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「考える」仕事を誰がやるか、ってそりゃあ社長でしょ

経営において「考える」という役割りは最重要項目である。会社において一番当事者意識を持っている社長がすべき、という話

弊社のような吹けば飛ぶような零細企業において、社長の役割りは多岐にわたる。小さければ小さいほどマルチプレイヤー的に本来の役割以外の業務を兼任する必要があり、「考える」という社長業の本質はおざなりになりやすい。

しかしながら、その「考える」という役割りこそ代えが利かないのだ。経営コンサルタントに丸投げ、なんて社長も度々見かけるが、会社にとって唯一と言っていい当事者意識を持った存在の社長自らがこの「考える」という役割りを放棄してしまったら、その会社は価値を失うと言っても過言ではない。

であるならば、その当事者意識を持った社長の生産性、すなわち社長が「考える」ことに集中する時間をどれだけ与えることができるかが会社の将来を大きく左右するということになる。

零細企業であっても、社長がやる必要性のない業務や、やったところで大して生産性の上がらない業務は、できる人に任せて時間を確保することに努めるべきなのだ。

そうして捻出した時間は将来の舵取りに費やし、経営の生産性を最大限高めることが重要になる。中小零細企業において、万が一会社が傾いたときに一番ダメージ受けるのは誰でもない社長だ。だからこそ当たり前に当事者意識が植え付けられているのだが、その重要な役割りを経営コンサルタントはロジックやノウハウで補ってくれるかもしれないが、責任までは負ってくれない。

最終的に責任や負債を一手に背負う存在の社長だからこそ他の誰よりも必死に「考える」し、そもそも「考える」ことこそが社長業の醍醐味と言えるのではないだろうか。

私も時々作業的な業務をこなすこともあるが、いつも心の中では「誰か代わってくれないかな」と思っている。そのような業務の好き嫌いではなく、早く「考える」という役割りに戻りたいのだ。

書くというアウトプットも「考える」ということにおいてはかなり有効な手段であると最近では自負している。であるからして、このnoteの執筆は欠かすことなく続けているのだが、社長が暇つぶしにブログを書いていると思われたらそれは大きな間違いである。

毎日の予定表の中に必ずnote執筆、という予定を入れ粛々と書くことによって格段に「考える」行為に奥行きができてくる。その奥行きの深さがこの先の経営のヒントになることは往々にしてあるのだ。

しかしながら、最近では多忙のため「考える」という時間にも制限が出てきてしまっている現状だ。余計な仕事や人に任せられる業務がないか改めて自分の行動を見直し中である。

この記事を書き終えたら少しばかりスキルマーケットのサイトを探る予定だ。「誰か代わってくれないかな」が誰かの得意な仕事でありますように、と記事のまとめに入りながらも心の中で拝んでいる私がいる。

社長業の本質は「考える」である。その行為の生産性を最大限に高めれば会社はひとまず安泰である

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