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10年20年


 いや~、終わっちゃったね~。ゲキシンのジョキン
 始まりあれば終わりあり、とはわかっているものの実際に終わってしまうと途方もない喪失感に襲われてくる。


 『進撃の巨人』は2013年、僕が高校2年生の時分からアニメが放映されているからアニメに限定して言えばおよそ10年の歳月を経て完結したわけだけれども、改めて振り返るとやっぱりそれなりに感慨深いものがある。


 あの頃はよかったなぁ~という懐古補正も手伝って放送開始当時は録画した放送を滅茶苦茶楽しみに観ていたような気がするし、中盤のOPが『心臓を捧げよ!』とか『僕の戦争』だった時も体内から滅茶苦茶アドレナリンを放出しながら視聴していた。


 そしてついに終焉の時を迎え、無事に物語が完結したわけだが、感動はもちろんのことやはりどうしても終わってしまったという喪失感、ロスの感情が先行してしまう。


 今年9月に完結したNetflixオリジナルシリーズの『セックス・エデュケーション』の最終回も滅茶苦茶良かったんだけど、あまりにもエモーショナルな終わり方すぎてその後ずっと作中の登場人物の未来とかについて考えてしまっていた。
 こちらも素晴らしい作品であったのでまた別の機会に感想を詳しく記したいと思う(にしても最後のシーンで流れるアレサ・フランクリンのLet it beはこの世の”エモ”の全てが詰まっていて最高だった)。

 他にも僕が密かに愛読していた『君は放課後インソムニア』とう青春漫画も完結してしまった。普段あまり観ない『アメトーーク』をたまたま観ていたら奇しくも『ラブコメ漫画サミット』というテーマの回で、ケンドーコバヤシ氏がこの漫画を紹介していた。まあ内容はケンコバが紹介してるのでTVerを見て頂くとして、こちらもやはり終わるのは辛い。


 『君は放課後インソムニア』の何が良いって登場人物がそれほど多くないので混乱しないし、自然豊かな舞台に沿ってストーリーがゆったりと進むし、台詞がそれほど多くなく、風景のワンカットみたいな描写が多々あるので非常に穏やかな気分になれる。


 「インソムニア」というのは不眠症という意味だけれども、この漫画を読んでいると逆に心安らかに眠れるような気がする。

 だからこそ『君は放課後インソムニア』が終わってしまうことは僕の安らかな睡眠ライフが終わってしまうかもしれないことを意味し、眠れない夜をFANZAでどうにか乗り越えようとする最悪な物語『僕は童貞インソムニア』が開幕してしまう危険性があるのだ。これはいかん。こういうくだらないことを考える頭脳は『進撃の巨人』が最初に放送された10年前から何も成長していないようだ。



 思えば、僕だけが取り残されたまま、僕を取り囲む面白い漫画やドラマは勝手に始まり勝手に終わりを迎えていく。流動的にコンテンツが産み落とされては消費され、作品が横溢するこの時代に僕はただじっと指をくわえて涎と鼻水を垂らしながら「面白いな~」と傍観しているだけである(赤ちゃん?)。

 このままではいかん、生産的な時間を過ごさなければいかんと肝に銘じるんだけどいつも何をすればいいのかわからなくて、というか情熱を注げるものや興味の湧くものが何もなくて結局自堕落に過ごしてしまう。



 3連休も気付けば勝手に始まって勝手に終わっていく。

 初日は部屋の整理、FANZA、掃除、FANZA、市民体育館行って筋トレ、FANZAで終了。

 2日目はFANZA、ピアノの練習、読書、FANZAで終了。

 今日だって早起きしようと思ったのに昨夜のFANZAの所為で9時半に起床した挙げ句まともに活動しなかった。無印良品に行って敏感肌用の化粧水(高保湿タイプ)を買ったり、昼食を家で食べたから食べる必要もないのに間食扱いとしてつけ麺を食べに行ったりはしたので外出はしているが、他者に向けて発した肉声は無印良品での「アッ、クッ、クQuick payで……」だけである。とても有意義な一日を過ごしたとは言えない。



 というか3連休全体を通してみたら、まず生活からFANZAを駆逐した方が良いね。独身男性の人生に狙いを定めて進撃してくるFANZA動画を一匹残らず駆逐した方が良い。話はまずそれからだ。

https://www.dmm.co.jp/age_check/=/?rurl=http%3A%2F%2Fwww.dmm.co.jp%2Fdigital%2F




 ところで部屋の整理をしている時に思ったのだが、僕の部屋には本が多すぎる。しかも割合でいうと読んでない本と読了後の本が7:3ぐらいの比率で集積している。

 流石に本棚に収納出来ないぐらいの冊数になってきたので、もうこれ以上本を購入するのを控えなければならないのだが本能的な習性とでもいうべきか身体がどうしても言うことをきかなくてつい退勤後とかに本屋に寄ってしまう。

 そしてそこで面白そうな本や漫画があるとつい衝動買いしてしまう。「普段そんな金遣わんからこういう時ぐらい散財しても良いだろう」という思考の連続である。普通に良くない。

 だからもう本屋に寄ってしまうのは仕方ない、本が増えてしまうのは仕方ないとして(まあどう考えても仕方なくはないのだが)、さすれば二次的な解決策は本を減らすことである。そしてどうせ減らすなら建設的に減らした方が賢明であろう、ということで今度から時間のある有給休暇の時などにメルカリやらラクマやらヤフオクやらを駆使して要らない本を売却することにした。

 そうすれば本が減ってスペースも増えるし収益も上がるしで一石二鳥である。

 問題なのは次の有給休暇までにそのモチベーションを維持出来るかどうかだ。こんな記事を書いてる暇があるなら今すぐその作業に取りかかれよとかいう正論は知らん。人にはその日のコンディションというものがあり、そのコンディション次第で作業能率が変わってくるのだ。



 また、本を売却すること以外に今僕の頭を占拠して止まないものがある。オードリーのオールナイトニッポンの東京ドーム公演である。3連休に突入する前日、木曜日の夜に二次先行受付の抽選結果発表があったのだが、一次先行に続きあえなく落選。今のところ四次先行まで抽選受付があることが発表されているので小分けにして当選させているのだろうが、やっぱり落選した時の落胆感はかなり重い。

 やはり第一希望をアリーナ、第二希望をスタンドにしているのを逆転させた方がいいのだろうか?アリーナ席が12000円、スタンド席が1万円とかなり高めなのに倍率がとんでもないことになってるのはオードリーのANNの人気故だろう。


 オードリーのANNは僕が大学2~3年の時(2017年くらい)から初めて定期的に聴き始めた深夜ラジオであり、今ではほぼ毎日のように聴いているラジオライフの原点と言っても過言ではない。

 大学生の頃は本当に陰鬱で偏屈な性格を拗らせていた。楽しそうな男女に向けて呪詛をブツブツ唱えながら日々を過ごしていた、というか実際にはそんなこともなく、ほとんど誰とも何も喋らずに自分のことを特異な特級呪術師だと思い込んでいるだけのただの存在感が無い一介の陰気大学生であったからして、オードリーのある種内輪だけの閉塞的なトークは上手い具合に耳にフィットしてとても心持ちが良かった。ラジオというのは、とりわけ深夜ラジオに関しては大体において一人で布団の中に隠れて静かに聴くという特性上(人によるが)、開放的でありながら閉塞的であるというのが最大の魅力である。


 だからこそ6年弱聴いてきたそのオードリーANNの東京ドーム公演は絶対に行きたいし、2019年の時に大学の部活のリーグ戦という訳のわからない理由で行けなかった武道館公演の時の雪辱も晴らしたい。


 後から冷静に考え直したら部活の試合に出るわけでもなくただ応援するだけってもう代わりにペッパー君でも行かせておけば良かったかもしれない。しかし何故かどうしても応援に行かなければいけない空気というか雰囲気が当時そこにはあったのだ。日本社会はこういうところが良くない。部員が一丸となって頑張ってるんだから絶対に士気を下げるような行為はするなよ?という無言の同調圧力。美徳とパワハラが紙一重になってるところがあるからこの国から永遠にハラスメントが無くならないのだ。


 話が逸れた。とにかく、なんとしてもオードリーANNの東京ドームに行かせてほしい。

 毎週月曜日の出勤時と退勤時にradikoのタイムフリーで放送を聴いているのだが、これがないと月曜日のつらさを乗り切れない。

 月曜の朝のあのとんでもない絶望感をオードリーANNを聴くことによっていくらか緩和させ、労働中も「終わったら続きが聴ける」と自分に言い聞かせながら苦役を耐えしのぎ、退勤後は解放感と共に若林氏と春日氏の話に傾聴するというのがもう5年ぐらい続けてるルーティーンなのだ。さらに言えば日曜日の夜も「明日はANNkwのタイムフリーが聴ける」という自己暗示でなんとか眠りについている(あとついでに日曜の夜は22:30~ニッポン放送でやってる『みちょパラ』が欠かせない。みちょぱこと池田美優氏がパーソナリティをやっているレディオ番組だが、おそらく地上波に出演している女性タレントに限定すれば今一番男性器の俗称を言っているであろうということで現在かなりアツい番組である)。


 そんな風に生活の基盤の一部となっているオードリーANNには逆に12000円ぐらい払わないと気が済まない感じがする。


 ちなみにナインティナインのANNの歌謡祭イベントは普通に配信で観た。こちらも5年ぐらい聴き続けている番組なのでそれなりに好きではあるのだが、イベントに関しては毎年やってるし現地に行かずとも配信でいいや、という感じである。最後にわざわざ書かなくてもいいようなことを書くという悪癖が出てしまった。

 とはいっても、もしナイナイANNが終わってしまうという日がきたらやはり途轍もない喪失感に襲われるだろう。

 そう、彼は心の奥底ではすべてのラジオ番組を愛していたのだ……10年後も20年後も、そして2000年後も……きっと彼は深夜ラジオを心の拠り所とするはずだ……(ナレーション)。





 全然上手いこと言えてない例の収拾のつけかたで今回も筆を置かせていただく。




おわり

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