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考える時間を減らそう

考えることはいいことだと思いこんでいたけれど、本当にそうなんだろうか。ちゃんと前に進める「思考」と、そうではない「思考」があるような気がする。

たとえば何か「やらなきゃいけないこと」があるとき。手を動かすことなく、「やらなきゃいけないこと」を頭に思い浮かべる時間が長いほど、その作業がめんどくさいものになっていく。「領収書を整理しないとなー ずいぶん貯めちゃったなー」と考えるほど先送りされていく。

旅行を楽しみに待つとか、大好きなマンガの新刊の発売日を心待ちにするとか、そういうポジティブな待機感情が積み重なっていくのは心地いい。でもどうやら、ネガティブな待機感情というのも同じように積もっていくものらしい。

だから「やらなきゃいけないこと」は、いざ取り掛かるその瞬間まで、すっかり忘れておくほうがいい。

「でも、それじゃあいつまで経っても、やらなきゃいけないことがやれないのでは……?」

と思うかもしれない。直感に反するのだが実際は逆なのだ。

よくよく思い出してみてほしい。「やらなきゃ」って思いながらなかなか手をつけられずにいることって、温めすぎて妙なこだわりが生まれていないだろうか。

「ある程度まとまった時間が必要だ」
「ある程度の作り込みは必要だ」

とか色々考えちゃっていないだろうか。執着が生まれてしまっているのだ。呪いといってもいい。

「やらなきゃ」とちょこちょこ思い浮かべるからどんどん重くなる。呪物化していく。

どうせやるヒマがないなら考えないようにしたほうが。変なこだわりや執着みたいなものが剥がれていく。するとあるときふと「よし今やるか」っていうタイミングが訪れる。


*


もうひとつ、よくよく思い出してみてほしいことがある。「やらなきゃいけないことがあるのに全然できていない……」と自己嫌悪に陥るのは一日のどのタイミングだろうか。

おそらく、忙しく働いているときにこのようなことを考えているヒマはないと思う。移動中とか、入浴中とか、トイレの中とか、おそらくそういう「頭がちょっとヒマ」なときではないだろうか。

「頭がちょっとヒマ」なときに何を考えているかをよくよく観察してみてほしい。そこでいつも同じようなことでモヤモヤしていたり悩んでいたりしているようなら、その思考はもうやめると決めてほしい。

いや、どうしても考えてしまう。いや考えたいのだ、というのならば条件がある。それは

「書きながら考える」

ということだ。書きながらだったらいくらでも迷っていい。悩んでいい。考えていい。

僕らは手に何も持たずに考え込んではいけない。悩むなら書く。迷うなら書く。書けないときは悩まない。迷わない。

僕らの脳は、まったくランダムな数字を8桁までしか覚えていられない。何も道具を使わずに考えるということは、この8マスでものを考えるということだ。思考が深まるわけがない。

「あれ、何を取りに来たんだっけ?」と用事を忘れることがある。これは移動しながら考え事をしていたから、最初に思い浮かんだ目的が短期記憶から押し出されてしまったために起こる。

散歩中や入浴中、あるいは単純作業中など、頭だけが活発に動いているときにはいろんな考えが思い浮かぶ。でも思い浮かぶと同時にどんどん忘れてもいるので、思考は深まらない。だからものすごくクタクタになるくらい悩んでも「いつも同じことばっかりぐるぐると考えてるなぁ」ということになってしまう。

「他にやるべきことがあるんじゃないか」とモヤモヤしたり、
「投資の勉強しなきゃ」「もっと情報発信しなきゃ」と焦ったり、
仕事が終わってゆっくり休むべきときに仕事のことを考えたり、
やれるわけないタスクをリストアップしてやれない自分を嘆いたり、

これらは全部無駄な思考だ。でも無駄だということに気づけない。8マスしかない頭で考えているからだ。同じことを何度も話す酔っ払いと大差ない。

我々にとっての唯一の対抗策は、道具を使うことだ。

棋士か数学者かフォン・ノイマンみたいな天才でもない限り、たった8マスの脳みそでいくら考えを回しても同じ思考をぐるぐる回るだけだ。だが幸いにも、僕らには紙とペンがある。キーボードがある。書きながら考えれば思考は前に進む。

悩みたいときは必ず書きながら悩もう。それができないときは考えなくていい。音楽でも聴いてリラックスしていよう。オーディオブックもいい。耳から何かを入れておくと余計なことを考えなくて済む。


読みたい本がたくさんあります。