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結局僕らはさ 何者になるのかな/『何者』感想

映画『何者』は朝井リョウの同名小説の実写化で、就職活動を通して自分が何者であるかを模索する若者たちの葛藤と屈折を描いた作品である。

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朝井リョウ原作の映画といえば『桐島、部活やめるってよ』というとてつもない傑作が印象深い。とりわけ若さによる繊細さが盲目的な仇となって誰かを傷つける描写には定評がある。さらに本作の監督はポツドールを主宰する三浦大輔で、これまた若者のリアルでいびつな心の揺れを赤裸々に表現することに長けた演劇界の鬼才である。

2人による化学反応は、現代の若者が持て余す欲望や残酷さを容赦なくあぶり出し、氷のように冷え切った視点で厭味に満ちた人間描写を可能にした。

若者は大人以上に面倒臭い。大人より自分の可能性に過信的で、自己愛と自意識ばかり肥大して、経験値がない分だけ頭でっかちで衝動的で、何より繊細で。

それらすべてが同時に特権でもあるのだけど、そんなクソ面倒臭い若者(大学生)がクソ面倒臭い就活の渦に飲み込まれ、これまたクソ面倒臭いSNSをシュノーケル代わりに呼吸しようと思ったら、必然的にこうなるよねっていう。

だから映画の内容は意外にも普遍的である。おそらく就活中の大学生が観たら登場人物の中のひとりに自然と自分を見出し、投影させるだろう。

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クライマックスに向かう場面での演劇的な演出は圧巻で、過去多くの舞台を観劇してきた自分にとってはちょっと鳥肌モノだった。芸術性の高い場面転換ふくめ、監督が演劇畑の人だからこその見せ場ではないか。

教育上の若者を卒業したとしても、内定を貰ったとしても、何者かになれるわけではない。そんなのは自分が何者であるかを考えるスタートやキッカケに過ぎない。

これは、若者が初めて自意識の外に出ようとしたときに伴う¨痛み¨を描いた映画である。凄まじく耳に残る中田ヤスタカ×米津玄師の最高のエンディングソングは、自分の人生をリスタートさせる主人公に向けたアンセムのようだった。

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