだけど結局18時ぐらいまで寝てしまった。

 しかもコンタクトレンズつけっぱなしのまま。起きたら案の定眼が充血していた。これは良くない。



 最近心なしか下腹が肥えてきたような気もするし、アルコールは当分控えた方が良いのかもしれない。


 第一、自分にとってあまり飲むメリットがない。


 よく現実逃避で酒を飲むという人間がいるが、僕はその手段としてアルコールを選択することにあまり意味を見出せない。


 確かに刹那的な快楽は得られるかもしれない。が、酔いが覚めれば結局もとの現実が厳然と待ち構えているだけである。

 下手をしたら束の間の快楽を味わった分、絶望感が増幅されるような気もする。3連休明けの労働が地獄のように思えるように。


 そして何より、共に飲みに行く友人というものがほぼ皆無である。
 もうこれまでの記事で筆者の人脈の薄さはおわかりだと思うのでわざわざ書く必要もないだろうが、やはりこれは核心的な部分なので書かざるを得ない。


 あまりにも惨憺たる人生である。突発的に10万円が上空から降ってきたとしても、今までの不遇を考えたらプラマイゼロ感があってもはやあんまり嬉しくないかもしれない。



 そしてさらに僕にとって厄介なのが、プライベート以外の場で義務的にこなさなければいけない飲み会というのがしょっちゅう発生することである。


 要は職場絡みとか学生時代のあまり親しくないグループによって開催される気の抜けない飲み会である。これからの忘年会シーズンは特にこれが顕著になる。


 毎回思うんだけど、忘年会と言う割にその忘年会自体が一年の中で一番忘れられないくらいの憂鬱イベントである。

 一年の終わりに良くない思い出を脳に刻み込んでくるのは勘弁してほしい。個人的には年賀状を紙で出す風習とかは別に廃止しなくていいから忘年会新年会の風習を廃止して欲しい。



 僕はこういう飲み会には極力参加したくはないのだが、なんせ開催頻度が多すぎて毎回参加しないと角が立つというか確実に日本人的空気の和を乱すことになるので仕方なく参加している。

 とはいっても、最近は欠席と出席のバランスを計算して「これぐらいの頻度で参加すれば文句は出ないだろう」というギリギリのラインを攻めているが。

 しかしそれにしても、こういう周囲の顔色を伺いながら飲み会とか行事の参加連絡をするのってあまりにもジャパンすぎるよなあ。

 もうLINEのプロフィールのひとこと欄みたいなところに「当方は定期的なFANZA視聴の時間をとらないと生存不能なため全ての飲み会はお断りさせていただいております」とかなんとか書き添えておいた方がいいかもしれない。


 冗談はさておき、こういうあまり気乗りしない飲み会において、僕は自分でもよくわからないが半自動的にハイボールを頼んでしまう。


 最初は生ビールと相場が決まってはいるが、その後は何を頼むか聞かれると条件反射的に「ハイボール」と答えてしまう。


 だから、たまに自宅でハイボールを飲んでいるとそういった気の抜けない飲み会のことを思い出して少しアンニュイな気分になってしまう。

 ハイボールのあの喉につかえるような芳醇な匂いが、忌まわしき飲み会の記憶と直結してしまっているのだ。



 前述したように、筆者はコミュニケーション能力の不足さにおいては完全無欠である。

 もし五角形のステータスグラフを作成するとしたら『声量』『会話のテンポ』『質問力』『説明力』『感情表現』のすべてがマイナス数値を記録する。


 故に、飲み会においてはその店のオブジェと間違われてもおかしくないほどの置物と化すか、ただ気配を消して飲食を続けることにより「えっ誰……?このチョモランマを模したような、明らかに数人でシェアすることを想定して提供されたキャベツの千切り山盛りを1人で完食したの誰……?」と、もはやキャベツに取り憑かれた亡霊かの如く扱いを受けるかのどちらかである。

 もうそんな奴飲み会の参加連絡するなよ、大人しく家でキャベツ食べながらFANZA観とけよという話であるが、世の中にはどうしても避けて通れないものというのがあるのだ。



 まあともかく今までそういった苦い経験をハイボールで無理矢理流し込んできたので、僕にとってハイボールの味は、非常に複雑で、そして淡くほろ苦〜い♪(宇多田ヒカル『Flavor of Life』より引用)。


 嫌な飲み会のことばかりでなく(ついに嫌って言っちゃったよ、なんとなく気を遣って最大限婉曲的な表現にしてたのに)、今までの人生で辛酸を舐めてきたこととかも連想的に思い出してしまう。


 しかし、時にはきっとそういうあまり思い出したくもないことを思い出して人生の滋養とすることも必要なのだ。
 良薬は口に苦し、というように嫌な記憶もいつかはこれからの日々を歩むための糧になるかもしれない。


 苦い記憶を思い出すとわかっていながらも、つい突発的にハイボールを飲みたくなってしまうのは、きっとそのせいなのだろう。





おわり

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