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小ぎたない恋のはなしExtra01同窓会

前回

(前回というよりは、「最新話をこれまでここまで書きましたが、今回はExtraという名称からもわかるように直接の繋がりが如何にして結ばれるかが意図的にぼかされている」という意味合いが強いつもりです。ヘッダ画像をお借りしています)

僕は明日同窓会に行かなければならず、暗澹たる気分にいる。僕はあわよくばという意味合いにおいて使うone chanceというスラングが非常に嫌いだが、「one chance新しいビジネスに関われたり、一晩の過ちが犯せれば嬉しいな」とも思っているから感情を持つ生き物の浅ましさを自分という例を通してまざまざと知ることになり、余計暗澹な気持ちになる。それなりに長い間買うこともなかった避妊具を買っておくべきだろうか。

ところでone chanceというスラングには「あわよくば」だけじゃなくて、「もしかしたら~(ネガティブな結末)になるかもしれない」という意味で使われることもあるという一面がある。これは世間にインターネットインフラが行き渡ったことによる自己顕示欲丸出しの人間とそれを見ることに抵抗がない受け身の人間の意思疎通(とは言え前者の一方的な疎通に過ぎない)がいとも簡単にできるようになった弊害によるものだ。

この意思疎通とはもちろん素人による何かしらのライブ配信を指しており、本当にやることがない後者の連中が何よりも貴重な可処分時間を費やしてそれを見る。その中で自己顕示欲の塊が口を揃えて言うのだ。one chanceと。

誰かが使っていて「今っぽい。言っとけば最先端の今を生きている奴だと思ってもらえる」と思ったから別の奴が使う。それが伝わり、当初は「あわよくば」の意味しか持ち得ていなかっただろうにいつしか伝播の途中に国語の文法の偏差値があまりに低級な奴がいて、ネガティブな結末に帰結する未来予測の意味合いを込めて使ってしまったことにより、「あわよくば」にはない「ネガティブな未来」について形容してもいいスラングになってしまったのだろうと僕は分析する。

同窓会と言ってもあれから何年も経っている。ぼくはそれなりにいい大学を出てしまい、それなりの大企業にうまく自分をだまくらかして着飾って見せることで取り入ることができてしまった。

そこで味わった挫折たるや説明する必要もないだろう。今こうしているように、これまでの僕の独白を見てもらえばわかるように、元々好き勝手文を書いて物語にすれば引く手あまたの売れ行きを見せる才能を自分が持っているとガチで思いながら生きていた。今こうしている間にも勝手に文が生まれてくる。

だからどんなに箔が付きそうな大企業に自分の価値を見いだされたところで(実際には実力不足で解雇されたから、僕に価値なんてなかった)そんなの単なるやりがい搾取の宣戦布告でしかなかったから苦痛だった。周りの連中は上役に媚びへつらい、言われるがままにトップダウンの命令をこなしより多くのサラリーを求めた。

僕はこのように黙ってても勝手に文が生まれてくるんだから、それを出版社なりに持ち込んで後は売ってもらうだけの左うちわの生活が勝手に訪れるだろうと思っていたため、例えそれが(ある一時期だけは)僕に才能や価値を見出してくれて雇い入れてくれた企業、上司たちのためだろうと「人のために自分の何かしらを犠牲にして働きをする」という事実に耐えられようはずがなかった。そんな相手ならどんな企業だって実力不足による解雇を言い渡すだろう。僕だってそうする。

ただ、それはいま考えればそうなだけで当時の僕は「こんなに才覚ある人間を切り捨てるなんて名のしれた企業だという鳴り物は単なる飾りでしかなかったのか」と心底ばかにした。一緒に人事部や取締役に頭を下げてくれると言った同僚や管理職に対しても唾をはいた。連絡先を消し、連絡先を変えた。

そのような人間が同窓会にどうして出れるだろうか。なぜ同窓会に出なきゃならないかについては理由があり、あるいはその理由を言い訳に仕方なく参加する自分であろうとも僕はしているのだ。


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